44.屍を踏む ― 1
【注意】
この回には暴力シーンが含まれております。
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―― キラジャ・ルーゼンバナスという男の人生は、裏切りで満ちていた。
キラジャはルーゼンバナス家の六男として生を受けた。
上に五人の兄と、五人の姉。さらに下には弟と妹が一人ずついた。
こうして兄弟が多いのも、伯爵である父が複婚だったせいだ。
父は女好きで、使用人に手を出して
どれだけ勝手気ままに振る舞おうと、家長というだけで誰も父に逆らうことはできない……キラジャはそんな家内の頂点に憧れを抱いていた。
しかしながら六男という立ち位置はなかなかに不自由で、家を継ぐ長兄、控えの次兄ほど期待されていない分、金のかけ方も教育の入れ込み具合いも粗雑であった。
その上に抜きん出て優れた分野や容姿を持たないキラジャは、兄弟の中で最も己が将来を悲観していた。
このまま行くと、自分は上り詰めても地方役所の管理官程度……その座すら、あぶれた兄らとの奪い合いだ。
幼少の時分より力量に見合わぬ自尊心を持て余していたキラジャは、激情の赴くままに大胆で恐ろしい計画を立てた。
リスイーハ王国の南西に位置する伯爵領は内海に面しており、古くから海上輸送を用いた貿易の要所として、大きな役割を果たしていた。
欲深い父はキラジャが生まれるより前から、国内外の商人達と結託して密輸業に手を染めていた。
キラジャは自分をここまで育て上げたとも言える、その
十三歳の誕生日を迎えた彼は、年の近い親戚の子供や、家ぐるみの付き合いのある商家の子供達を秘密裏に集めて、家門の危機を説いた。
―― “今の大人達は目先の利益に夢中になり、その粗末な行動が自らの一族を破滅へ導いていることに気付いていない!
……初めは『目立った才のないキラジャが何を言う』と、集まった子供達でせせら笑った。
だが、彼は立派な役者だった。
瞳の奥で燃える魂。身振り手振りと声の抑揚で上手く魅せた演説は、幼心の中に“道理に外れた正義”を芽生えさせた。
キラジャには人を
子供達を焚き付けると、そこからは早かった。
前もって父の不正を明らかにする証拠を集めていたキラジャは、人知れず資料を手に、侯爵領へと向かった。
突然やって来たよその六男坊が『自家の罪を暴いてください』と頼み込んでくるのだから、当時の侯爵……ヴェラハーグの父親は、それはもう驚いたものだ。
この頃のアトラスカ家とルーゼンバナス家は特別仲の良い間柄ではなかったが、キラジャがアトラスカ家を頼りにしたのは、この一族から裁判官が多く輩出されていたからだ。
特に男児は堅物で義理人情を好む傾向にあり、助けを求めるにはピッタリな相手だった。
『父が懐に収めた金で、一体どれだけの貧困者を救えたことでしょう? 無知だった私は、一体どれだけの屍の上で安らかな生活を送っていたのでしょう? 嬉々として悪行を語る父を、母を、そして両親の罪を支持する
涙ながらに訴える少年の青さを、侯爵はいたく気に入った。
アトラスカ家はひとまずキラジャを邸宅で保護し、持ち込まれた資料が確かなものか内密に調査した。
当然のことながら、結果は黒。
すぐさま王家へと報告を上げると、後日密輸に関わった一連の人物と、罪を黙認していた関係者が王立騎士団によって捕縛された。
罰を
そしてキラジャに協力して、自らの親も関与していたという情報を提供した、例の演説の場にいた親戚や商家の子供達だった。
爵位持ちの貴族が裁かれるとあって、国内では大々的に事件が取り沙汰された。
結論から言うと、判決は“死刑”。
捕縛された一同には斬首刑が言い渡された。
貴族内では罪の重さを問う声も上がったが、判決は覆らなかった。
これは数ある密輸品の中に、ユキヒョウの毛皮が含まれていたせいである。
ユキヒョウは流れの商人が王家に幼体を献上して以来、愛玩動物として可愛がられてきた生き物だった。
