43.屍を生む
「それでは、我々は部屋の外に控えておりますので……何か御用がございましたらお申し付けください」
「ええ、ありがとう」
イリファスカは廊下から顔を覗かせる伯爵家付き、侯爵家付きの双方の護衛兵に微笑むと、扉が完全に閉まった音を確認してから、ソファーに腰掛けている家族の元へ向かった。
応接間内では、カジィーリアが
イリファスカは空いていたキラジャの隣に座り、カジィーリアは香り漂うカップを一家の前に置き終えると、従者らしくソファーの脇へと移動し、話し合いが始まるのを待った。
するとキラジャが、カジィーリアに横目をくれて言った。
「カジィーリア、お前も座りなさい。何のためにアデュシーンが間隔を詰めていると思ってるんだ」
「それは……ですが、よろしいのでしょうか? わたくしは一介の侍女ですのに、アデュシーン様のお隣など……」
「構わん。立ち食いさせるわけにもいかんからな」
「……あの、どういう……?」
疑問符を浮かべるカジィーリアに、キラジャは顎をしゃくって、焼き菓子が盛られた皿を指した。
「誰も手を付けていなかったら料理人が悲しむだろう?」
片眉をクッと上げたキラジャの言わんとするところを、カジィーリアは理解した。
昔からキラジャは出先での飲食を好まなかった。
付き合いで要人と食事を共にすることはあれど、避けられるものは極力避ける……それが毒殺を
そして甘い匂いのする皿に手を伸ばして、一家の代わりに菓子をつまんだ。
「さて、何から話したものか……とりあえずは病気についてだな。今は健康体に見えるが、もう完治したということか? そもそも病名は何なんだ? 不調を感じた辺りからの状況を詳しく説明しなさい」
「はい……初めて不調を感じたのは――」
話を振られたイリファスカは、不安げな声で現在に至るまでの経緯を説明した。
一連の出来事について静かに耳を傾けていたキラジャは、娘が話し終えるとソファーの背もたれに寄り掛かり、天井を見上げて深々と溜息を吐いた。
「セルヴェン……あの知識馬鹿め……能天気なところはヴェラハーグにそっくりだな……まったく腹立たしい親子だ……」
扉の外に声が漏れぬようにと抑えめの声量で毒づいた父は、本気で苛立った様子で眉間にシワを刻んでいた。
直球すぎる悪口を前に、どう答えたものかと悩んだイリファスカであったが……ひとまずは思い付く事柄から順に話した。
「帰省中、セルヴェン様から第二夫人の噂についてのご返答をいただきました。お相手とされるミフェルナ様に関しては、ご祖父様であらせられるタスベデリッド前公爵様に配慮して目をかけていたとのことで……その、出回っているような間柄ではないらしいです……あの方は私のことを……気に入っておられる、ようですので……」
「だろうな。女遊びできるほどセルヴェンは器用ではないし、ちんちくりんの孫など、マレイの生まれでなければ奴は
キラジャは真横に座るイリファスカの肩へと腕を回し、細い体を抱き寄せて体を密着させた。
親子とは思えぬ距離感で……しかも回した手の先で、猫の輪郭を撫でる風にスリスリと顎をくすぐってくる……。
セルヴェンに触れられた時とはまた違ったゾワゾワとした感覚に、イリファスカは全身をこわばらせた。
菓子を食しながら出方をうかがっていたカジィーリアも、これには動かざるを得なかった。
「キラジャ様、お嬢様は病み上がりのお体ですから……あまりお近付きになられては――」
「お茶も飲みなさいね、カジィーリア。旦那様から勧められた菓子は天にも昇るおいしさでしょう?」
チェラカーナはカジィーリアの声に被せて言った。
母の台詞に合わせ、アデュシーンは口を付けていない自身のカップをソーサーごと持ち上げ、カジィーリアの前へと移動させる。
張り詰めた空気に急き立てられ、カジィーリアは渋々カップの取っ手をつまみ、茶を一口流し込んだ。
対面席のやり取りに、イリファスカも“ゴクリ”と音を立てて
崇拝に似た
