5-2

「え、香澄ちゃん、それ……」

「ん? あぁ、この春に米国のコンクールでミーガン先生に評価してもらったって言ったでしょ。実は『一度、米国で活動してみないか』って誘われていて。本当は卒業したかったけど、先生の計らいで大学の枠まで用意してくれたからさ、都音は春学期で退学決定」

 皆には来週の門下会でも話すつもりだったけど。珍しく苦笑いを浮かべながら、練習室へと歩を進める彼女に「そうなんだ、おめでとう!」と思わず叫んでいる自分がいた。

「去年の武者修行で掴んだコンクールも、手応え感じたって言ってたもんね~。でもまさか米国留学なんて……デビューしたら、連絡頂戴! あ、後、日本に帰国したら、私の働く銭湯にも寄ってね!」

「いいよ! 本当に近い将来あるかもしれないから。後、ごめんだけど、私、不特定多数の人間が入った湯とか、生理的に無理だから、銭湯はマジ嫌」

「あー、まぁ、そうだよね……というか、それなのに、七月の銭湯イベントのオファー、受け入れてくれて、本当にありがとう」

「そうだよぉ。あけびと三浦君たっての願いを、断るのも礼儀に反するじゃん。ちなみに、件の芸術祭が、私の最後の日本での〝公演〟になるから、感謝しなさいよ」

 本質的には本心の言葉ながらも、若干同期に対するからかいが入っていることを、この四年の付き合いで私は十分に理解している。

「ほんとーに、感謝しておりますから。それで、私の力が必要なのは一体、というか、門下会、何弾くんだっけ?」

「ショパンはショパンでも『アンダンテスピアナートと大ポロネーズ』、一応、あけびの審美観、私、割と買ってるからさ。後、この曲、次の米国で弾く曲としても決めているし」

「おぉう、ポロネーズものでも、最難曲を弾くんだ。そう言っていただけて光栄……あ、ついでにさ、私も、プーランクの『ノクターン』について、ご意見頂戴!」

「プーランクとか……そもそもフランス六人組について私、何一つ知らないから。というか、今回の件といい、あけびも、一年の頃と比べて、随分図太くなったよね」

 きょとんとする私に「ほら着いた、予約時間がもったいない」とポニーテールを揺らしながら、彼女は予約室の扉を開ける。

 結局その日は、延長に延長を重ね、のべ五時間、香澄ちゃんと練習を共にした。心地よい疲労感の、雨後の夜道の帰路、最初で最後となった彼女の一対一の時間は、私にとって実に、最後の音大生としてのモラトリアムな一日といっても過言ではなかった。

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