愛護の観点から国内では一切の取引を禁じられていたのだが、伯爵らは
たった一枚の取り扱いであったが王の怒りは凄まじく、報告書に目を通すなり、『同情の余地なし』と即断で極刑を命じたほどだ。
王族を絶対視する国民からは、『関与した血族はあまねく刑に処してこそ正義』と、処罰の範囲拡大を望む声が飛んだ。
キラジャや弟妹、親戚一同、商家の子供も含めて断首しろと……だが、この厳しい非難を落ち着かせたのが侯爵だった。
彼は『親の悪事を知りつつ閉口し、その利を共にむさぼった子にも罪があるとして……しかし過ちを正さんとする誠実な心には、手心を加えるべし』と声明を出した。
段々と断罪要求派の勢いがしぼんでゆくことにホッとしながらも、キラジャはあえて自身への
落ち着いたとはいえ、家族を売っておきながら、自分だけ難を逃れた子供達への風当たりは依然強い。
今後の成り上がりに必要不可欠である領民の支持のためにも、キラジャは『我が身をもって誠意を示す』として、民衆の前で辱められる決意をしたのだ。
恩情により、未成年者は一律刑罰の対象から外れていたが……侯爵はキラジャの心意気を“清々しい若者だ!”と称賛し、望み通り上へ話を繋いでやった。
王都の断頭場――。
キラジャの鞭打ちは
“鞭”と言っても、この手の刑に用いられる物は、先端が枝分かれした細くしなる木の棒である。
拘束もなしに、自らの足で堂々と
『私や私の同志に、不信感をぬぐえぬ者も多いでしょう!! しかし、我らは国家への反逆を見過ごせなかっただけのこと!!
観衆の反応は半々といったところだった。
『いいから早く執行に移れ!』と、
『なんと崇高な信念を持ったご令息だろう!』と、今からでも少年の鞭打ちを止めるべきと手のひらを返す人間が半分……。
覆面を被った
そして刑吏が短い掛け声を発すると、直後に“スパンッ”と小気味良い音が、広間一帯に響いた――。
キラジャは耐えられると思っていた。
家長になるためなら、他者を意のままに操るためなら、多少の痛みは耐えてみせると意気込んでいたのだ。
ただ、
気持ち良いくらいに成り上がりへの早道を駆け上っていた少年に、ここで誤算が生じた。
演出のために受け入れた鞭の味は、想像を遥かに超える激痛だった――。
観衆の沸く声や、弟妹、仲間の子供達の
歯が小刻みに震え、ガチガチと楽器のように音色を奏でる。
服の着用は許可されていたものの、鞭は難なく薄手の生地を破き、皮膚をも裂いていた。
こんなにも痛いのに、やっと一振り目……。
鞭は合計三度振るわれる。あと二度も、この痛みに耐えなければならないのだ。
『かわいそうに……すぐに終わらせてあげよう』
歓声と嘆きが飛び交う中、刑吏が哀れみをこめて呟いた。
“血に濡れた下賤の虫が……高貴な私を高みから見下ろすな!”
怒りやら後悔やらで感情が追いつかなくなっているキラジャの背に、二度目となる鞭が
―― スパンッ!
刑吏は無傷の部分を狙った。
通常は罪人の都合などお構いなしに鞭を振るのだが、鞭は一振りで血がにじむ威力。すでに傷を負っている
刑吏はキラジャの口上に感銘を受け、職務を全うしながらも手心を加えてくれたのだ。
当の本人は、そんな刑吏に心の中で
―― スパンッ!
そうこう悶えている間に、最後の鞭が振り下ろされた。
キラジャは汗と涙とだ液をダラダラと垂れ流しながら、刑吏に支えられて壇を下りた。
あまりの激痛に、今後軽率に名乗りを上げるのはやめようと誓った。
おいおいと泣く弟妹や仲間の子供達に取り囲まれるも、キラジャは“いいから早く医者のところに行かせろよ”と、足止めしてくる有志に怒りが心頭に発していた。
しかし、断頭場を去ろうとするキラジャの行く手を、さらに阻む者がいた。
“ワアッ!!”と、一層大きな歓声が後方で沸く。
観衆にとっての
『キラジャ様……どういたしますか……?』
腕を支える商家の少年が、不安げな声で尋ねてくる。
“何に対しての『どういたしますか?』、なんだよ?”
