46.屍を踏む ― 3

 伯爵領に戻ってきてから、キラジャの心は日に日にすさんでいった。

 ヴェラハーグから助言を受ければ受けるほど、己の至らなさを痛感した。


 それに……聞いてしまったのだ。

 領の中心都市にある役所に出向いた際、休憩場で中年の役人達が自分をあざけっているところを――。



『ヴェラハーグ様もこのまま伯爵領に残って、統治を続けてくださればいいのにな』

『あの御方は次期侯爵様だからな。地元に戻ればより高い地位につけるんだから、ここに留まる理由なんかないさ。二人目のご子息の教育もあるしな』

『密輸の罰則で国からの援助金が削減されるって時に、右も左も分からないボンボン領主に交代か……親子揃ってろくなことしないね。ルーゼンバナスもおしまいなんじゃないか?』

『お坊っちゃんも先代の処刑前に披露した啖呵たんかは立派だったんだがなぁ……子供に期待なんてするもんじゃないな』



 談笑する役人達の声に背を向け、キラジャは足早に廊下を去った。



 “誰が聞いているとも分からぬ場で、このような無礼を発言をっ……罰当たりな奴らめ……!”



 キラジャはこけにされた恨めしさを役人達にではなく、彼らの会話内に登場したヴェラハーグとセルヴェンに向けた――。




 ヴェラハーグ、セルヴェン。


 どうしてお前達親子は私を馬鹿にするんだ? 私の邪魔をするんだ? 私から奪おうとするんだ?


 私は家族を裏切ってまで今の座を掴み取ったのに、お前達親子は私の欲しいものを最初から持っていて……卑怯じゃないか。


 だいたい密輸の告発は善行なはずなのに、どうしてやらなきゃよかったなんて言われるんだよ?


 だって“民のために”という気持ちは少しくらい持ってるんだ。

 自領を発展させようと努力してるのにボンボン呼ばわりしやがって、あの役人ども今に覚えていろよ。


 だいたい僕はお金をかけられずに育ってきたんだ。ボンボンなんて言われるほどいい生活は送っていないんだ。

 どいつもこいつも好き勝手言いやがって……鞭に打たれる覚悟だってないくせに。上から説教するなよな。



 僕は王に評価されてるんだ。期待されてる。

 僕を馬鹿にする奴らはみんな死んでしまえばいいんだ。いつか全員やり返してやるからな。



 ヴェラハーグも、セルヴェンも。



 みんな、みんな――。
















『それで? 相談って、何についての相談なんだ?』



 ヴェラハーグはソファに腰を下ろしたきり返事を寄越さないキラジャに、どうしたものかと首をひねった。



 二人は同じ住まいで生活していた。

 そこはキラジャの生家……亡き伯爵一家が暮らしていた屋敷であった。


 こうした所有者のいなくなった屋敷に、後任の人間が住み着くという話は別段珍しいことではない。

 以前の居住者の名残を消そうと、家具や装飾を総入れ替えする新規入居者も多い中、ヴェラハーグは遺品整理を兼ねた仮住まいとしてこちらを使用していたため、キラジャにとっては懐かしい……家族との負の思い出があちらこちらに漂っていた。



 ―― そう、キラジャは悔しさ、やるせなさに耐え切れず、、深夜近くに彼の私室を訪れていたのだ。



『……ずっと認めてもらいたくて頑張ってきたのに……あっちじゃ上手くいったことが……こっちじゃ上手くいかなくて……善行をしたはずなのに悪く言われるし……最近は何をやっても思い通りにならなくて……』

『ああ……つまり理想と現実の乖離かいりに苦しんでいるということだな?』



 うつむきがちにポツポツと打ち明けたキラジャは、ヴェラハーグの指摘に静かに頷いた。



 最近の様子から何となく予想はついていたものの、ヴェラハーグは駆け出しの若人わこうどにありがちな悩みだなと内心溜息を吐いていた。


 領民のために成長はしてほしいが、だからといって褒めて伸ばす手法を選ぶと、野心を焚き付けてしまう恐れがある……。


 伯爵領に戻ってきてからの覇気のなさは何とも哀れだが、ここは適当に流して自室へ帰らせようか―― ……と、ヴェラハーグが考えている間に、キラジャは投げ掛けられた“理想”という言葉を脳内で反復させ、認めたくない自身の本心に気付かされていた。



 自分は何でもそつなくこなすヴェラハーグや、彼の息子である天才セルヴェンを“理想”の枠に据え置き、無意識のうちに二人を目指していたのだ。



 家族を売って、偽りで身を固めてここまでやって来たのに、“理想と現実の乖離に苦しんでる”だって……?



