第9話
「そう?」
「あんまりわたしの顔を見てくれない。今日全然目が合わないもん」
言いながら、香月が俺の顔を覗き込んでくる。
それに対して、俺は咄嗟に顔を背けてしまった。これが香月の言っていることか、と改めて実感してしまう反応である。
「ほら」
言われてしまった。
なので俺はさっさと靴を履き替えて言う。
「そんなことより、いつまでもここにいるとまた捕まるぞ」
「あ、ちょっと榊くん!」
早足に昇降口を出ると、少しして香月が追いついてくる。校門を出たところで、もう大丈夫と思ったのか香月か俺の服の裾を掴む。
「さっきの話、まだ終わってないんですけどぉ」
むすっとしながらそんなことを言う。
「……たまたまだよ」
誤魔化す。
しかし。
「今もこっち向いてくれない。いつもなら立ち止まって振り向いてくれるのに」
声で不機嫌というか不満げなのが伝わってくる。
「好きな人が目を合わせてくれない悲しさ、榊くんには伝わらないのかなぁ」
わざと大きい声で香月は言った。
周りに人がいないことを確認したからか、内弁慶の内モードに切り替わっている。
ふざけた調子で言ってはいるが、それはきっと香月の本音なんだろう。
からかうこともしてくるし、冗談だって言ってくるけれど、声色や表情ですぐに判断がつく。
自分に置き換えて考えてみれば、彼女の言っていることは分かる。
俺だって突然香月が目を合わせてくれなくなったら不安でしょうがないだろう。
何かしたのかとか、何かあったのかとか、ぐるぐると考えてしまうに違いない。
「なんか、こう、照れちゃってさ」
正直に言おう。
今更自分のメンツを保つことに何の意味もありはしない。
そんなことの為に香月に不安を抱かせるなんて間違っている。
そもそも、彼女の前で俺が格好良かったことなんて一度だってなかっただろうし。
「照れる?」
「……だから、ほら、可愛くなって」
そう言って、ようやく俺の言いたいことを理解したのか香月はハッとして顔を赤くした。
そして、俯きながらもにょもにょとなにかを呟くがそれは聞き取れなかった。
「なんか別人みたいで緊張しちゃうんだよ。だから、目を合わせられなくて」
さっきまで俺の服の裾を掴んでいた香月だったが、いつの間にかその手を放し数歩後ろで立ち止まっていた。
俺は彼女を振り返る。
「榊くんは、前のわたしの方がいい?」
じっと、真っ直ぐ、俺の目を見て香月は言った。
俺はその質問にどう答えるべきか悩んで、言葉を詰まらせてしまう。
その姿を肯定したからといって、これまでを否定するわけではない。
また、その姿を否定したからといって彼女の思いを否定するわけでもない。何を答えても、何かを否定しているような気がしてしまう。
それに。
何だか、香月はある答えを求めているようにも見えた。
今日一日、彼女を見ていたが、ずっと疲れたような顔をしていた。
俺の為に姿を変えたが、その結果とても大変な思いをしている。
俺が一言、「前の方がいい」と言えば、彼女はそれに頷き、元に戻るかもしれない。
でも。
それは実際に言葉にして聞いたわけではないし、仮にそうだとしても本当にそれでいいのかと考えてしまう。
だから。
俺は。
考えて。
ゆっくりと口を開く。
「どっちがいいかは、俺の口からは言えないよ」
「……どうして?」
きっと、この答えはずるいんだと思う。
でもやっぱり、これまでの彼女も、今の彼女も、もちろんこれからだって、否定したくないんだ。
考えて、悩んで出した答えなんだから、それを尊重したい。
「言ったじゃないか、容姿に惹かれたわけじゃないって。確かに今はこれまでに比べてすごく可愛くなった。正直に言うと緊張するし照れるけど、それはそれだけ可愛いって思ってるからで。でも、じゃあ前みたいに戻ったとしても俺のこの気持ちは一ミリだって変わらない。前も今も、全部香月ひなたなんだよ」
「榊くん……」
うるっと瞳を揺らす香月は小さく呟いて、顔を見せないように俯いた。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「ありがと。それと、ごめんね?」
瞳はまだ微かに潤んでいるが、涙を流すことはなく、彼女は笑って俺に追いついてきた。
「ごめんって?」
「榊くんが困るようなこと言っちゃって」
「まあ、確かにちょっと困った質問だったけど」
俺が苦笑いしながら答えると、香月はあははと笑う。
「なんて言われても受け入れるつもりだった。前の方がいいって言われたら、髪はすぐには伸ばせないけど徐々に戻していこうかなって思ってたし、今の方がいいって言われたらちょっとしんどいけど頑張ろうと思ってた」
結果、どっちもいいと答えたのだけれどそれに関してはどう考えていたのだろう。それが気になったけれど、何となく訊くことはできなかった。
でも。
「でもね、わたしはきっと榊くんの言った言葉を求めていたんだと思う。ううん、違う。榊くんならそう言ってくれるって分かってたのかな。だからやっぱり、わたしは変わりたい。君の隣にずっといられるように、胸を張って彼女だって言ってもらえるように。いつまでも榊くんをどきどきさせられるように。もっと可愛くなりたいな」
ちゃんと彼女は言葉にしてくれた。
「……うん。いいと思うよ」
これ以上可愛くなった姿なんて想像できないけど、もし本当にそうなったら緊張で気絶してしまうかもしれないな。
香月が俺の為にそう思ってくれるのならば、俺も香月の為にもっといい男にならないと。
そのためにもまずはやっぱり、男としてしっかりエスコートできないと。いろいろあって忘れてたけど、問題は振り出しに戻るのであった。
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