第2話


 とはいえ。

 俺が香月ひなたに抱いた第一印象はおおかた他の生徒と同じものだった。


『……はじめまして』


 春。

 新学期。

 新しい始まり。

 同じ図書委員になった女子生徒は小さな声でそう言った。


『よろしく。えっと……』


『香月ひなた、です』


 暗い子だな、そう思ったのは今でも覚えている。


 でも、入学したばかりで新しい環境にも慣れてない状況で知らない異性に声をかけるとなると緊張するのも無理はないし、緊張すれば声も小さくなるだろう。俺だってそうなっていたかもしれない。


 図書委員の仕事は二週間に一度くらいの周期で回ってくる図書室の当番だ。

 定期的な室内巡回と貸し出し受付。それ以外の時間は特に仕事もない。

 最初は各々好きなことをしていたけど、いつの間にか話すようになった。


 話しかけるのが恥ずかしくて教室で話すことはなかった。

 図書委員の当番で図書委員にいるこの時間だけが、彼女と話す貴重な時間だった。

 そして、その時間はいつの間にか、俺にとってとても大切なものになっていたのだ。


『あの、榊くん』


 あれは夏休みが始まる前のことだった。

 一学期最後の図書委員の当番の日、いつもと変わらず他愛ない話をしていた。


 夏休みが始まるととうぶん話すことができない。そのことに寂しさを覚えながらも、俺は一歩踏み出すことができずにいた。

 でも、そのときに香月は勇気を持って歩み寄ってくれたんだと思う。


『あのね、おすすめの漫画とか、また教えてほしいから……その、連絡先とか、交換しませんか?』


 俺が言えなかったその一言を、彼女が震える声で言ってくれたのだ。


『ああ!』


 図書室にいた生徒が一瞬でこちらを振り向くくらいの声量で返事をしてしまって、それを見て香月が笑っていたのは忘れることができない。


 でも結局、夏休み中に遊びに誘うことはできなくて、あっちからも来なかったから、メッセージのやり取りだけで終わってしまった。

 そして二学期、文化祭の日に香月の方から告白してきてくれたのだ。


 思い返すと、俺から何かをしたことはなかったような気がする。


 何もかも、進展させたのは香月だ。それは男としてどうなんだろうか、そう思って隣を歩く恭也に訊いてみた。


「そりゃ、女子からしたらしっかりしてくれって思うだろ。絶対にそうとは言い切れないけど、やっぱりリードするのは男子ってのはあるんじゃねえか?」


 やはりそうか、と思わざるを得ない答えだった。俺もそう思っていたからこそ、恭也に確認したわけだし。


「やっぱそうだよなあ」


 その日、どういう理由か珍しく部活が休みだということで恭也と一緒に帰宅することに。

 いつも一緒に帰ってる香月だったが「そういうことなら城戸くんと帰ったら?」と快く送り出してくれた。そういうところも好きだ。


「奥手な咲斗くんは、彼女にリードされっぱなしで悔しいんですか?」


 からかうように言ってくる恭也。にたにたと笑うその顔は昔から変わらない。


「まあ」


 事実そうなので何も言い返せない。

 話しかけるのはともかく、連絡先の交換や遊びの誘い、もちろん告白だって俺からやりたかった。

 でも、それだけの勇気がなかった。振られるのが怖かったんだ。


「中学の時に失恋してるから、女子に対して慎重になっちまってんだろ。お前は」


「……もう気にしてないけど」


「無意識のうちにトラウマになってんじゃねえか?」


 中学三年のとき。

 ずっと思いを寄せていて、そこそこいい感じに話すようになった女子に修学旅行で告白をした。

 そのときも勇気はなかったが、クラスの男子連中に唆されて行動に移したのだ。結論から言うと振られたのだが。


「あれはトラウマになっても無理はねえよ」


 ただ振られただけなら良かったんだけど。

 ごめんなさいと言われたあと、あちらこちらからその女子の友達が出てきてみんなが俺を笑い者にしたのだ。

 俺はショックを受けるのも忘れるくらいに呆気にとられていて、何が起こったのかも分からなかった。


 そこに恭也を始めとした男子がやってきて女子連中と言い合いになった。

 その後、うちのクラスの男子と女子の間に大きなわだかまりができてしまった。


「でも、香月はあのときの女子とは違うよ。それは一緒にいてよく分かった」


「俺も何度か話したけどいい子だと思うぞ」


「だからこそ、俺の方からアプローチを仕掛けていきたいんだ!」


 拳をぐっと握り、俺は力強く言う。


「ちなみに、実際のところどこまで進んでんだよ?」


「ん?」


「いやだから、お前らの関係だよ。文化祭からだから、付き合ってもう二ヶ月くらい経つだろ?」


 現在十一月。

 ありがたいことに俺と香月が付き合い始めてから二ヶ月近く経過した。俺たちの仲は至って順調である。


「どこまでって言われても」


 困る。


「セックスくらいしたのか?」


 恭也のデリカシーの欠片もないダイレクトな発言に俺は思わずブフッと吹き出してしまう。

 驚きながら恭也を見ると、ふざけている様子もないので多分真面目な意見なんだろう。


「してないよ。まだ二ヶ月だぞ?」


「早けりゃ一ヶ月も掛からないと思うぞ。バスケ部の先輩なんて一週間って人もいるんだぜ?」


 信じられない。

 どういう感じで進めればそういう方向に持っていけるんだ。


「じゃあキスか?」


「……」


 そう言われたが、そこにも至っていないので俺がグググと顔を横に向ける。そんな俺を、恭也は信じられないものを見るような目を向けてくる。


「嘘だろ? さすがに手を繋ぐくらいは」


「……」


「そういや呼び方も名字だよな。付き合ってんだから名前で呼んでもいいんじゃねえか?」


「それ以上は止めてくれ。俺のライフはもうゼロだ」


「付き合う前と後で何が変わったんだよ?」


「デートは何回かした」


「どこ行ったんだ?」


「本屋とか、カフェとか」


「それはどっちが誘ったんだ?」


「俺だよ」


「ホントは?」


「……香月」


 恭也はこめかみを抑えながらかああっと漏れ出るような声を吐く。

 そんなリアクションすることはないだろうに。


「お前な、最初の方は可愛げあっていいかもって思われるかもしれないけどよ、それも続けば愛想尽かされるぞ? いつまでも受け身でいると、香月に見放される。それでもいいのか?」


「よくない!」


「そうだろうな。だったら」


 ビシッと俺の顔を指差す恭也。


「お前自身も変わっていかなきゃな。まずは手始めに、お前からデートに誘え。そんで、少しずつでもいいから進展させていくんだな」

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