キラジャはふんわりとした疑問を投げ掛けてくる仲間に、苛々と鼻をすすった。
その時、観覧席からこちらへと手招きをしている侯爵の姿を発見し、キラジャは仲間に支えられながら彼の元を目指した。
『父上……まだ幼い子供達に、このような残虐な光景を見せるのは如何なものかと……』
『彼らを並の十代と一緒にするな! この者達は覚悟が違うのだ、覚悟が! 家族の最期を見届けたいに決まっとるだろう!』
観覧席へ向かうと、ちょうど若きヴェラハーグが、父親である侯爵に苦言を
キラジャとヴェラハーグは十四個も年が離れており、その差はほとんど親子のようなものだった。
しかも向こうにはすでに長子のセルヴェンが誕生しており、この処刑の年には九歳までに成長していた。
子育て中の親だからこそ、ヴェラハーグは未成年らしからぬ行動を取るキラジャを気に掛けていたのかもしれない。
キラジャにとっては行動の一つ一つを見張られているようで息苦しく、ありがた迷惑な話であったが……。
『侯爵様のご配慮にっ……感謝、申し上げますっ……!』
しぼり出された痛々しい声を聞くと、ヴェラハーグは渋い顔で自身の上着を脱ぎ、キラジャの肩に掛けてくれた。
彼は失禁で濡れた下半身を覆い隠そうとしてくれたのだ。
気を遣われてようやく己が恥に気付いたキラジャは、羞恥心から前かがみになってうつむいた。
背中を曲げると、ジュクジュクと熱湯をかけられたように鞭の痕が熱を帯びて痛んで、一層惨めな気持ちになった。
“痛みに負けない強い男児”として、格好良く話題になりたかったのに……これじゃあまったくの逆じゃないか……。
壇上では首切り待ちの列が何やらわめいているようで、その中の一人が観覧席のキラジャに向けて、叫びを上げた。
『キラジャァッ!!!! おまえっ、なんてことをしてくれたんだッ!!?? なにをしでかしたか分かってるのかッ!!?? だれがっ……だれがその年まで育ててやったと思ってるんだッ!!!! この恩知らずのボンクラがッ!!!! 一人だけ助かるなッ!!!! 助けろッ、わたしを助けろォォオオーーーーーーーーッ!!!!』
ぼさぼさの髪を振り乱して訴えかけてきたのは、薄汚い罪人と成り果てた父であった。
父の“恩知らず”という言葉に、キラジャはむかっ腹が立った。
みっともなく声を荒らげる“元”伯爵に続き、“元”夫人や、“元”子息令嬢が
『キラジャッ!!!! 違うのっ、お母様は悪いことなんてしていないのっ!!!! お願いっ、みんなに私は無実だということを伝えてぇ!!!!』
『死ね死ね死ねっ、お前も巻き添えにしてやるからなキラジャッ!!!! 一人だけ生き残るなんて許さないぞ!!!! 協力したそこのガキ共も全員祟り殺してやる!!!!』
『いったぁい!! 離してよぉっ、こんな汚いかっこうで死にたくなぁいっ!!』
『キラジャさんっ、あなた頭おかしいんじゃないのっ!!?? 家族を売るなんてどうかしてるわっ!!!!』
『みなさんっ、アイツに騙されてはいけませんっ!!!! キラジャは
血の繋がった母や兄姉らの罵声を皮切りに、他の夫人や異母兄弟らも口々に恨み言を並べるが、観衆にはまったく響いていない様子だった。
―― うるさいな、こっちだって小便垂らして痛みと恥ずかしさに耐えてるんだよ。
刑吏もさっさと全員の首を飛ばして終わらせろよ。私の背中の傷が悪化したらどうしてくれるんだ?