 平凡な“現実じぶん”が……“理想ふたり”を追いかけて―― ……。




『―― ぼくはぁ”っ”……ヴェラハーグ様たちみたいに”ぃ”っ”……完璧になりだぐでぇ”っ”……!!!!』




 キラジャはたまらず、うつむいたまま涙で濁った声を張り上げた。



 突然ボロボロと泣き始めた少年に、ヴェラハーグは面食らったようにまばたきを繰り返した。



『たくざん勉強じたのに”ぃっ……!! あ”っ、あ”いつじゃダメだって陰口言われでぇ”っ……!! くやじいのに”っ……今のできないっぷりじゃっ、その通りかも”っでぇ”っ……!! じぶんでも思っでるじぃっ……!! い”っ、い”っばい復習じでっ……!! 毎日質問じでっ……!! な”のに全っ然仕事おぼえられなぐっでぇっ……!! どうずればいいのがっ、もうわがんなぐっでぇっ……!!』



 グズグズになって鼻水まで垂れ流すキラジャを呆然と見続けていたヴェラハーグは、少々の間の後に『ふっ』と笑みをこぼした。



『ふっ―― ははははっ!!!! お前、結構可愛いことを言うじゃないか!! 案外打たれ弱かったのだな!?』

『ハァ”ッ”……!? ぼくはっ”、真剣な”んですよ”っ……!? な”んで笑ゔんでずかぁ”っ……!?』



 キラジャが礼儀のなってない口の利き方をしても、ヴェラハーグはおかしそうに笑うだけだった。



 “出来の悪い子ほど可愛い”……というやつだろうか。


 泣き言を口にするキラジャの情けない姿はまさに、ヴェラハーグが息子セルヴェンに求めていた年相応のいじらしさであった。

 贅沢な話だが、セルヴェンにはこういった風に泣き付き―― ……とまではいかなくとも、子供らしく障壁を前にした時に、親である自分を頼ってほしかったのだ。


 だが息子は早熟で、一人で解決法を見つけ、乗り越えていった。

 次男のビズロックに望もうにも、まだ二歳の幼児は他人の手を借りて当然の年頃だ。

 その辺の子供の面倒を見ているのとは、また違った欲なのだ。これは。



 消化不良な親心……教育欲を刺激されたヴェラハーグは、途端にキラジャを見る目が変わった。


 皮肉にもキラジャを助けたのは、彼自身が引け目に感じていた“平凡さ”であった。


 “平凡”であったからこそ父を出し抜き、ヴェラハーグの警戒を解いた。

 『こいつにそこまで深い考えはないだろう』と思わせる突出した部分のなさが、キラジャを救ったのだ。



 ただ、この時は本人も狙って演技したわけでもなかったので、キラジャは純粋に激昂し、破顔するヴェラハーグの鼻っ柱に拳をお見舞いしたくてたまらなかった。



『いやぁ、すまんすまん……! お前は本気で悩んでいるんだものな……! だがなぁ……こればかりは経験と年齢の差だ。お前は子供で、私は大人。諦めて受け入れるしかない。公務で関わる人間については、そうだな……彼らは人柄よりもまず能力を求める。能力が備わっていて初めて、人柄を評価してくれるのだ。そういった者達を黙らせるにはな、結局のところ磨いてきた腕を見せつけるしかないんだよ』



 ハンカチを寄越しながら語るヴェラハーグに、キラジャは“説教が欲しいわけじゃないんだよ”と口をとがらせながらも、受け取った布で目尻をぬぐった。



『不服そうだな? だが聞いておけ。お前は早まりすぎなんだ。腕を磨くには“時間”が必要だな? “時間”はお前がこれから出会うであろう、たくさんの困難を解決してくれる。もしくはその手助けをしてくれる。お前は今の自分を不甲斐ないと思って、手っ取り早く能力を高める近道を求めているんだろうが……そんな道は存在しないし、探すだけ“時間”の無駄なのだから、一つ一つ堅実に進めていくのが一番だと私は考えているよ。お前の性格にも合っていると思う』



 ヴェラハーグの暑苦しい励ましは、意外にもひねくれ者のキラジャに響いていた。



『でもみんな……ずっとヴェラハーグ様の統治がいいって……』

『みんなって、領内の全ての人間に聞いて回ったのか?』

『……違いますけど……』

『だろう? いつか“ずっとキラジャ様の統治がいい”と言わせるくらいに、成長してやればいいのさ。私だって成人したばかりの頃は、青年期の父と比較されて苦い思いをしたものだ。舐めてかかってくる相手は往々にして現れる。。“崇高な信念の元、王国に恵みをもたらす”……だったか? 前にそんな風なことを言っていただろう? こんな所でくじけていては、夢を果たせないぞ』



 ヴェラハーグから放たれるその一言、一言が、弱り切っていたキラジャの心を鼓舞こぶした。

 


 “人にはそれぞれのやり方がある”



 “事を成すには時間を要し、時間は多くの困難を解決してくれる”



 “何より大切なのは、己を信じ抜くこと”―― !!




 ヴェラハーグはいいことを言った!

 キラジャはカーテンを閉め切った真夜中の室内にいるにもかかわらず、外で日の昇る明け方の地平線を眺めているような清々しさを感じていた!



