37.地獄への道は善意で敷き詰められている ― 2

「セルヴェンッ!! あなたねぇっ……下りてきていたのなら声を掛けなさいっ!! どうしてこんな大変な時ですら連絡を寄越さないの!? イルが倒れたなんて話、役人達から聞かされなきゃ私達知らずじまいだったのよ!? この子は自分から言い出す子じゃないんだから、夫であるあなたがちゃんとしないとっ……!! ……聞いてるのセルヴェンッ!?」



 カザディアから非難を受けたセルヴェンは、声を荒らげる母ではなく……イリファスカの隣でさも当然のように手を添えて並び立っている、ヴェラハーグに鋭い視線を集中させていた。



 セルヴェンは血の繋がった父親に嫉妬していた。

 自分以外の男が気安く妻に触れていることが許せなかった。


 例えばイリファスカが外で倒れた際、支えたり抱き上げたりする相手がグリスダインや他の下男げなんのように身分が低い男であったなら、己の脅威となりえないため多少目をつぶれたが……ヴェラハーグは実父と言えど、己と同等に位の高い貴族。


 イリファスカが惹かれてしまうような“万が一”の要素を持った人間は、身内であっても接触を見過ごすことはできなかった。



 セルヴェンはひっきりなしに投げ掛けられる母の金切り声を無視して階段を下りると、表情をこわばらせたイリファスカの肩を掴み、ヴェラハーグから引き剥がすように自身の方へと強引に引き寄せた。


 ぎょっとするイリファスカを腕の中に閉じ込めると、父が触れていた背の一部分を執拗しつように撫で、驚きの目を向けてくる両親に威圧感を放ちながら、ようやく言葉を返した。


「急に押しかけてこないでくれ。連絡は後日するつもりだった。回復したばかりの身で見舞い客の相手をしていると、イリファスカもいつぶり返すか分からないからな」

「まぁっ!! 相変わらず親に向かってなんて口の利き方なの!? そういった考えを伝えてくれれば、私達も日を改めたわよ!! 王都だったら侯爵領とは距離があるから、手紙の返事がこなくても我慢できたけれど……ここから別宅までは二時間もあれば行き来できるのよ!? 使いくらい送りなさいっ!!」

「母上の性格上、来るなと注意しても来るからな。迷惑なんだよ……そういうお節介なところが……」

「おっ、“お節介”ですって―― !? 私はねぇっ、あなた達を心配してっ……!!」


 息子の一言にカザディアはカァッと顔を赤くし、鼻息荒く反論に出ようとしたところをヴェラハーグに止められた。


「お前の言う通りだ……我々の配慮が足りなかったことは詫びよう。しかし、連れ立つ女性には敬意を払いなさい。お前の尊大な態度には昔から慣れているが、先程の乱暴な振る舞いは品格を疑うぞ。まさか日頃からああした態度を取っているのではないだろうな? 所長の座に上り詰めた者が、感情をむき出しにして伴侶に当たるなど情けない……イルを離しなさい。身を固くしているじゃないか、可哀想に……」

「人の妻を馴れ馴れしく愛称で呼ぶな。俺ですら短縮せずに呼んでいるというのに……」

「何を言い出すかと思えば……はぁ……そんなちっぽけなことで苛立っていたのか? お前も好きに呼ばせてもらえばいいだろう……いい大人が愛称がどうのこうのと……子供じゃないんだから……」


 ヴェラハーグに痛いところを突かれたセルヴェンは、余計に眉間のシワを深く刻んだ。




 ……この親子は事あるごとに衝突し合うので、イリファスカは何かと気を使うことが多かった。

 今も自分が割って入り、どうにか場を収めなければという気持ちに駆られた。


「お義父様、私は大丈夫ですので……! あの、ここではなんですから、応接間に移動してお話しませんか? やはり私も情報を共有しておきたいですし……」


 セルヴェンの腕の中で顔を傾け、作り笑顔を見せて話すイリファスカに促されたヴェラハーグは、気まずそうに唸りながら素直に頷いた。



 “セルヴェンを一人で向かわせると、何を話したのかとにかく気が気でない”……そうお馴染みの不安を抱えていたイリファスカは、尽きぬ苦労に内心溜息をこぼした。


 すると次の瞬間、イリファスカの体がふわりと宙に浮いた。



「ヒッ―― !?」



 イリファスカは思わず悲鳴じみた声を上げてしまった。

 セルヴェンが自身の膝裏をすくい上げ、横抱きに―― ……いわゆる“お姫様抱っこ”の体勢を取ったからだ。


 イリファスカはたまらず解放を要求した。


「ひっ、一人で歩けますのでっ!! 下ろしてくださいっ!!」

「掴まっていないと落ちてしまうぞ」


 セルヴェンは慌てるイリファスカに一瞥をくれると、そのまま歩みを進めてしまった。



 運動を得意としないセルヴェンであったが、細身の女性を抱き上げるだけの力は有していた。

 階段を下り始めると流石に揺れが恐ろしくなったイリファスカは、仕方なく彼の首に手を回して、嫌々ながらも上体にしがみ付いた。


 使用人達の好奇の目や、後方にいるカザディアの『あらまぁ……!』という興奮した声がイリファスカの嫌悪と羞恥心を煽る。


 対してセルヴェンは、束の間の妻との密着に喜びを噛み締めていた。


 皆の前で彼女が自分の物であることを印象付けるための衝動的な行動であったが……香水でも身に付けているのか、はたまた本人の体臭なのか、イリファスカが発するほのかな甘い香りが鼻腔びこうをくすぐり、抱き上げる腕に一層力がこもった。



 この後の己の行動により、イリファスカをが―― ……これも試練だと、セルヴェンは自分自身に言い聞かせた。

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