42.空涙 ― 2

「イル……イルッ……イルッ―― !!」



 生死の境をさまよった娘に頬をすり寄せ、痛ましい声を響かせる父親……。

 なんと感動的で、冷遇していた側からすれば、罪悪感を煽られる光景だろうか?



「神は何故、私から最愛の人間を奪おうとするのかっ……!! お前までいなくなったら、私はっ……私はっ……!!」



 キラジャの悲痛な叫びに合わせて、チェラカーナは目を閉じて静かに頷き、アデュシーンはまたしゃくりを上げて泣き始めた。

 一家の後ろでは美しき家族愛に涙を誘われ、鼻をすすり出す使用人まで現れる始末……。


 輪の中心に立つイリファスカは、自らをしいたげてきた者達が揃って悲しみを演出するこの異常な状況に、めまいがしていた。



 長すぎず、短すぎない抱擁を終えると、キラジャは内ポケットから取り出したハンカチで目元をぬぐいながら、イリファスカと向き合って話し始めた。


「出迎えの姿を見てギョッとしたよ……立っていて大丈夫……なん、だよな? 頼むから無理はしてくれるなよ、父の心臓に悪い……」

「すみません、遠方からわざわざお越しいただいて……公務のお邪魔をしてしまいましたわね……」

「愛する娘より大切な公務などあるものかっ―― !! ……いや、今の発言は立場的によくなかったな……君達、聞かなかったことにしてくれるかな?」


 そう言って、キラジャは侯爵家側の使用人達に目配せをして笑いを誘った。


 二人は疑いようもなく、仲睦まじい親子に見えた。

 イリファスカがどれだけ心で拒否していようとも、体に叩き込まれた同調の癖は反射的に出てしまうのだ。


 父にとって都合の良い言葉が口から飛び出す度に、額に脂汗がにじむ。

 己で表情を制御することさえ叶わない。いざ家族を前にすると、“再会を心待ちにしていた侯爵夫人むすめ”を演じなければと、強制的に意識が切り替わってしまう――。



「ふふっ、相変わらず生真面目な御方ですわね……さぁ、お話の続きは屋敷の中で行いましょうか。アデュシーン、おいしい焼き菓子を用意してあるから、たくさん食べていってね?」

「グスッ……うんっ……! いただきますっ……!」


 純朴な子供というのは、存在するだけで空気が和らぐ。

 イリファスカは小さな弟に話を振ることで、なんとか身を震わせることなく直立を保っていた。



 イリファスカの案内により、一同は応接間へ移動することになった。


 アデュシーンと手を繋いだイリファスカが先頭をゆき、次いでカジィーリアとチェラカーナが横並びで進み、四人の後を追うように使用人らがぞろぞろと列をなす……。


「ご無沙汰しております、奥様……」

「今の“奥様”はイルでしょう、カジィーリア? ……あなたも今回は大変だったことでしょう。色々と感謝しているわ」

「いえ、わたくしは何も……」

「そう謙遜しないで。伯爵領に戻ったら慰労の品を送るわ。遠慮なく受け取って」

「……ありがたき幸せに存じます……」


 隣をゆくチェラカーナから話し掛けられると、カジィーリアは硬い表情のまま、うやうやしく頭を下げて謝意を示した。


 カジィーリアが同席を申し出る前に、チェラカーナの方から『侍女であるあなたから見た最近のあの子の様子を、ぜひ教えてちょうだいな』と誘われ、カジィーリアは怪しみながらも同意した。



 そして最後尾では――。


 ユタル家令と数名の使用人を引き止めたキラジャが、前方の列との開きも気にせずに話し込んでいた。


「これは伯爵という立場から指示するのではなく、個人的な頼みなんだが……もう少しイリファスカを気に掛けてやってくれないか? 贔屓目なしに見ても、あの子はよく働き、侯爵領に尽くしていると思う……ヴェラハーグ様からも良い評価をいただいているしな……だから……その……一人の親としてだな……? 娘が嫁ぎ先で、不当な扱いを受けているとなると……とても……複雑なのだよ……分かるだろう……?」


 キラジャは時折天を仰いだり、鉄柵てっさくの外に広がる平原に目をやったりして、涙をこらえながら皆の同情に訴えかけた。


 それはヴェラハーグが称していたように、まさしく“子煩悩な父親”の姿だった。


 立場と家族愛の板挟みに苦しむ父親を、一体誰が疑おうか?

 

「女神のように敬えと言っているのではない……ただ他の貴婦人のように、健康的な生活を送ってほしいだけなんだ。あの子は真面目だから、一人で溜め込みやすい……どうか話を聞いて支えてあげてくれ。君達のこれからの仕事ぶりを信じているよ。命に関わる知らせなど、もうごめんこうむる……」

「その……我々こそ、何と申し上げてよいやら……かしこまりました……」


 ユタル家令は答えづらそうに呟いてから、大人しく頭を下げた。

 他の使用人達も苦々しい表情で同様に腰を折ると、キラジャは目鼻を赤く染めたまま、囁き程度の声量で『ありがとう』と感謝を述べ、皆を残して屋内の方へと一人足早に進んでいった。

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