その隣でアデュシーンは、茶を渡せばあとは大人達の会話には興味がないといった様子で、目前にある菓子の減った皿をぼんやりと眺めている。
実家にいた頃から、連れ子である自分に敵意をむき出しにしていたチェラカーナはまだしも……まだ小さな弟が、このような冷え冷えとした場に慣れてしまっていることに衝撃を受けた。
「ところで、過去に侯爵領で不正が行われていたという記録を見つけなかったか?」
「え……?」
父から思いがけず問い掛けられたイリファスカは、その意図がくめずに言葉を詰まらせた。
「過去の事業はどうだ? 消えた帳簿などはないか?」
「いえ、そのようなものは……ヴェラハーグ様は公明な御方ですし、役人達も仕事に関しては真面目な人間ばかりですので……不正などは……」
「……ふむ、そうか……つまらん……実につまらん男だ、ヴェラハーグ……だから息子達もつまらん人間に育つのだ……」
矢継ぎ早に尋ねるキラジャだったが、期待した返事が得られないと明らかに落胆し、視線を床に落とした。
「まぁ……お前に大事がないと確認できたのであれば、今回はそれで良しとしよう。十八年も手間をかけて育てた娘だ、呆気なく死なれては困る。ヴェラハーグから知らせを受けた手前、やむを得ず見舞いに来たが……健康なら長居する必要もないな。我々は明日の朝に発とう。あまり領地を空けたくないし、それに長いこと私と時間を共にしていると、お前もまた体調を崩してしまうかもしれんしな。ハハッ、ハハハハッ―― !」
おかしそうに笑い出すキラジャの声が、室内に響いた。
悪魔が実在するならば、こんな風に鳴くのだろう。
イリファスカはそう思いながら、否応なしに耳から入り込む男性ならではの低い声域に耐えた。
しかし、キラジャは突然パタリと笑い声を止めると、口角を上げたままイリファスカをじっと見つめて言った。
「今のは笑うところだぞ?」
「ぁっ……ごっ……ご心配がっ、身に染みましてっ……!」
「……っ、キラジャ様っ……!! お嬢様は心の疲れが原因で倒れられたのでっ、試すかのような物言いはっ――」
意味もなくいびりを始めるキラジャに再度カジィーリアが口を挟むと、彼は自身の唇の前に人差し指を立てて、『しーっ』と息を吐きながら扉の方を一瞥し、沈黙を促した。
「今日のお前はどうかしているな。飼い鳥がうるさく鳴く時の対処法を知っているか? くちばしを粘着剤で繋いで二度と開けなくするのだ。
年下のあるじと同じ、見慣れた色味の瞳に捕らえられて、カジィーリアはこめかみから汗をしたたらせた。
いざ庇い立てすると、やはりよせばよかったという後悔が襲ってくる。
「カッ、カズはわたしのためを思って……!! どうかおっ、お目こぼしをっ……!!」
イリファスカが焦って懇願するも、父はカジィーリアの手の甲にできた汗溜まりを眺めて、処遇を考えているようだった。
見る見るうちにカジィーリアから血の気が引いていくと……キラジャは『クッ!』と喉を鳴らして、破顔した――。
「クハハッ!! 冗談だ、二人共そう真に受けるな! ずっと私から咎めを受けると思って緊張していたのだろう? ちょっと意地悪をしたくなっただけだ……病から生還した我が子と、その面倒を見てくれた侍女にむごい仕打ちなどできるものか……ククッ……!」
綺麗に生え揃った歯を覗かせて、キラジャはまたイリファスカの顎を指先で撫でた。
「替えの利く人間のために泣き付いてくるなど、なんと愛らしい子だろうなぁ、イリファスカ……お前は本当にハリリィに似ているよ。内面だけでなく、成長した姿も
キラジャは首を傾げて、イリファスカの後頭部に自身の頭をこてんと乗せた。
こちらとて望んでされるがままになっているわけではないのに……頭がおかしくなりそうな可愛がりを耐えていると、次の瞬間キラジャは指を止めて、輝きに満ちた笑顔でとんでもない台詞を吐くのであった――。
「ちょうどいい、セルヴェンを殺そう」
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