45.屍を踏む ― 2

 笑えるくらいに上手くいった。


 邪魔な人間は全て排除し、これで自分は自動的に当主へと繰り上がり、近いうちに伯爵領を統治することになる―― ……はずだった。



 しかし、刑の執行日からしばらく。

 キラジャは侯爵邸の一室に置かれたベッドの上で、うつ伏せの状態で寝そべりながら、しかめっ面で窓の外の曇り空を眺めていた。






 キラジャは療養のため、再度侯爵家の本邸で厄介になっていた。


 子供とはいえ、裏切り者がのこのこと自領へ戻れば、前伯爵を支持していた層にどのような扱いを受けるか分からない。

 そういったわけで領主が消えたかの地は、当面の間ヴェラハーグが伯爵代理として管理することとなり、キラジャは傷を癒やすことに専念するよう命じられた。



 父や兄らが消えれば、自然と伯爵の座に収まることができると思っていたキラジャは、現実はそう甘くないことを知らされた。


 成人後の襲爵しゅうしゃくは約束されたものの、まだ年若いキラジャには、統治に関する権限を一切与えられなかったのだ。



 考えてみれば当然の話だ。

 たかが十三歳の子供に……それも目立った実績もない少年に、貿易の要である広大な土地を任せられようはずがなかった。



 指揮を執る大人が必要なのだ。

 能力があり、かつ甘い取引に屈しない正義感の強い者が。


 その条件に当てはまるのがヴェラハーグだった……それだけのことだ。



 だが、自己陶酔とうすいに浸っていたキラジャにしてみれば、大人達に酷く裏切られた気分であった。


 侯爵は『十六の誕生月を迎えれば、君の帰還を許可すると上からのお達しがあったぞ』と、処刑執行前に開かれた会合での決定を説明をしてくれた。


 加えて侯爵は今後三年間のキラジャと弟妹、さらには仲間の子供達の生活もまとめて保障してくれると宣言してくれた。


 最悪暗殺も危ぶまれる立場としては、この申し出は実にありがたかった。

 キラジャは大袈裟に喜んで見せたが、それでも落胆の気持ちをぬぐい去ることはできなかった。



 あれだけ体を張ったというのに、求めた成果を得られるまでに年単位の時間を要するとは……。


 彼は夜な夜な、悔しさで眠りにつけない日々を送った。


 そうでなくとも鞭の痕のせいで、常にうつ伏せか横向きの体勢を余儀よぎなくされているのだ。

 最近は分厚いかさぶたができ始め、少し身をよじるだけで赤黒い表面が割れ、血や変な色の汁が溢れ出てさらに痛む……。



 ―― “何故、私だけがこんなにも苦しまねばならないんだ……!!”



 大勢を断頭台に送った少年は身勝手な怒りを抱きながら、三年後に控える入領を楽しみに耐え忍んだ。






 ある程度傷が癒えて動けるようになると、キラジャは“より高度な教育を受けたい”と侯爵に頼み込んで、教師を付けてもらった。


 侯爵は向上心を評価し、弟妹や近場の孤児院に預けられていた仲間の子供達にも、同様に指導役を手配してくれた。



 将来配下となる人間にまで教育を施してくれる……この辺りの侯爵のはからいには、キラジャは素直に感謝をしていた。


 労せず手駒の質が向上する分、自分は他の物事に集中できる。

 それに大人になって一人だけ出世したとあれば、仲間を見捨てた薄情者として、せっかく上げた自身の評価が下がってしまう。

 皆で手を繋ぎ、周囲の大人に結束力を見せつけながら、のし上がるのが理想的なのだ。


 そんなキラジャの輝かしい未来設計を後押しするように、子供達は揃って『キラジャ様のお役に立つために!』と、必死になって勉学に励んでいるらしい。


 自ら動かずとも周りが勝手に努力してくれるのだから、キラジャとしては気楽なものだった。




 先に待つ未来の明るさ故か、キラジャは実家にいた頃とは比べ物にならないくらいに知識を吸収し、また伸ばしていった。



 “凡庸と呼ばれた自分でも、環境に恵まれれば、これほどまでに成長できるではないか!”



