25.ラ・ビンカでの悲劇…その後 ― 3

 ろくに食事を取らないまま、意気消沈とした二人は同じ馬車へ乗り込んで、研究所が提供する社員寮へと帰っていった。


 研究所の近くに建てられた寮は無論男女で棟の分かれた施設であったが……この期に及んで、労働時間外に同乗する重みにも気付けないセルヴェンとミフェルナは、車内でひたすらイリファスカに関する会話を続けていた。



 先に女子棟の門前に馬車が停まり、別れの挨拶を交わしたミフェルナが降りてゆく。


 女子供を優先して帰すくらいの常識は、セルヴェンも持ち合わせていた。

 それが他人の目にどう映るかはさて置き……小さな背中が玄関の奥へ消えたのをしっかり見届けてから、セルヴェンは御者に馬車を動かすよう命じた。






 自室に戻ったミフェルナは、湯浴みをする前にイリファスカへの謝罪の手紙を書くことにした。


 夫婦の食事の席に割り込むべきではなかったこと……自分は鈍感ゆえ、今日の急な退席の理由を当てることはできないが、もし自分の存在が原因であったならば、心からお詫びしたいという気持ち……その他、急な体調不良ではないかと体を気遣う言葉も加えて――。



 ……と、色々と書きつづっていくうちに、ミフェルナは己の軽率な行動への後悔が強まっていった。


 幼い頃から祖父や父の仕事に興味を示していたミフェルナは、同世代の子供の輪に入るよりも、男家族と連れ立って野外調査に出掛けることを好んだ。


 動植物の生態は知れば知るほど面白く、興味深くなっていった。

 公爵令嬢とは思えぬほど日焼けをして、茶会にも顔を出さぬ娘を心配したミフェルナの母は、彼女が十歳を迎えた辺りから本格的に注意を始めた。



『ミーちゃん、たまにはお茶会に参加しなさいな。親戚だけの集まりから始めましょう? あなたはただでさえ鈍感なんだから……そうやっておじいちゃまやお父様の後ばかり追いかけ回してると、大きくなってから人間関係で苦労するわよ?』



 “女には女の戦場がある”……そう言って、興味のある分野から自分を引き離そうとする母とは日頃から口論を繰り広げていた。

 その度にミフェルナを溺愛する祖父が助け舟を出すので、結局は折れた母が『好きにしなさい!』と、ぷりぷりと怒って引き下がっていくのだが……今思えば、母は今回のような事態を予測していたのかもしれない。


 悶々と思案に暮れながらも完成させた文を出勤鞄に仕舞い、気力を使い果たしたミフェルナはそのままベッドに倒れ込んで眠りについた。



 翌朝……湯浴みをしてから研究室に向かうと、事務作業用の席にはすでに頭を悩ませるセルヴェンが腕を組んで座っていた。


「おはようございます……所長、お手紙ちゃんと書けましたか?」

「あぁ…………一行だけだがな」

「つまり挨拶文だけってことですか!? 全然書けてないじゃないですかぁーー!!」


 ほぼ白紙の用紙を前に、セルヴェンは決まりが悪そうに後頭部を掻いて言った。


「今更何て書けばいいんだ……? 何をどう……謝ればいいんだ……?」

「それを自分で考えないとっ!! ありのまま、思い浮かんだ気持ちを書くのですよ!」

「思い浮かんだ気持ち……正直、何も浮かばなくて困っているんだが……とりあえず昨夜みたく、私の悪い部分をいくつか挙げてみてくれないか? それを基に謝罪文を作るから、彼女からの返事が届けば……そう……自分を見つめ直す機会にも……」


 一晩経って落ち着きを取り戻し、一人称も外向きのものへと変わったセルヴェンが情けなく言うので、ミフェルナはぶつくさと文句を口にしながらも、近くの椅子を引っ張り寄せて隣に座った。


「出だしは謝罪から……とにかく謝罪の言葉を書き連ねるのです! まずは宿屋の手配もなしに王都へ呼び寄せたことへのお詫びの気持ちを……次に侍女の方を無理に下がらせようとしたことへのお詫び……“久々に貴方に会えると思うと緊張してしまい、言葉が強くなってしまった”とか……そんな感じでどうでしょう?」

「いや、私は別に緊張していたわけでは……」

「もうっ! 所長が奥様に会えると思って浮かれていたのは班員全員が知っていますので! そういった見栄みえは結構です! ……今までよくこの感じで奥様への愛を語っておられましたね? 最早詐欺さぎですよっ!」

「“詐欺”っ……!? 昨日から君っ……あんまりにも散々な言い様じゃないかっ……!?」


 ミフェルナの酷い物言いに衝撃を受けながらも、セルヴェンは素直に指導を受け入れて謝罪文を構築していった。


 手紙を提出するために早朝に研究室へとやって来ていた二人だったが、時間は刻々と過ぎ、他の班員達も続々と出勤してくると、事情を聞いた皆が手紙作成に加わり始めた―― ……。



「ここの言い切りはマズくないか? 所長の性格上、下手に出て謝ることすら怪しいのにこんな風に全ての非が自分にあると断言するのは違和感が――」

「いえいえっ、昨日は本当に酷い空気になってしまったのでっ、これぐらいしつこく書いておかないと奥様には絶対に伝わらず――」

「というか、すぐに追いかけずに今更になって手紙を出したところで無意味じゃないか? それなら直接領地におもむいて、直接頭を下げないと本心が――」

「だからそれに先駆けて手紙を出しておくんだろう? この人のことだから顔を合わせたらまた墓穴を掘るに決まってるんだから、せめて手紙で予防線を張っておくぐらいは――」

「……頼むから一斉に喋らないでくれ……考えがまとまらん……」


 多方からワーワーと展開される論争の声に、うなだれたセルヴェンの呟きは掻き消されていた。



 ―― そこへ新たに出勤してきた班員がまた一人、部屋に入室してきた。


「おつかれさまでーす。お休みいただき、ありがとうございましたー…………って、みんな何してるの? 今度の祝賀会の発表原稿でも考えてるの?」


 彼はオーズ・カグラー。

 子爵の親戚筋にあたる家の出で、家格は高くないがセルヴェンと似通った思考の持ち主であるがゆえに、開発班の中では右腕的な存在として活躍していた人物である。


 ラバン・カーツの開発が一区切りつき、最近ようやくまとまった休みが取れるようになった班員達は、順番に短期休暇を取っていた。

 そうして、ちょうど休暇と取材の日が被ったために先日のイリファスカとの対面を逃していたオーズは、ミフェルナから込み入った事情を聞き、空いていた席に座って、“所長にちゃんとした手紙を書かせる会”の論争に参加した……。


「なるほどなぁ〜……まっ、おかしいとは思ってたんだよ。こんな偏屈な人と私生活を楽しめる人間なんているわけがないんだよ。所長と同じで、他人にまっっっっっっっったく興味を持てないボクが言うんだから間違いないね」

「なっ……!? わっ、私はオーズより常識を備えているっ!! “まったく”というほど他人に興味がないというわけでもないしっ……というかっ、妻を他人扱いするなっ!! 妻には興味あるっ!! あるからこれだけ悩んでいるんだろうがっ!!」

「ボクも他の班員も、多少は自分が変わってるって自覚があるんですけどねぇ……その点、あなたは自覚なしときた。今更矯正きょうせいするのは難しいんじゃないかな? 年も年だしね」

「グッ―― !? オーズッ……お前ぇぇぇぇっ……お前なぁぁぁっ……!?」

「せ、先輩……ちょっと言い過ぎじゃないですか……?」


 手加減なしの駄目出しがグサグサと突き刺さり、返す言葉もないセルヴェンを見かねてミフェルナが擁護に回るが……オーズは飄々ひょうひょうと続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る