24.ラ・ビンカでの悲劇…その後 ― 2

「あの……所長は本当に奥様のことを愛しておられるのですよね?」

「何……? 愚問だ……愛していなければ食事に誘うはずがないだろう? 貸し切りの予約だって……誰かのためにこれほど気を回したことはない……この俺が……」

「その……申し上げにくいのですが、“この俺が”という態度が問題なのだと思います。研究所で別れる前の奥様は、ラ・ビンカに来るのをとても楽しみにしておられたように見えましたし……もしかすると料理の中にアレルギーを持つ食材が含まれていて、体調を崩されて急遽退席されたのかもしれませんが……そのぉー……」

「……なんだ? はっきり言ってくれ……俺はまだ自分のどこがいけなかったのか分からないんだ……俺はアトラスカ家当主だ……家長として当然の振る舞いをしていただけだというのに……」


 珍しく助言を求めてきたセルヴェンに、ミフェルナはひと呼吸置いてから、答えづらそうに言葉を返した。


「……たぶん、奥様は所長のそういう横柄おうへいな態度が苦手なのだと思いますよ」

「……………………ん?」

「さっきも色々と注意しましたけど、侍女の方を下がらせた後に奥様にも強く当たられていましたよね? あれは本当に最悪でした……もしわたしが誰かからあんな態度を取られようものなら、その人のことを一瞬で嫌いになる自信があります」

「やっ……あっ、あれは俺も動揺してだなっ―― !? というかっ……侍女が席の後ろにずっと張り付いて離れようとしないのがおかしいんだろうっ!? いくら出先で心配だったとはいえだぞっ!?」

「うーん……そこはわたしも何故譲らなかったのか分かりませんが……その後の領地についてのやり取りも最悪でしたよ。夫婦の会話って、もっと穏やかなものじゃありませんか? お二人とも、お互いに仕事の関係者と仕事の付き合いのために会食してる……みたいな雰囲気でしたし……何より――」


 耳が痛くなる指摘の連発に、セルヴェンは“まだあるのか……”と、げんなりした表情で続きを待った。


「なんでしょう……なんていうか……所長って、職場にいる時と奥様の前に立っている時とでは人が変わりますよね。うちのおじい―― ……祖父や父は、当主の座にあっても家族には優しかったですよ? あんな風に冷たくなるのは、不正を働いた使用人や部下を咎める時ぐらいです。……はぁ……でもやっぱり、わたしがお邪魔だったっていうのもありますよねぇ……やっちゃったなぁ……」

「不正っ……!? いやっ……俺は別に冷たくしてるわけじゃっ……!!」


 がっくりと肩を落とすミフェルナを前に、セルヴェンは衝撃を受けたように驚きの声を漏らした。



 そう……セルヴェンのえとした接し方は、何もイリファスカに限定されたものではない。

 自尊心の高いセルヴェンは愛情の有無に関係なく、自分より頭脳や家格が上……もしくは対等であると見なした相手以外には、総じて無意識のうちに厳しい態度を取ってしまうのだ。


 はっきり言うと、彼は潜在的にイリファスカのことを

 彼女は伯爵家の出……学はそれなりにあるが、その程度では“枠”を越えられない。


 普通は愛しい相手にほど優しくなるものだが、セルヴェンは総合的な価値で優劣をつけてしまう気質の持ち主だったので、妻であるイリファスカに対してもその他大勢の人間と同じ扱いをしてしまっていた。


 たちが悪いのが、セルヴェンはそれでも本気でイリファスカをことだった。

 なまじ恋愛感情を抱いているからこそ、妙に張り切っていい格好を見せようと空回っていた。



 セルヴェンはイリファスカと自分が相思相愛の仲だと、今まで疑ったこともなかった。


 だって……好きでもなければ、毎月手紙を送ってくるはずがない。

 仕事に関する内容以外にも、イリファスカは毎回いたわりの言葉や取り留めのない話題を欠かさず書き込んでいた。

 好きでもない相手に誰がそんな余計な手間をかけられる? 少しでもやり取りを続けたい証拠だ……好きでもなければ、面倒な領地運営など代わってくれるはずがない。


 たまの休暇に屋敷に帰った時、彼女はいつも甲斐甲斐しく出迎えてくれた。

 滞在中は『疲れが溜まっているだろうから』と、こちらを束縛することなく好きに行動させてくれたので、仕事の悩みも忘れて安眠できるのが嬉しかった。

 二日、三日休めばまた王都に向けて出発するのだが、当然イリファスカはその際の見送りも怠らなかった。


 こんなにも尽くしてくれるのは、向こうにも気持ちがあるからに決まっている。

 婚約が決まったばかりの頃は年の離れたイリファスカをうとましく感じたものだが、こんな偏屈へんくつな自分を文句の一つも言わずに支えてくれる彼女のことが、今となっては愛おしくて仕方なかった。