 キラジャは自分が誇らしかった。

 今までの平凡さは、手をかけて育ててくれなかった父親のせいだったのだ。


 親の不手際を物ともせず、自ら殻を破ってみせた。

 これがキラジャ・ルーゼンバナスの真の実力―― !!



 ……と、酔いしれていた矢先、キラジャはその後の人生観に大きく関わる人物と、衝突することとなる。



 それは教師の何気ない一言から始まった。



『キラジャ様は積極的にご質問されるので、我々も教え甲斐がありますよ。は私どもの指導など、必要としておりませんでしたのでねぇ』



 ―― “セルヴェン・アトラスカ”。


 同じ屋敷で暮らすその少年は、社交場にろくに連れて行かれたこともないキラジャですら、活躍を聞いているほどの有名人だった。


 幼い頃から頭脳明晰めいせきで、学者が挑むような数式を独学で解いたり、新種の生物を出先で偶然発見したりと、何かと話題に事欠かない少年である……しかも容姿端麗。


 将来は学者になるのも手だと、あのタスベデリッド・マレイ公爵が目を付けているという話も耳にしたことがある。

 つまりは、生まれながらに華やかな人生を送っている男というわけだ。


 自分とは正反対の人種だ。



 互いに接点は薄く、住み着く前に軽い挨拶を交わして以来だったが……キラジャは思い切って、効率的な勉強のやり方を尋ねに向かった。


 セルヴェンは子供にしてはかなり偏屈な部類に入るらしいが、自分とは年が近いし、何よりこのキラジャ・ルーゼンバナスであれば、どのような人間だろうと丸め込める自信があった。



 ちょうど廊下を歩いていた彼を発見して呼び止めたキラジャは、怪訝けげんそうな表情で振り返ったセルヴェンから、言葉を繰り出す間もなく先に問い掛けを受けた――。




『お前、誰だ? 客人の子か? 気安く話しかけるな。俺は能のない人間とは仲良くしない主義なんだ。まずはロッケナーの逆理を簡略でいいから説明してみろ。哲学書も読まない奴に割く時間などない』




 ……キラジャは呆れた。

 セルヴェンは本気で、キラジャの存在を認識していなかったのだ。


 怪我のため客間にこもり切りだったとはいえ、密告しに訪れた時期から数えれば、ひと月以上も同じ屋敷で暮らしていた人間をだ。

 彼は記憶する価値もないと、顔すら覚えていなかったのだ。


 流石にあんまりではないか?



 キラジャは咄嗟の出来事に、完全なる“無”に陥った。

 固まって動かない年上の男に、九歳のセルヴェンはつまらなそうに“フンッ”と鼻を鳴らすと、冷たく背を向けて去っていった。


 我に返ったキラジャは、トボトボとむなしく自室に戻った。

 そして時間差で追いついてきた悔しさに、枕に顔を押し付けて絶叫した。



 かつてない屈辱に、キラジャは危うく憤死ふんししかけた。


 “認識されていなかった”……これほど許せない話はない。

 あれだけ話題になったキラジャ・ルーゼンバナスに、同じ屋敷で暮らしている小さな英雄に、『誰だお前?』だと……?



 何が天才だ、時事問題にうとくて天才が名乗れるか。

 死ね死ね死ね、セルヴェン・アトラスカ、お前なんか死んでしまえ。いつかお前も断頭場に送ってやる。いやその前に、事故とか病気で死んでくれ。死なないのなら、おだてられるがままに学者になってろよ。


 政治の世界からいなくなれ、私の前からいなくなれ、金輪際こんりんざい関わりのない世界へ消えてくれ――。





 キラジャはセルヴェンと同じ空気を吸って生活するのが嫌で、侯爵に『仲間と共に高め合いたいので』と頭を下げて、自分と弟妹の住居を孤児院に移してもらった。


 仲間達は三人を歓迎した。

 キラジャは元々院で暮らしていた平民の子らをもたくみな話術で懐柔し、ついでに取り込んだ。


 皆で一丸いちがんとなって学び、奉仕活動に取り組んだ彼らは、同世代の中では抜きん出て自律した精神を獲得した。


 院を運営する大人や勉強を教えに来る教師などは、侯爵に『恐ろしいほどの統率力です』と恐れ半分で報告したが、侯爵は『それくらいの腕と度胸がなければ、かの地には戻れんだろうよ!』と笑い飛ばした。






