1-Re 幸せのアルカロイド(1)



 -- 約三年前 --





 パリ郊外にある小さな農村地帯。


 何やら大変なことが起きているという話を聞きつけ、騎士団の内の一人、女性龍騎士のヨナはその村に駆けつけていた。


「…」


 いざ辿り着いてみると、そこに広がるのは何の変哲もない平和な村の姿。

 特に困っている人がいる様子もなく、ヨナは拍子抜けして村に入ってすぐの場所で立ち尽くしていた。


 ぼんやりと村の様子を眺めていると、一人の老人が彼女に声を掛ける。

「あぁ、その服装、大きな剣。もしかして、王都から来てくれた龍騎士さんかい?」

「…えぇ、はい。あの、ここで事件が起きているという知らせを聞いて来たのですが」

「ええ。そうです。騎士団にその知らせを入れたのは私ですよ」

 そう言う老人の目は細く弱弱しい様子で、どのように見ても焦燥や不安の類の表情は読み取れない。

「一体、何の要件で?」

 騎士団の情報担当がもっと確認してくれればよかったのに、とヨナは内心溜息をつく。

 とはいえ、本当に一大事であれば悠長に手紙のやり取りなどしていられないので、戦力として動ける彼女が早急に足を運ぶよう指示が下るのは仕方ない事だった。


「魔女がね、いるんですよ」

「魔女?」

「ええ。この村の端っこのほう、丘陵の頂にある高木の足元に、家を構えているのが一人」

 俯きながら、少しわざとらしそうに困り顔をする老人。

 魔女が本当にいるとなれば確かに騎士団案件の話ではあるのだが、彼のその胡散臭い表情にヨナは疑いの気持ちを抱いていた。

「…私にその魔女を、どうして欲しいんですか?」

「言うまでもないでしょう。追い払ってほしい。あわよくば二度と帰って来れないように」

「…わかりました。ひとまず様子を見に行っても?」

「ええ。案内しましょう」




 魔女がいるというその場所へ向かう道中、村の人が口々に「ようやく龍騎士が来た」「やっとあの魔女をどうにかしてくれる」と呟く。

 その様子、発言自体におかしなことは無く、魔女が疎まれることはむしろ世間的によく見られる光景ではあったのだが、それとは別に村自体のその空気の悪さ、なんともいえない気持ちの悪さにヨナは居心地の悪さを感じた。


「魔女はいつからその場所に?」

「数年前に。いや、我々が気が付いたのが数年前というだけで、きっともっと前からあそこにいたのでしょう。恐ろしい事で」

「実際に見たことは?」

「何回かはありますとも。奴は自分の家の周りをうろうろするだけで、この村にはまだ来ようとしていませんが」

「そうですか。では、実害はないのですね」

「いえ。今までに家畜が何匹もいなくなっていますし、子供が行方不明になったこともある」

「誰かが、魔女が子供や家畜を攫うのを見たんですか?」

「ええ。村の者がその様子を見たと」

「その村民の名前は?」

「そこまでは、私は。人から聞いた話ですから」


 肝心なところで歯切れの悪い答えを返す老人。

 どうやら周りの人の反応から見て彼はこの村の長であるようなのだが、どうにも彼を筆頭に嘘やら何やらが蔓延っているような気がして、既にヨナは彼らに対する嫌悪感を隠しきれないでいた。




 ヨナは、龍騎士団に入る前からずっと街の平和を守りたいと願っている真っ直ぐな乙女であった。

 子供の頃から他の龍人、今の同僚―――騎士団員とも知り合いで、彼らと共に最高の龍騎士になろうと約束を交わしたこともあるその人は、純粋で、愛に溢れていて、常に人の幸福を願っているような、いわば聖女のような存在。


 龍騎士になってからは人の浅ましい所にも直面することもあり、入団前の聖人じみた考え方にも少しの変容はあったのだが、だからといって救う相手を選ぶようなことはしない。

 どのような悪人であったとしても、自分が個人的に嫌悪した相手であっても、生きるものであるのならば幸福にならねばいけないと、そう信じて龍騎士としての役目を果たし続ける人であった。




 そんな平和主義者的な志向を持つ彼女ではあるが、それとは裏腹に自身の身長ほどある大剣をその背中に携えている。

 それは自身の正義に対する意思表示のようなものであり、武器としてというよりは志の大きさそのものの象徴としての意味合いが強かった。

 自分の信じる正義の為にはどんな手でも使うという意思、ただしそう簡単には武力として剣を振るおうとはしない堅い考え。

 その両方を主張するための手段として、彼女はその剣を非常に大切にしていた。




 彼女の薄紅色のボブの髪と優しそうな目が、子供好きなごく普通の女性のように見えたせいか村長は少し疑るように目を細める。

 結局のところ、その大きな剣をもってしても「罰するべき相手に情を抱きそうな人間だ」と根拠のない誹謗を言われることはあり、村長のその目もそれを言う人間と同じ様相を見せていた。


