第5話


 それは木曜日の放課後のことだった。

 咲斗は珍しく部活が休みだという親友の城戸恭也と帰るということで、その日香月ひなたは放課後に一人で帰り支度を進めていた。


 できることならば毎日一緒に帰りたいところだが、咲斗にも事情があるため、その日は我慢することにした。


 思い返すと、これまで人に執着したことはなかった。


 見た目が地味ということもあって、ひなたのことをよく思わない者もいた。

 あまり人と話すのも得意でなかったこともあり、離れていく人は多かった。

 それでもそれを寂しいとは思わなかったし、それなら一人でいるだけだった。


 だからこそ。


 咲斗に対して、ここまでの気持ちを抱いていることが嬉しかった。


 それはつまり、それだけ彼のことが好きだということだから。


「……あ」


 帰り支度を済ませ、とぼとぼと昇降口まで歩いていたときのことだった。

 古典の授業で宿題を出されていたことを思い出す。そのプリントをカバンに入れた覚えがないので、恐らく机に入れたままなのだろう。


 古典の担当教師は怒らせると面倒だ。

 どうせ時間はあるのだし、とひなたは来た道を戻ることにした。


 教室のドアが閉まっていたので、もしかしたら誰かがカギを締めてしまったのではないかと思ったが、中から話し声が聞こえてきてひなたは安心した。


 のだが。


 問題はその話の内容が自分に関わることだったことだ。


「うちのクラスの男子ってどうよ?」


「ああー、まあなんか中の下みたいな」


「彼女持ちっているっけ?」


 どうやら三人の女子が喋っているようだ。

 ドアに手をかけようとしたときにちょうどそんな話の流れになり、気にしないでドアを開けようとしたときに次のような発言がされた。


「榊とか?」


「ああー、あの地味子と付き合ってるっていうね」


 自分が周りからあまりよく思われていないことは何となく知っていた。けれど地味子と呼ばれているのはこのとき、初めて知ったことだ。


 とはいえ。

 別にそれでショックを受けたということはない。地味だということは事実だし、これまでにも言われていたことだから慣れていた。


 自分が笑われていることに対して、何かを思うことはない。


「よくあんな地味子と付き合えるよね」


「ほんと、私なら絶対無理だわ。けどまあ、陰キャ同士お似合いなんじゃね?」


「それね。榊も女の趣味悪いって感じ」


 キャハキャハと陰口を楽しんでいる様子だ。

 人間が他人の悪口で盛り上がっているところなんて、これまで何度も見てきた。


 ただ、その内容が榊咲斗のものであるというだけで、体の奥底から沸々と怒りのようなものが込み上げてくる。


 それは自分の大好きな人を悪く言う三人に対してではなく、咲斗が笑われる原因となっている自分への怒りだ。


 咲斗が自分を受け入れてくれているから、変わる必要なないと思っていた。だから、これから先も特に容姿を変えたりするつもりはなかった。


 今、この瞬間までは。


「……変わらなきゃ」


 自分のせいで咲斗が笑われないように。

 咲斗の隣に胸を張っていられるように。


 そのためにしなければならないことはなんだろうか、とひなたは慣れないことをぐるぐると考える。


 そして、忘れ物を取りに来たことを思い出して、とりあえず教室の中に入る。三人はひなたに気づいて会話を止めた。

 さすがに本人を目の前に続ける度胸はないらしいが、今のひなたにはそんなことどうでもよかった。


 用事を済ませて、さっさと教室を出る。

 その瞬間に教室から再び楽しそうな声が聞こえてきたが、ひなたはお構いなしに廊下を早足に進んでいく。


 土曜日と日曜日だ。

 その二日間でイメチェンを果たし、咲斗が笑われないような自慢できる彼女になろうと決めた。


 まずは髪だ。

 顔が隠れるように伸ばしていた前髪はばっさり切らなければならない。そのついでに全体的に短くしてしまおう。少しでもジメジメした印象は取っ払っておきたい。


 次に思いついたのはメガネだ。

 漫画が好きなこともあって昔から視力が悪かった。だから小学生のときのはメガネを掛けていた。コンタクトにしようと思ったことは一度もない。

 なにせ、目の中にモノを入れるなんて考えられなかったからだ。

 普通に考えて怖い。世の中のコンタクト利用者はよく入れる気になったものだと常々思っていた。


 他にも気休めだろうが肌の手入れやにおいなど、様々なことをスマホで調べ上げた。

 家に帰り、母に頼み込みお金をもらい、全てを実行した。


 そして。

 翌週の月曜日。


 生まれ変わった香月ひなたは全校生徒から注目を浴びることになる。

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