第17話
『そうなの。そのアニメがすごく面白くてね! ぜひ、咲斗くんに観てほしいなって思ってて』
ある日の晩のこと。
俺は自室でひなたと電話をしていた。普段はメッセージのやり取りが多いが、たまにこうして電話がかかってくる。
そのときに暇ならば応じるといった感じだ。今日は風呂も済ましてあとは寝るだけというタイミングだったので話すことにした。
「ブルーレイ持ってるんなら貸してくれれば観るけど」
『確かにそうすればいいんだけど、わたしとしては一緒に観たいというか……そんな感じなんだけど』
俺から誘ったデートの日から、ひなたは自分の気持ちを口にするようになった。
彼女からすればまだまだ我慢しているらしいけれど。全ての欲望を解放したらどうなるのか、それは恐怖でもある。
「急な話だけど、明日ならうち行けるかもしれないぞ」
『そうなの?』
「ああ。確か両親も妹も出掛けるって言ってたから誰もいないし」
『誰もいないんだ……』
そのとき、電話の向こうのひなたの声が小さくなる。
「あ、いや、違うよ? 別に変な意味じゃなくて! あんまり家族に見られたくないからさ」
『どうして? 家族に紹介できない彼女なのかな?』
「そうじゃないけど。うちの両親は確実にからかってくるだろうし」
中学の時から女子と関わったような話をすると「お、彼女か?」「咲斗にもついに春が来たのね」とうざったい絡みをしてきていた。
もし彼女ができてひなたを紹介なんかしたらどうなるか予想ができない。
『わたしは嬉しいけど』
まあ。
家族が家にいるときに呼べない理由はもう一つあるのだが。どちらかというとそっちの方がメインの理由になる。
「いや、両親もそうなんだけどそれ以上に厄介なのが――」
そう言おうとしたとき、俺の部屋のドアをコンコンとノックする音が聞こえた。
もちろん電話中なのですぐに返事はできなかったが、俺の返事を待つことなくそのドアが開かれる。
「ねえねえお兄」
妹が入ってきた。
榊小咲。俺の二つ下で中学二年生だ。
黒髪のボブ。俺の妹にしては容姿は優れている方だろう。中学生の割には発育もよく、家事なども手伝う優良妹であることは確かだ。
もちろんそれだけで終わらないから困っているのだが。
「部屋に入るときはノックしろって言ってるだろ」
「したよ?」
「あれはノックとは言わないの。さっきお前がしたのは入室前にドアを叩いただけ。俺の返事を確認して初めてノックは成立するって何回言えば分かるんだよ」
「そんな確認しなきゃいけないようなことしてたの?」
むすっと不機嫌そうに言う。
「そういうことじゃない。お前だって着替え中に俺が部屋に入ったら怒るだろ?」
「別に」
ふいっと顔を背けながら小咲は言う。
「ホントだな? じゃあ今度入るからな? 絶対怒るなよ? 近くにあるもの手当たり次第に投げてくるようなベタな反応見せるんじゃねえぞ?」
「いいよ。その代わりママに言うから」
「何も良くないけど!?」
「パパにも言いつけてやる」
「ほんとに一日くらい家追い出されるから冗談で終わらせとけよ」
俺と妹が言い合えば確実に両親は小咲の味方をするだろう。
俺がどれだけ真実を言おうと、小咲の捻じ曲がった嘘を信じるに違いない。痴漢の冤罪と同じである。恐ろしきや冤罪。
「ていうか、そんな格好で家の中をうろつくな」
小咲は風呂上がりらしく、知らない間に俺のタンスから盗んだダボッとした大きめのシャツを一枚着ているだけだった。
さすがに外ではしっかりしているんだろうけど、それでもちょっと心配になる。
「なに、実妹に興奮してるの?」
ぷーくすくすとわざとらしく笑いながら小咲が言う。
「するか。一ミリもしないわ」
実妹って言葉を使った人始めて見た。わざわざ実ってつける必要ないもんな。
「へえ。言うじゃん。どれどれ」
じりじりと詰め寄ってきた小咲は俺の隣に座る。バレてはマズイと思い、俺は咄嗟にスマホを隠す。そういえば通話を切るのを忘れていたが、ひなたが切ってくれているだろうか。
しかし。
小咲は俺のその一瞬の行動を見逃さなかった。
具体的に言うならば、普段しないスマホを隠すという行為にしっかりと違和感を覚えやがったのだ。
「なんで今スマホを隠したの?」
「別に隠してないけど」
「じゃあ見せて?」
「嫌だ」
「やっぱり隠したんじゃん。なんで?」
小咲に彼女がいることがバレるのはあまりいいことではない。厄介なことになる未来しか想像できないのでここはなんとしても隠す必要がある。
やむを得ない、肉を切らせて骨を断つか。
「ちょっとエロい感じのサイト見てたんだよ。さすがに妹に見られたら恥ずかしいからさ」
「どんなの見てたの?」
「絶対興味ないじゃん」
「そんなことないよ。実妹としてお兄の性癖は把握しておいた方がいいだろうし」
「そんなことないよ。あとわざわざ実妹って言うのやめよ? なんか逆に血が繋がってないのかなって思われるから」
「誰に?」
「……世の中のみんなに」
「なにそれ」
ふん、と呆れたように鼻を鳴らす小咲。どうやら誤魔化せたようだ。
「さ、スマホ見せて?」
どうやら誤魔化せてなかったようだ。
小咲は無理やりに布団の中に隠したスマホを奪おうと俺の前を通って布団の方に手を伸ばす。すると、彼女の体が俺の体に当たるのだが、そこで柔らかい感触と若干硬い何かを感じる。
俺がそれを感じたということは、もちろん小咲の方も感じたということで、彼女はハッとして俺の方を睨む。
「なに妹の胸の感触楽しんでるの? お兄の変態!」
「さっきまでの発言ならせめてエロには寛大であれよ!」
「うるさい!」
その瞬間、隙アリと言わんばかりに布団の中に手を伸ばした小咲。
妹の体がぐっと俺に押し付けられるが、どうやらそれは我慢したらしい。俺は咄嗟に止めることができずについにスマホを奪われてしまう。
マズイ。
ひなたは通話を切ってくれているだろうか?
「お兄……」
「な、なんだ?」
「誰、この子……」
驚いた顔の小咲が俺の方を向く。そして、スマホの画面を俺に見せてきた。
そこに映っていたのはひなただ。さっきまでは普通の通話だったが、何故かビデオ通話に切り替わっていた。
「あ、いや、それは」
「めちゃくちゃ可愛いじゃん。アイドル? どこの配信サイトで見れるの? ていうかなんでこれ隠してたの?」
「それは……」
どうやらどこぞのアイドルの配信だと思っているらしい。
小咲の頭には俺にこんな可愛い彼女ができるはずがないという固定観念があるのだろう。
だから、そもそもそういう結論に至らないんだ。結果的に助かったけれど、でもそれはそれで何か腑に落ちないな。
「また後で教えてやるからとりあえず出ていってくれ。俺はその配信を観るのが最近の楽しみなんだ」
とりあえず小咲の勘違いに乗っておこう。
納得したのかはともかく、小咲を部屋から追い出すことに成功したことで、ようやくスマホの画面と向き直る。
「ごめん。ドタバタしちゃって」
『ううん、それは別に。仲良いんだね? 何なら、ちょっと仲良すぎるくらい?』
「いや、まあ、どうなんだろ」
そうは言いながらも、本当のところは分かっている。
自分で言うのもなんだけど、小咲はそこそこのブラコンなのだ。
あんな調子だけどもし彼女ができたなんてことが知られればどうなることか、考えると面倒な未来しか見えない。
「ちょっと疲れたから、話の続きは明日でいいかな?」
『うん。大丈夫だよ。それじゃあおやすみなさい』
「おやすみ。また明日」
通話を切る。
さっきまでは感じなかった疲れがどっと襲いかかってくる。俺はそれに負けるようにベッドに倒れ込んだ。このまま寝てしまおうか、そう思っていると再びドアがノックされる。
「なん――」
俺が返事を言い終える前にドアが開けられる。
「さっきのアイドルの配信サイト教えて」
「だから返事を待てと」
「してたじゃん」
「最後まで聞け」
その後、しつこく配信サイトの詳細を訊いてくる小咲を誤魔化すのに三十分近くかかってしまった。
そんなもの存在しないのだから、教えれるはずがない。
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