 優しそうな人と言われること自体は悪い事ではないとわかりつつも、やはりそれを甘えであるかのように揶揄されるのは彼女の本意ではなかった。




 十数分歩いたところで辿り着いたその丘陵の先、まだ少し遠い所にその頂はある。

 周りには少しも木々が生えていない中、その中心にだけ一際大きな高木が影を落としていた。


「あそこです。高木の下、小屋のような建物があるでしょう」

「…人が住むような小屋には見えませんね」

 そこに見えるのは、倉庫のような小さな建物。

 扉こそ確かに民家のそれには見えるが、壁も屋根も古く、雨が降れば浸水するような様子であった。

「すみませんが、私はこれ以上近寄りたくない。龍騎士さん、なんとかあの家の様子を見てきてくれませんか」

「構いませんが…龍騎士も不死身ではありません。危険があれば私も撤退することはありますからね」

「ええ、無理はなさらず。…ただ、事を起こすなら私がもう少し距離を取ってからにして頂けると助かる。老いぼれなものですから」

 なんともまあ人任せな、と思わないでもないヨナだったが、ご老人を抱えて走るのもリスクが大きい。

 自分で逃げてくれるならいいか、ということで、「後は任せてください」とだけ告げてヨナはゆっくりとその小屋を目指して歩き出した。






 ◇ ◆ ◇






「―――あら、いらっしゃい。お客さん?」

「…いえ。私、パリから来た龍騎士なのですが」

「どうぞ、おかけになって」


 小屋の中に居たのは、まだ物心つかないような小さな少女一人だけであった。

 玄関先から見たその小屋の中はやはりと言うべきか狭く、そのスペースを最大限活用して置かれたテーブルがその空間の多くを占拠している。


 少女は、突然現れたヨナに驚くわけでもなく、まるで人知れず営業するカフェか何かに勤めるように自然に彼女を迎え入れた。

「紅茶はお好き?それとも何か他のものが良い?」

「えっと…待って。私、お茶を頂きに来たわけではないの」


 きょとんとした様子でヨナの顔を見る少女。

 じゃあ何をしにきたのか、と言わんばかりの表情で不思議そうに彼女の顔を見ている。

 少女の頭の上には、魔女の象徴である獣の耳、兎の長い耳が当然の様に垂れ下がっていた。


「えっと…ひとまず、急に来てごめんなさい。あなたに色々と教えて欲しい事があるんだけど、少しお話してもいい?」

「ええ、お話は好きよ。小人が出てくる絵本の話?それとも綺麗な花が咲く西の高原のお話?」

「そうじゃ、なくて。あなたの、そのお耳のお話」

 そう言われて、少女は自分の兎耳を摩るように触る。

「耳の話がしたいなんて、変わった人ね」

 少女は相変わらず不思議そうに、ヨナの顔をじっと眺めていた。






 少女は、名前をロベリアと名乗った。

 いつからこの小屋で暮らしていたかは覚えていない。

 今まで誰かと一緒に暮らしていたかどうかも覚えていない。

 そして、自分が魔女であるという事実さえも理解しておらず、魔法の使い方も知らないといった様子であった。


「どうして、自分の名前はわかるの?」

「だって、ここに刻まれてるもの」

 ロベリアは、ベッド―――とかろうじて呼べるような小さな台の縁を指差す。

 そこには確かに、尖った何かで一所懸命掘ったような傷跡で『ロベリア』と刻まれていた。

「本当ね」

「私ね、何故だかわからないけど、この文字だけは読めるの。他の本は、ぜんぜん読めないのだけど」

「そっか。きっと、誰かが何回も教えてくれたんだね。あなたの大切な名前だから」

「うん。私、この名前は何回も自分で書いて練習したんだよ」

 そう言って、なんだか褒めて欲しそうにヨナの顔を見るロベリア。

 ヨナは、その表情を見て、自分が何をしているのかが急にわからなくなって動けなくなってしまった。


「ヨナ?」

「―――なんでも、ないよ。いっぱい練習したんだね。すごいね」

 一瞬の硬直の後、彼女はなるべくおかしな様子を見せないよう取り繕って、ロベリアの頭を撫でてあげた。


 自分がこの村に来たのは、困っている村の住民を助けるためではなかったか。


 村の近隣に住まう魔女を追い払うことが使命ではなかったか。


 本物の魔女と出会うのが初めてであったヨナは、もうすでにロベリアのことを愛らしい一人の子供としてしか認識出来なくなってしまっていた。


 魔女は、人の心臓を簡単に止めてしまえるような危険な力を持った存在。

 そう知っていても、ロベリアがそんなことをする存在だとは思えなくて、ヨナは目の前の少女をなんとか守ってあげられないかと考えの方向性を改め始めていた。




「―――報告、どうしようかな」

「ほうこく?ヨナは、なにをする人なの?」

「私はね、皆の安全を守るお仕事をしてるの。街で良くないことが起こらないように見回ったり、人を傷つける魔獣を倒したり。今日はね、ロベリアが悪い人に襲われたりしないように、様子を見に来たの」