『ありがとうございますヴェラハーグ様っ!! ぼく―― ……私は、少し弱気になっていたみたいですっ!! 今のお言葉っ、とっっっっても感銘を受けましたっ!!』

『おいおい、立ち直るのが早いな……まぁ、明日からの公務もそのくらいの負けん気で挑んでくれよ。この先もっと大きな壁にぶつかるだろうが、鞭打ちよりは楽なものだろう?』

『はいっ、その通りですっ!! ヴェラハーグ様が伯爵代理の任を請け負ってくださってよかった!! あなたとの巡り会わせはっ、私にとって人生最大の幸運ですっ!!』

『はは、本当に調子のいい奴だな!』



 調子がいいだなんてとんでもない。

 ヴェラハーグは愉快そうに笑っていたが、キラジャは心から彼との出会いに感謝していた。



 この夜を境に、キラジャは自身の至らなさを多少ではあるが、受け入れられるようになった。

 ヴェラハーグは失敗してもへこたれず付いてくる少年を弟のように可愛がり、どこへ向かうにも経験を積ませるために連れて歩いた。



 いい関係だった。

 居づらさを覚えていた故郷で、キラジャは最も頼れる味方を得たのだ。



『お前はよくやっている。周りには何とでも言わせておけ』

『努力を続けていれば、理解者は必ず増えてゆく。今は耐え忍ぶ時だ』

『おっ、上出来じゃないか。私の指導はもう必要ないかな?』



 ヴェラハーグはいつも前向きな言葉を掛けてくれた。

 穏やかな気質のこの男は、存外傲慢なキラジャと相性が良かった。



 ちょうど親交を深めていた頃、ヴェラハーグは故郷で偏屈さを加速させているセルヴェンとの関係性について、悩みを抱えていた。


 妻のカザディアから頻繁に送られてくる、近況や相談事を書かれた手紙を読んでは溜息を吐き、息子と年の近いキラジャに“お前はどう思う?”と、意見を求めてくるのだ。


 内容はかなりしょうもないというか……くだらないものが多かったが……キラジャはヴェラハーグがそうしてくれたように、自らも聞こえの良い言葉を掛けてやった。



『男児は親に反抗したくなる生き物だ。彼もいずれ親の偉大さに気付く』

『あなたは親としても男としても完璧だ。だから奥方様も頼りにしたくなるのだろう。セルヴェン様が羨ましい。代わってもらえるのであれば、息子の座をお譲りいただきたいくらいだ』

『気苦労の絶えない中、自分の面倒を見てくれていることに感謝している。あなたの下でなければ、こんなにも意気盛んに物事に取り組めなかった』



 口が回るキラジャのおだてに、ヴェラハーグは決まって『お前はいい奴だな』とはにかんで、機嫌を良くした。



 まさしくキラジャが理想としていた家族像だ。

 与え合い、高め合う……それが家族というものだ。


 ヴェラハーグに言っていた、“セルヴェンが羨ましい”という台詞は半分本気だった。

 家族に恵まれ、才能に恵まれ、容姿に恵まれ……やっぱり、あの少年だけ持ちすぎている。卑怯じゃないか。


 ヴェラハーグはが、セルヴェンへの嫌悪だけはなくならなかった。



 ヴェラハーグは公務に関することだけでなく、男性貴族のたしなみである狩猟や、世渡りのコツも教えてくれた。


 この地を去ることが決まっているのが惜しいくらいに、キラジャは先達せんだつとしてのヴェラハーグを好意的に見ていた。






 しかし、別れの日は予定より早く訪れた。

 侯爵が急死したのだ。






 突然の訃報ふほうに、ヴェラハーグはすぐさま故郷に帰還した。


 侯爵は会議中に胸を押さえて倒れ、そのまま帰らぬ人となったらしい。

 当初は暗殺を疑われたが、遺体を調べても毒物が検出されなかったことから、いわゆる原因不明の突然死として処理された。



 緩やかな環境は人を軟弱にしてしまう……。

 キラジャは世話になった恩人が亡くなってしまった悲しみよりも、強制的に独り立ちさせられる流れに不安を覚えていた。


 これでヴェラハーグは、急死した父親の跡を継いで侯爵位を襲爵する。

 当然こちらの面倒を見ている余裕はないし、キラジャの元にやって来た王城からの使者の存在が、より焦りを掻き立てた。


 使者から渡された公文書には、ヴェラハーグとキラジャの襲爵の儀を同日に執り行う旨が記載されていた。



 以前まで待ちわびていた伯爵の座だが、今や成人後まで待ってくれと頭を下げたくなるほど重責で、遠ざけたいものに変わっていた。


 統治についての不安は勿論のこと、まずは侯爵領に残してきた弟妹と同志達を引き取らねばならない。

 近々呼び戻すつもりではあったが、こうなってしまっては“いつまで世話になっているつもりだ?”と誰かにつつかれる前に、早めに回収しておかねば……。



 親殺しのツケは、親代わりというわけだ。



 だが、キラジャに道を示してくれるのは、いつだってヴェラハーグだった。



 彼は去り際、『困ったことがあればを頼れ』と言い残していた――。

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