第3話 黒い流星と蒼い焔
『先ほどのお礼です』
ガツンとハンマーで頭を殴られたような感触が脳を突き抜けた。
「俺は、俺は」
「ぎがん、ぎがん、てめえ」
俺は——優しくなんてない。
部長への復讐で、一家を殺そうとする心の汚い大人だ——。
『おじさんは優しい人だから、優しさは必ず廻ってきます!』
転んだ時に手を差し伸べただけなのに。
それなのに最高の笑顔を投げかけてくれた、少女の笑顔が脳裏に焼き付いている。
「たのむ、たのむ、たすけて……」
『けどさ、俺も誰かを幸せにして笑顔にしてさ、誰かも俺の笑顔で幸せになってほしい。一度でいいからそんな絵空事みたいな綺麗ごとみたいな時間を生きたいじゃないか』
胸の奥で、何かが、どくんと、跳ねた。
『忘れないでください、辛くても必ずです!』
先ほどまで全身を包んでいたどす黒い雲が霧散していくのが分かる。
『——個体が進むべき"生の道標"を読み取りました。システム"賢者の意思"へ再接続を開始』
聞きなれない女性の透き通るような声が聞こえる。
それは俺の足元、すぐ近くの茂みから響いた。
「なんだ?」
突如、スーツ姿の俺を取り囲むようにプラモデルのように小さい細かい部品が、次々と宙に浮き、俺の全身へと貼りついてくる。
それらは一つ一つの部品から部位になり、足、脚、と昇っていき、ついには頭部をも覆ってしまった。
パーツたちは隙間という隙間から白い蒸気をプシューと蒸気機関車のように吹き出し、真っ暗だった俺の視界は昼間のような明るさに変化する。
何が起こったのか理解する間もなく先ほどの透き通った女性の声が耳元で俺に囁いた。
『代用としてアトラス専用生体キーの取り込み完了。人物照合開始——住民ネットから照合——合致——義贋総司郎、三十五歳でお間違いないですね』
「あ、ああ」
俺は謎の部品に取り込まれたかと思ったら、いつの間にか全身強化スーツのようなものに覆われていた。
視界は夜なのに昼間にように明るく、バケモノや部長たちへターゲットサークルがせわしなく動き、何らかの数値を次々とはじき出している。
『敵対生物を便宜上、バブルと呼称します』
「バ、バブル?」
『現在、対異世界探索能力強化型パワードスーツ《アトラス》がマスターの全身へナノマシンを注入し、身体強化を図っています。その間オートモード起動、殲滅します』
首元へちくっと蜂に刺されたような痛みを感じた直後に、にゅるんと何かが体内に大量に注入されているのが実感できる。
しかもその間、オートモードとかいう奴のせいで、俺の身体は勝手に動き、腰を溜めたかと思うと、新幹線の車窓ですら見たこともないスピードで駆けだす。
「う、うあああああ!」
叫び声しか上げられずに反射的に目を瞑る。
『フィニッシュです』
そっと目を開けると、目の前には人気のない井の頭公園が見える。振り返ると、俺の右ストレートパンチで爆砕された獣の青焔がチラホラと空から舞っていた。
「俺が、やったのか」
『その通りです、マスター』
俺は自身の甲冑のような両手を見つめて何度か握りなおす。
何が、どうなってるんだ、この全身を覆う強化スーツってやつは。
思い出して俺が部長を見やると、部長は声にならない悲鳴を上げて、家族を置いて一目散に駆け出して行った。
俺は動けなくなっていた部長の奥さんに手を伸ばそうとして、そっとひっこめる。
彼女の顔は恐怖に染まっており、それ以上干渉することが躊躇われたからだ。
俺は彼女がベビーカーを押して逃げ去っていく姿を見て、ほっと胸をなでおろす。
結局のところ、誰かの命が助かる事は、心に安心感を与える行為だった。
『現実世界に漏れ出した泡は恐怖に値しません』
ほっとするのも束の間、冷静な女性の声が少しばかり得意げに語る。
『しかし一体何が何だか……』
井の頭公園の池に写った俺の姿はアメコミのヒーローみたいだ。
黒を基調とし、淡い緑色の線がところどころ模様のように走っている。
『ナノマシンによるマスターの個体概念の調整、及び人体強化完了。時間がありません。両足に力を込めてください』
「何のことだ、これで終わりじゃないのか?」
『空に残っている賢者の石が作り出した残滓<ポータル>へ、飛び込みます。全てが手遅れになる前に』
「ポータル? よく分からんがこれでいいのか?」
地面にしゃがみ両足に力を込めて、顎を引いて空を見上げる。
今日は月が綺麗だ。
「せーの」
言われるがままに軽くジャンプした——はずなのだが。
落下することなく弾丸のように空を切り裂いて昇って往く。
『Extreme coloringモード起動。事象の地平を突き抜けます』
全身から七色以上の光を発して、俺の体はぐんぐんと上昇する。公園の明かりはもう見えない。雲を超え、飛行機でも届いたことがないであろう空へと俺は一瞬で到達する。
『対概念浸食シールド展開、マスター、意識をはっきり持ってください。ご自分のことをお忘れにならないように』
「な、何のことだよ、何しようってんだ!」
雲は既に遥か足元に。
どこまで上昇するのか、ぐんぐん俺は宇宙を目指して天へと昇る。
その先に見えたのは月を背景に、薄緑色に光る見たこともない文字の海の塊だった。
『こんなとき人間は気の利いたことを言うと聞きました』
空気の摩擦の摩擦音なのか、ゴゴゴと低音がずっと響く。
『——そうでした。こういう時はこういうらしいです』
速度は減速することなく、目の前に迫った文字の海へ俺は突入する。
『無事でしたら、アイスくらいは奢りますよ』
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