 ―― ……と、セルヴェンは未だに自身とイリファスカの“愛”を疑っていなかったが、実際は、イリファスカにとって毎月の手紙はのつもりでしかなかったし、労りの言葉や取り留めのない話題はただの用紙の余白埋め……味気ない手紙を送って『お前は情味がないな』と言われたくなかった彼女が、義務感で書いていただけだった。


 領地運営についても同じ……彼が初夜の翌日に王都へと旅立ってしまい、不在を聞きつけた役人達が『世代交代を済ませた後だというのに、侯爵様がいなくなったら誰が領地をまとめるんだ!?』と屋敷に押しかけてきたので、仕方なく自分が請け負っただけだ。

 帰省中の気遣いも、長く馬車に揺られ続けたせいで、見るからに機嫌が悪いセルヴェンの不興を買いたくなかっただけ……文句はそれとなく伝えているのに、上手くくみ取ってくれないセルヴェンのせいで、あえなく撃沈しているだけだった。



 ……イリファスカだって王都にやって来るまでは、なけなしの好意が残っていた。

 優秀なセルヴェンに認めてもらえたならば、実家で“”と呼ばれていた自分にも自信が持てる気がした。


 それなのに、待てど暮らせど一向にセルヴェンはイリファスカを評価してくれなかった。

 身内に感謝の気持ちを伝えることに気恥ずかしさを覚えていたセルヴェンは、変に威厳を見せようと言葉を出し渋っていた。

 それがこんな事態を招くとも知らずに……。



 イリファスカはたった一度でいいから、彼の口から称讃が欲しかっただけなのだ。

 『よくやった』と自分の働きを褒めてもらいたかった。堅物な彼から笑顔を向けられたかった。彼の時間を独占してみたかった――。


 なのにセルヴェンは、その全てをミフェルナに捧げた。


 わずかながらに残っていた想いも、先に席について談笑していた二人を見つけたあの瞬間に枯れてしまった。

 セルヴェンが今更態度を改善したところで、イリファスカの中にやり直しを望む気持ちは残っていなかった。



 何もかもが手遅れ……せめて走り去るイリファスカを追っていれば希望はあったのかもしれないが、セルヴェンはひたすら自分の欠点を探そうと悩むばかりで、行動に移らなかった――。



「とりあえず帰りましょうか……もう食事どころではありませんしね……奥様を探さないと……」


 ミフェルナが溜息を吐いてから話すと、セルヴェンは椅子の背もたれにドサリと体を預け、諦めたように返した。


「いや、いい……今度手紙を出す……いま顔を合わせても、また何かしでかしそうで嫌だからな……」

「えぇっ!? で、でもっ……時間が空いてから話を蒸し返す方が、印象が悪くないですかっ……? こういうのって、あんまり先延ばしにしない方がぁ……」

「無理だ……もし本当に苦手意識を持たれていたらと思うと、たえられん……いまは気持ちの整理がつかない……会えない……」

「もぉ〜〜っ、所長の意気地なしぃ! ……じゃあ今日のところは大人しく宿舎に帰りましょう。―― っで! 明日の朝イチに手紙を出すのですっ! 私も同席してしまったことへのお詫びの文を書きますからっ、同封してください! ……奥様は元々取材後にすぐ王都を発とうとしていらしたので、もしかしたら今夜にも街を出ていかれるかも分かりません。明日速達で出して、配達人が街道ですれ違えば直接お渡しして……そうでなくとも、お屋敷に戻られてすぐにお読みいただけるように間に合わせるのです! 分かりましたね所長っ!?」


 しぼり出された提案に、セルヴェンはうつろな目で宙を眺めて言った。


「明日か……早いな……一晩で文がまとまるかどうか……」

「まとめてください! まとめなければっ、奥様が所長に愛想を尽かして出ていかれるかも分かりませんよ!?」

「出ていくって……俺達は夫婦なのに、そんな簡単に出ていけるものか……」


 こんな事態に至っても、セルヴェンはまだそんな悠長な台詞を吐いていた。

 彼もまた、昔ながらの結婚観に囚われた一人だった。


 『誓いを交わした者同士、離婚するなどありえない』……聞かずとも分かるセルヴェンの心境を見抜いたミフェルナは、一段と渋い表情になっていた。

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