 三年後……背が伸び、顔付きも青年らしく引き締まったキラジャは、再び故郷の地に降り立った。


 自領の中心部を見て回ったキラジャは、ヴェラハーグの手腕に思わず唸りを上げた。


 父の代にはなかった“治水施設”、“整備された街道”、“新たに生まれた町”……他にもたくさんの、文字通り目に見える成果が各地に並んでいるのだ。


 何より、出会う領民の顔色が明るい。

 それが全てを物語っていた。



 たった三年でこれだけ他人の領地を発展させるとは……。


 実を言うとキラジャは、父が消えた領地はどんな荒れた場所になっているのかと、若干の不安を抱えていた。

 あまりにも環境が悪いと、自分の代の統治が大変になるからだ。


 だが、最後に見た頃よりも輝いて見える領地を前に、、気分は晴れやかだった。




 ―― 舞い上がるキラジャは愚かにも、大人達の真意に気付いていなかった。


 王は何も、成長したキラジャに楽をさせてやろうと思って、善意で伯爵領の発展を命じたわけではない。


 ヴェラハーグに命じた任務は、前伯爵と懇意にしていた支援団体の解体や、現地民が秘匿ひとくしているかもしれない余罪の調査。

 別地方から異動してきた役人や騎士らの配属先の振り分けや、人材育成、その他諸々の改革など……とにかく腐敗した環境を一新することだった。



 人間が集団を形成して暮らしている以上、悪事というものはゼロにはならない。

 取り締まる側がどれだけ努力していようと、大なり小なり犯罪は発生する。


 ここで重要なのは、取り締まる対象に“狙い”を付けることだ。

 王は国全体を見なければならない……上に立つ者としては小規模の悪意よりも、国家にあだなす大物を優先したいというのが本音である。


 したがって、王の狙いとは伯爵領内にくすぶる不穏分子をあぶり出し、子飼いの少年を天辺につかせることによって、国に歯向かう凶悪の芽を未然に潰すことであった。



 万が一、キラジャに反逆の意思があっても、各地から招集した忠臣で取り囲んでおけば、“裏切り者の息子”の汚名がある以上は彼も下手は打てない。


 真に正義心に突き動かされて親兄弟を告発したのか……くだらない野心が暴走した結果なのか……少年の動機など、王にとっては些末なことだ。



 王がキラジャに望むことは、ただ一つ。

 “主人の手を噛まない犬でいてくれること”……それだけだった。






 キラジャは弟妹や仲間を置いて、一人先んじて伯爵領に移り、ヴェラハーグから一部執務を譲り受けていた。



 そして早速、書類の山を積み上げて苦戦していた。



 担当していたのは嘆願書の採否さいひ

 ヴェラハーグは『嘆願書を読めば、その地域が抱える問題の全体像を把握しやすい』という持論の元、三年の空白期間の肩慣らしにうってつけだと、この仕事を割り振ってきたのだ。


 無論、現段階では“領主見習い”でしかない少年に、大きな責任を伴う決定権を託したわけではない。

 最終的にはヴェラハーグが目を通し、キラジャに判定のコツを教えながら採否をやり直していた。



 断頭場での振る舞いを見て以来、キラジャに警戒心を持っていたヴェラハーグであったが……面倒を見るからには真摯に向き合うつもりでいた。


 この少年が至らないまま領主の座について困るのは、伯爵領の民だ。

 キラジャには失敗が許される今の状況を活用して、民のために成長してほしかった。


 これから任せようとしている他の仕事についても同様の流れを組み、任を終えるその日まで、少年を支えてやる覚悟だった。



 しかし、完璧主義のきらいがあったキラジャは“失敗”と“恥”が直結していた。


 彼はヴェラハーグの指導を受けることなく、書類を通したかった。

 でないと侯爵領で過ごした勉強漬けの三年間が、無駄であったと言われている気がしたからだ。


 だから毎度熟考して……熟考しすぎて……結局は時間内に目標の半分ほどの件数しか振り分けできず、ヴェラハーグに苦笑いされてばかりだった。


 それがとても嫌だった。

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