第19話 不穏
木曜の放課後、今日も須藤観察日記を埋めるべく須藤の追跡を始める。
学園を出た須藤は目的地が決まっているのか、一切の迷いなく歩みを進めていく。
その姿に言い知れぬ違和感を感じつつ、追いかける。
およそ数十分歩き続けた末に、須藤は人気のない廃墟に入っていった。
あ、怪しいいいい!!
何だあいつ! 怪しすぎるだろ!
これ、行ってもいいのか? いや、だが行かなければ何も分からない。
少し覗いて、やばいと思ったら逃げよう。
覚悟を決め、須藤が入っていった廃墟の中を覗き込む。
廃墟の中は薄暗く、よく見えないがどうやらいるのは須藤だけらしい。須藤は腕時計をしきりに見て、周りを気にしている。
その様子はまるで誰かと待ち合わせをしているかのように見えた。
待て。そうなのだとしたら、ここに俺はいるのは不味い――。
「おや、招かれざる客がいるようですねぇ」
背後から声が響き、全身の毛が逆立つような感覚が俺を襲う。
動けずにいると、声の主に背中を蹴られる。
「なっ! お前は、冴無……!」
背中を蹴られたことで、須藤に姿を見られる。
目の前には須藤、そして背後を振り返ればそこにはスーツ姿でニコニコと微笑む怪しげなおっさん。
どうする? 唯一の出口であり入り口である扉の前にはおっさんがいる。
走って逃げることは……難しいか。
「い、いやー、須藤が変なところに入っていくからよ気になったんだよ。お前、こんなとこで何してんだ?」
多少無茶はあるが、何も知らない体で切り抜けるしかない!
「おや、この方はあなたの知り合いですか?」
俺の言葉に反応し、おっさんが須藤に視線を向ける。
俺も僅かな期待を込めて、須藤を見つめる。すると、須藤は一度目を閉じてから微笑んだ。
す、須藤……!
「まあ、そうですね。寧ろ丁度よかった。星羅に近づく羽虫をここで始末出来るんだから」
須藤おおおお!!
ちくしょう! やっぱり、こいつ黒だ! 一か八かで逃げるしかない!!
「おっと、逃がしませんよ」
「がはっ」
立ち上がり、おっさんの横を通り抜けようとするがそう上手くはいかない。
おっさんのパンチを腹に受け、地面に膝をつく。
こ、このおっさん……強い……。
「それでは、デモンストレーションがてら、あなたには犠牲になっていただきましょうか」
おっさんはそう言うと、俺の口に瓶のようなものを押し付け、液体状の何かを飲み込ませる。
そして、その液体を飲み込んだ瞬間、俺の意識はゆっくりと闇に沈んでいく。
「……おや? ああ、なんだあなたもこちら側でしたか」
おっさんのその言葉を最後に俺の視界は真っ暗になった。
***<須藤>***
「それで催眠状態になってるんですか?」
恐る恐る、目の前のスーツの男に問いかける。
この男は、ボクの願いを叶える手助けをしたいと言って一週間前にボクの前に姿を現した胡散臭い男だ。
だが、不思議と信じたくなる危険な魅力を持っている。
結果、こうしてボクはこの男に縋ってしまった。
「ええ。もう大丈夫です。なにか命令してみますか?」
男の横にはボクの星羅に手を出す羽虫――冴無良平が虚ろな目で地面に膝をついていた。
「じゃあ、自分の頬を殴りつけろ」
試しに冴無に命令してみると、冴無は命令通り自分の頬を強く右拳で殴りつける。
殴った勢いで頬が切れたのか、冴無の口の箸からは血が流れ落ちていた。
「本当に催眠状態になってる……」
一週間前、この男にダメ元でボクの計画を話したところ、この男は「催眠薬なんてどうですか?」と提案してきた。
今この状況を目の当たりにするまでは、催眠薬の存在に懐疑的だったが、これを見せられては信用するしかない。
「常人であれば香りだけでも数分は催眠状態に陥ります。効果時間を長引かせたければ、更に投与量を増やす必要がありますがね。気に入っていただけましたか?」
「はい! これがあれば星羅の正気を取り戻せる……!」
今やボクにとって目の前の男性は神のような存在だった。
しかし、人を一人催眠状態に出来る代物なんてとんでもないものだ。対価もそれ相応のものを求められるだろう。
「対価は何ですか?」
「そんなもの必要ありませんよ。私はただあなたに自由に願いを叶えて欲しいのです。欲望のままに生きる。そういった人が増えて欲しいんですよ」
「そ、それだけでいいんですか?」
「はい」
それはいくら何でもボクにとって都合が良すぎる。
目の前の男が浮かべる笑みからは怪しさしか感じない。
だが、そんなことは星羅をボクのものに出来るならどうだっていい。
「ありがとうございます」
「あなたのそういうところ、私は好きですよ」
男から催眠薬と思しき液体の入った瓶を受け取る。
お礼を告げる俺に、男は口角を吊り上げた。
さて、これで契約は終わった。残るのは、ここにいる邪魔者の処遇だ。
まあ、それももう決めている。
一歩、未だに虚ろな目で地面に膝をつく冴無に近づく。
ブサイクとまではいかないが、何処にでもいるような平凡な顔だ。
勉強だって出来るわけじゃない。髪型にも、服装にも気を遣っていないのだろう。
今なら、自殺に見せかけられる。誰にもバレることなく、こいつを二度と星羅の目の前に立てなくすることが出来る。
「冴無、お前に命令する。死――」
――ね。
そう言い切る直前で、俺の口を押さえたのは何も知らないはずの親切な男だった。
「あなたとこの方にどんな因縁があるか知りませんが、それは止めなさい。人の生命を奪うことは誰にも許されないのですよ」
ニコリと人のいい笑みを浮かべる男。
とても人の尊厳を踏みにじるような催眠薬をボクに手渡した人間とは思えない。
「止めなさい。ね?」
男がボクの目を真っすぐ見つめながらそう言い放つ。
笑顔だ。だけど、その目に光は宿っていなかった。
冴無は正直、いなくなって欲しい。それでも、この男を敵に回すことの方がよほど恐ろしいと感じた。
「わ、分かりました」
「はい。人とは素晴らしい生き物なのです。互いに殺し合うなんて勿体ないですからね」
男がボクの口から手を放し、離れていく。
その様子にホッとする。
だが、やはり冴無にはどこかへ行っていて欲しい。少なくとも、明日行う計画を邪魔されたらたまったものではない。
「冴無、誰にも見つからないように遠くへ向かえ」
今度は男も止めなかった。
ボクの命令に冴無は静かに頷き、廃墟の出口に向けて走り出した。
念のため、冴無の後ろをついて行くと、冴無は海の方へと走っていき、そして海に入っていった。
なるほど。確かに、夜の海なら誰にも見つからないだろう。
遠くへ行くという意味でも海なら丁度いい。
これでいい。
催眠の効果がいつ解けるかは分からないが、これで冴無が目を覚ましても明日中には帰ってこれないだろう。
しかし、海に行けば冴無は溺死するのではなかろうか。
人の死について言及してきた男が黙っているのが気になるが、まあいいだろう。
「今日はありがとうございました。では、ボクはこれで」
「ええ、満たされるといいですね」
――あなたの欲が。
男は依然として、冴無が向かっていった方向に目を向けながらそう言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます