第8話


 その日の放課後。


 今日はアルバイトがあるのでゆっくり下校を楽しむことはできないが、それでも香月と一緒に帰るのは約束するまでもない日課なので帰り支度を進める。


 いつもならばこうしている間に用意を済ませた香月がやってくるのだけれど、今日は中々姿を見せなかった。


 それを不思議に思った俺は彼女の席の方を見ると、彼女の周りに人集りができていた。

 といっても集団ではなく、数人だけど。


 それでもこれまで見たことのない光景に俺は驚きを隠せないでいた。


「他クラスの奴だよ」


 俺がぼーっとそれを見ていると、相変わらず二人で一緒にいる仲良しコンビ、高木と佐藤が俺の二つ前の席から言ってくる。


 今更だけど、俺の席は窓側一番後ろの大当たり席だ。二つ前の席は高木のもので、そこに佐藤が来ているということになる。


「うちのクラスの男子共は香月のビフォーを知ってるからな。ああなってもそこまで騒ぐことはない。まあ、女子はちょいちょい嫉妬めいた陰口叩いてるけど」


 高木に続いて佐藤も相変わらずの毒を吐く。


「香月は地味だった上に可愛くもなかったからな、他クラスになると視界に入ることもなかったんだろ。だから、突然美少女が現れたって構図が完成する」


「おい、彼氏の前でそんなこと言うなよ」


「おっと、悪い」


 注意されて佐藤が口を手で抑える。

 別に気にしてないけど、気にする相手からすれば鬱陶しいだろうなあ、佐藤は。

 でも、リアクション的に本当に悪気はないんだろう。それが逆に厄介でもあるのだが。


「彼氏としては誇らしいんじゃないのか?」


 高木が言うが、俺は少し悩んでからかぶりを振った。


 それには二人とも驚いていた。

 まあ、確かにあれだけ注目の的になるくらいに可愛い女の子の彼氏、となるとそういう考えにもなるんだろうけど、香月のことを考えると一概にそうとも思えない。


 でもあれは俺の為にしたことでもあるから否定するのも良くないだろう。


 そもそも、別にあのイメチェンを悪く思っていはいないが。


「なんだろうな、上手く言葉にはできないけど、ちょっと複雑な気持ちだよ」


「あれか、俺だけが知っていた香月がみんなに見つかってしまった、みたいな?」


「……まあ、そうなのかな」


 否定しても話がまとまらなさそうだったから、俺は高木の言葉に曖昧に頷いた。


 しかし、あれだけ囲まれていたら帰れないんじゃないだろうか。

 助け舟を出すべきか、ここか一人で先に帰るべきか。香月は困っているだろうか。

 目立つのが嫌で注目されるのも苦手だから困っているだろうけど、もしかしたら新しい感情が芽生えているという可能性も……ないか。


「帰るわ」


 俺は荷物を持って立ち上がる。


「彼女は置いていくのか?」


 高木が言う。


「いや、一応声はかけてみる」


「気をつけろよ。あいつらは香月に彼氏がいるなんて知らないかもしれない。あのレベルの容姿が榊レベルの男と付き合っていると知れたら何されるか分からねえぞ」


「言い方悪いぞ」


「おっと、悪い」


 もうそこまで来るとわざとなんじゃないだろうか、と思えてくるが俺は軽く手を上げて挨拶をしてそこを離れる。

 香月の席は廊下側から二列目の前から二つ目の席だ。出口に向かえば必然的に近くを通る。


「あ」


 人集りの隙間から香月と目が合った。その瞬間に彼女はハッとして立ち上がる。


「あの、失礼します」


 言って、人と人の間を無理やり通って抜け出した。

 そんな行動を突然取れば周りの男子達は何があったとこっちを向く。

 するとそこにいる俺。必然的に注目を浴びる。そうかそうか、香月が今日感じていたのはこういう気持ちか。


 いや、違いますね。

 香月に向けられる視線はこれほどまでの殺意は込められてないですもんね。今にも飛びかかってきそうな血気盛んな男子が一人、二人……やめよう。


「行こ」


 香月が俺の手を取ってそのまま教室の外に出る。


 これが優越感? いやいや、そんなもんじゃないぞ。感じるのはただひたすら恐怖だ。

 あれだけの男にあんな目を向けられたことがないので恐ろしくて仕方ない。


 タタタと駆け足で廊下を進み、昇降口までやってきたところでようやく香月が俺の手を離す。


 膝に手を付き、息を整えた香月が俺の方を睨む。どうして睨まれているんだ?


「なんで先に帰ろうとしたの?」


 ぷくーっと頬を膨らませながらそんなことを言うので、俺は慌てて訂正する。


「いや、帰ろうとしたわけじゃなくて、一応声はかけようとしたんだけどさ」


「わたしが困ってるのに、助けようとしてくれなかった!」


「いや、でももしかしたらあの状況に快感を覚えているという可能性も……」


 つらつらと言葉を並べていると、香月は恨めしそうなジト目を向けてくる。

 その視線に耐えかねて、俺は黙ってしまう。


「思ってもないこと言わないで」


「ごめんなさい」


 確かにそうだ。

 そんなはずないと分かっているのに、ついつい言葉が出てきてしまった。

 誤魔化すためのものなのか、それとも違う理由で出てきてしまったのか。

 じゃあ違う理由って何なんだよって話なので考えるのはやめよう。


「これからはちゃんと助けてね?」


「頑張るよ」


 自信なさげに返事をすると、香月はにこりと笑顔をみせてくれた。


「じゃあ、許します」


 可愛い。

 本当に、お世辞抜きで地球上の誰よりも可愛いのではないかと思ってしまう。

 そこら辺にいる女の子よりも、何とか坂のアイドルよりも、有名な女優よりも、香月ひなたは可愛いかもしれない。


 これは容姿の話をしている。

 だからこそ、これまでにない照れが出るのだ。


「なんか、榊くん今日変だよ?」


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