間章1
香月ひなた、中学三年。
その日、彼女は受験の為に志望校に足を運んでいた。
できる限りの勉強はしたし、やれることは全てやった。にも関わらず、彼女は不安と緊張で頭が真っ白になっていた。
「……うう」
周りには知らない生徒。
不幸なことに同じ中学の生徒はいない。
一人くらいるかもしれないが、少なくとも仲の良い友達はいない。
完全なアウェイ。
それを言えば他の生徒もアウェイだろうと返されるだろうけど、今のひなたにとってはそんなことはどうだってよかった。
受験票を手にして校舎の中をうろつく。
試験を受ける教室が分からず迷ってしまったのだ。
ゴールが分からないまま、ひたすらに校舎の中を歩く。
時間の経過を感じて、焦りが彼女の思考をさらにぐちゃぐちゃにしてしまう。
そんなときだった。
「あの」
声をかけられた。
周りに他の人がいなかったので、恐らく自分だろうと思い、ひなたは後ろを振り返る。
そこには見慣れない制服を着た男子がいた。男子であることに、ひなたは少しだけビクついてしまう。
が、彼はそんなことお構いなしに続ける。
「これ、落としましたよ」
そう言って差し出してきたのはひなたのパスケースだった。どうやら知らないうちにカバンから落ちてしまっていたようだ。
「あ、ありがと、ござます」
不安や緊張といった感情が混ざり合い、変な声が出てしまう。
「そのアニメ、面白いですよね」
「え?」
ひなたが使っていたパスケースは彼女が好きなアニメのものだった。
メインのキャラクターではなく、その作品に登場するマスコットキャラが描かれたものだ。
「『ハルウタ』。俺も好きだから」
「そう、なんですね」
「もしこの高校受かったら、ハルウタについて語り合いましょう!」
そう言って、その男子生徒は行ってしまった。
名前を訊くのも忘れてしまうくらいに一瞬の出来事だった。
「……教室、探さなきゃ」
その後、何とか教室まで辿り着いたひなたは試験を受け、そして無事にこの高校に合格することができた。
合格発表の日、周りを見渡してみたが、あのときの男子はいなかった。
もしかしたら落ちてしまったのかも、なんて、そんなことを思っていたのだが。
「はじめまして、榊咲斗です。よろしくお願いします」
入学式の日、クラスメイトの自己紹介の最中、その男子を見つける。
まさか合格していたとは。しかも、同じクラスだなんて、とひなたは彼に運命めいたものを感じていた。
けれど、どうやら彼はひなたのことを覚えていない様子。そのことにがっくりしてしまうひなただったが、勇気を出して一歩踏み出すことにした。
彼と同じ図書委員に立候補した。他にやりたいという生徒がいなくて助かった。
そして図書委員の当番の日。
彼と二人でいられる時間を迎えたひなたは、一度自分を落ち着かせようと大きく深呼吸をした。
そして、まるで戦場に向かう兵士のような面構えで彼の方を向く。
「……はじめまして」
男子と話すのは苦手だったので、声が上手く出てくれなかった。
第一印象からあんまり良く思われないだろうな、と内心がっかりしたひなただったのだが、彼はそんなことを気にしない様子で普通に返してくれる。
どころか。
「榊咲斗です。よろしく」
あの日と同じ笑顔を向けてくれた。
やっぱり、間違いなくあのときの男の子だとひなたは改めて実感した。
きっと。
そのときには既に、彼に心惹かれていたのだろう。
ひなたは、後にそんなことを思う。
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