……キラジャは家族を睨み付けて、胸中で罵り返した。
少年は自責の念など、
いつだって自分が一番可愛い。
“家長になりたい”―― ……誰にも咎められず、好き勝手できる座につけるのであれば、彼は全てを犠牲にできた。
だが、他の子供達はそうはいかなかった。
伯爵一家と同じように壇上から自らを罵ってくる親族に、子供達は表情を凍りつかせて呆然と舞台を眺めていた。
己が密告したせいで身内が裁かれるという実感が、今になって湧いてきたのだ。
これでは、ふと我に返って離反する者が現れても仕方ない。
“まずい”と思ったキラジャは、咄嗟に
『我らの崇高な信念はっ……今日この日をもって、より強くっ……固く結ばれっ……王国に恵みをもたらすだろうっ……!! 悪に魂を売ったあの人たちのっ……かっ……代わりとなって……!!』
壇上を見据えたキラジャは痛みで言葉を詰まらせながらも、力強い口調で言い放った。
涙をこぼしながら発せられた、いたいけな強がりは、子供達の揺らぎかけた決心をさらに太い柱へと塗り固めた。
そばで聞いていた侯爵は満足げに頷き、ヴェラハーグは痛ましげな顔付きで少年の頭を控えめに撫でた。
加えて頭上から“パチパチ”と、騒ぎ声に掻き消されそうなささやかな拍手が届いた。
『良い心意気だ。親はああも醜いが、そなたの
その声は国王のものだった。
貴族が並ぶ観覧席の上階に用意された王族席から、声のみではあるが、確かに国の長が自分に称賛をくれたのだ。
『あっ、ありがたきお言葉でございますっ!!!!』
喜びを隠し切れない上ずった調子で、キラジャはすぐさま返答をした。
跡継ぎである上の兄らならまだしも、父の気まぐれな行為によって生まれた自分が、まさかこの国の頂点からお声掛けを
キラジャは束の間、背中の痛みを忘れるほど高揚した。
彼も一国民として、王族を敬う気持ちは
他の貴族に比べれば、キラジャの敬意は薄い部類に入るだろう。自身を取り巻く父母や兄姉らがそうだったので、必然同程度の認識しか育たなかったのだ。
それがどうだ?
たった一言……あの威厳溢れる声を聞いただけで、形容し難い感情の爆発が体の芯から湧き起こり、
能力は並。容姿も並。特技もなく、生まれ順は下から数えた方が早い。
誰からも期待されずに育ってきた少年はこの瞬間、一生覚めない夢に囚われた。
王が“期待している”とおっしゃったのだ……
王はキラジャの真の目的を知らずに声を掛け、キラジャはそんな王の何気ない称賛を暴虐の肯定に結び付けた。
キラジャは頬が緩むのを必死でこらえ、ついに支度の整った舞台へと目をやった。
最初の犠牲者として選ばれた父が、屈強な刑吏に首根っこを掴まれて断頭台に体をくくり付けられる。
全力で身をよじらせて暴れていた父も、いよいよ逃げ場がなくなると
『キッ……キラジャッ……!! たのみゅっ……だれかっ……たすけっ――』
ひと拍子遅れて声をしぼり出した父が言い切る前に、空に昇っていた刃が“ダンッ!!”と大きな音を立てて地に落ち、首をはねた。
キラジャは宙を舞う父の生首と目が合った。
ギョロリと浮き出た初老の男の目玉がこちらを凝視していた。
時間の流れがとてもゆっくりに感じられた。
恐怖に染まった死に際の間抜け面がとても滑稽で……キラジャは最後まで情けない姿を見せる父に無性に腹が立って、演技ではなく、心からこみ上がってくる涙を流してしまった。
『つらいなら見なくていいんだぞ……君は……君達はまだ子供なのだからな』
観衆の盛り上がりが最高潮に達する中、ヴェラハーグから生っちょろい言葉を掛けられる。
彼のこういった人の良さが嫌いだった。
生理的に受け付けないのだ。こちらは覚悟を持ってやっているというのに、綺麗事ばかり。
キラジャにならい、取り巻きの子供達も誰一人として目をそらさなかった。
皆、
親兄弟が続々と首をはねられてゆくも、顔を伏せることなく壇上を見据える少年少女の姿に、観覧席の貴族達は手を叩いて彼ら、彼女らを称えた。
周囲が残虐な光景を前に盛り上がる一方で……ヴェラハーグは子供達の団結力に、少しだけ恐ろしさを感じていた。
まだあどけなさの残る子供達が寄り添い合い、集団を率いる少年の腕を取って支え、彼の熱意に当てられて涙している。
一見感動的とも取れる関係性だが、場を制するこの影響力……これこそ先刻父が口にしていた、彼らを並の十代と一緒にしてはいけないことへの裏付けである気がした。
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