「そっか。じゃあ、だれかさんに報告してあげて。ロビィは元気だよって」

「うん」

 ロベリアはその『だれかさん』のことを気遣うように優しく笑った。

 ヨナもつられて、同じように笑った。


 とてもではないが、この子を蔑ろにしていいとは思えなかった。

 むしろ、あの村の冷たい眼差しからこの子を守りたいとさえ感じた。


 それが龍騎士団の掟に反することならば、掟のほうを変えてしまえばいい。

 彼女は、自分が信じた『すべての幸福』を叶える、そのために自分の理想の龍騎士であり続けることを望んだのだった。




 ◇ ◆ ◇




「張り込み?」

「はい。そのうち魔女は帰ってくるでしょうから、待ち構えて…なんとか、します。だから、そのための食糧やら何やらを分けてもらえないかな、と」


 村の者には、小屋には誰も居なかったと伝えた。

 勿論、それでこの件を終わりにしようと言う意図ではない。


 ロベリアを保護なり養護なりするにしても、どこに連れていくべきかを考える時間が多少は必要だった。

 加えて、数日何も食べていないのかという程にロベリアの身体は瘦せ細っていた。先ずは何かを食べさせないと、王都まで行く体力さえ持たないほどに。

 恐らく、保護者に相当する人物はとうの昔に彼女のもとを離れていた。


 村人は、然程疑問には思わずに少しばかりの食糧をヨナに分け与えた。

 彼女は今後謝礼を行う事を約束してそれを受け取った。




「…」


 再度ロベリアのいる小屋まで歩く道すがら、ヨナはどうするべきか考え込んでいた。


 無論、堂々と騎士団に連れて行くわけにはいかない。

 いくら既知の面々が情に厚くロベリアの現状を理解できたとしても、彼らが王都を守護する立場である以上、魔女の擁護に加担させてはいけないから。


 魔女教の助力もあまり考えたくない。

 彼らは魔女のことを崇拝はすれど守りはしないからだ。

 きっと彼らのもとでは、ロベリアはその力をいいように使われてただひたすらに浪費され続けるだろう。


 自分一人で、あるいは誰か個人の力を借りてロベリアを養うというのが現実的だが―――

 正直なところ、ロベリアのことを自分一人で守り切れるのかという不安が心の隅に張り付いていた。




「ロベリア?」

 小屋の戸を開けると、ロベリアはぼんやりと飾りのように、テーブル脇の椅子に座っていた。

 彼女は、は、と息を漏らしてヨナのほうを見る。

「村の人から、少し食べ物を貰って来たの。食べて」

「わぁ。いいの?」

 箱の中には、少し硬そうなパンやら洗われた野菜やらが入っている。

「うん。食べたら、私の街まで一緒に行こう。そこで、もっと美味しいもの食べさせてあげるよ」

「…?」


 パンを無造作に頬張りながら、ロベリアは不思議そうにヨナのほうを眺めた。

「あなたの、街?」

「うん。さっき話したでしょ、私は王都から来たんだって」

「えっと…」

 一口齧ったパンを大事に手に持ったまま、ロベリアは首を傾げて尋ねた。

「あなたは、誰?」


「…へ?」

「食べ物を持ってきてくれたのは嬉しいけど…私、あなたとは今、初めて会ったと思うの。村に住んでいる人ではなかったのね」

 驚きの余り、笑顔のまま固まってロベリアの顔を凝視するヨナ。

 ロベリアはその『初対面の人』が持ってきた食料を、なにも疑うことなく、もぐもぐと美味しそうに頬張っていた。




「冗談、だよね?だって私、ついさっきもここに来てあなたと話してたんだよ」

「うぅん…よく、覚えてない」

 相変わらず食べるのは止めずに、唸るように記憶を辿るロベリア。

 どうしてもその記憶に辿り着かないようで、彼女は眉間に皺を寄せて首を大きく傾げた。

「でも、確かに、そうよね。あなたは私の名前を知っているし、どうしてか私がお腹ぺこぺこなのも知っていたもの」

「う、うん…」

 内心かなりショックを受けていたヨナだったが、どうやらロベリアが冗談や嘘を言っているわけではなさそうだと気が付くとすぐに話し方を変える。


「そうだ、少し話したら思い出すかも。私―――パリの騎士団から来た、ヨナっていうの。さっきもここに来て、あなたのそのお耳の話と、ベッドに刻まれたあなたの名前と…他にも、あなたの事について話してたんだよ。何か思い出せない?」

「お耳の話?どうしてそんな話をするのかわからないけど…あんまり、思い出せそうなことは無いかな」

 思い出すきっかけになりそうなことを幾つか並べてみても、手応えはない。

 そう話しているうちに箱の中の食糧は無くなっていて、彼女はヨナの顔を見上げて「もうないの?」と尋ねた。




「…ねぇ、もし私が、こうして食べ物を持ってこなかったら、あなたはどうするつもりだったの?この小屋、貯蓄があるようには見えないのだけど」

「わからないけど…小屋から出て、辺りを探し回ると思うわ。きっとどこかに食べられる植物や何かがあると思うから」


 辺り―――と言われても、ここは大木が一本あるだけの丘陵の天辺。食べ物を探すとなれば、真っ先に見つかるのは恐らく村の畑。

 その他となれば、毒の有無も分からないような野草が咲く草原くらいしか周辺には見当たらなかった。


「…やっぱり、一緒に王都に行こう」

「それは構わないけど…そしたら、この家はどうするの?持ち運ぶにはちょっと重いわ」

 そう言ってロベリアは天井を見上げる。

 当然、いくら龍人のヨナでも小屋一つ担いで王都まで歩けるはずもない。


「…うん、大切な物だけ持って、あとは置いて行くことにはなるよ」

「うぅん…それは、困るの」

「どうして?」

 ロベリアは手をもじもじと摺りながら部屋の奥を見る。

「私、あのベッドじゃないと絶対に眠れないから。他の場所で寝たら、私は真っ黒いお化けに食べられちゃうわ」

 その『真っ黒いお化け』というのが影の獣だということは分かったヨナだったが、特定の場所で寝ないとそれに食べられる―――というのは、考え直してもいまいち理解のできない説明であった。


「どういう、こと?」

「ううう、わからないわ。私の名前はロベリアで、夜は必ずあそこで眠るの。私は、それしか覚えていないの」

 何かを拒絶するかのように頭を押さえて、唸り声を上げながらロベリアはその場にしゃがみこむ。


 彼女の名前が刻まれた、何か特別な意味を持つその寝床。

 それに何か大きな秘密が隠されているような気がして、ヨナはロベリアの脇を通ってそのベッドに近付いた。


「駄目、触らないで。それは私しか触っちゃいけないの」

 後ろからしがみつくように、ロベリアはヨナのことを引き留める。

「…」

 その必死な様子を見て、猶更ロベリアの秘密を知らなければいけない義務感に駆られた彼女ではあったが、その場ではベッドに触れないことを約束して何歩か後ろに下がった。


「あのベッドを、手を触れないで王都に運べなければ移住は無理、ってことかな」

「…うん」

 とんだ無理難題であった。

 手を触れていいのであればヨナの力でどうにかなる余地はあったが、生憎触れずに物を運搬する手段に心当たりは無い。


 もし手を触れずに物体に影響を与える手段があるとすれば、それこそ魔女のなせる業に他ならなかった。


「ねえ、ロベリアは物を浮かせたりできないの?魔法の力で、ふわっと」

「うぅん…?浮かせる…?」

 よくわからないまま、ロベリアはベッドのほうに手を伸ばしてなんとなく力を込めてみる。

「…無理に決まってるでしょ。出来ないわ」

 彼女はそう言って、簡単に諦めて手を降ろした。




「そっか。…もう少し、時間がかかりそうかな」

 ヨナが王都からこの村に来るまでには荷車を走らせてくれる同行者も居たのだが、そう何日も待たせるわけにはいかない。

 彼女は、その同行者を一旦王都へ戻らせ、自身が帰還するのはもう少し先になりそうだということを伝えてもらうことに決めた。




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