第10話 亀田東里②(亀田視点)

「あぶなああああい!!」


 ――だが、間一髪で僕の身体は冴無にタックルされたことで魔物の腕から逃れた。


「お、お前バカか! 死ぬぞ!」


 息を荒くしながら冴無が僕に叫ぶ。

 だが、僕は目の前の光景が信じられなくて固まっていた。

 そんな僕の様子を察したのだろう、冴無は頭をかいてから魔物を睨みつけ立ち上がる。


「くそったれ。おい、亀田。俺があいつを引き付けるから、お前は隙を見て逃げろ」

「な、なななんで僕なんかを……」


 震えながらも、何とかそれだけは聞けた。


 だって、冴無にとって僕は嫌いな人間のはずだ。軽蔑に値する存在で、死んでもいい、寧ろ死んだ方が都合がいいくらいの存在のはずなのだ。


 そんな僕に、冴無はバカじゃねえのと言った目を向けてくる。


「涼風さんが俺と亀田に「また明日」って言ったからだ」


 そう言うと、冴無は魔物を挑発するように魔物の傍へ近づいていく。


「なあ、魔物。ケイドロしようぜ。お前、警察な」

「オ゛オ゛オ゛!!」


 訳の分からないことを魔物に告げ、魔物と追いかけっこを始める冴無。

 未だに動けないまま、僕はそれを見続けていた。


 ああ、そっか。

 僕は冴無が羨ましいんだ。

 僕と同じ持っていない側で、冴えない。そして、涼風さんを脅迫したことがある。

 それなのに、彼は変わったんだ。

 涼風さんのために、誰かのために戦える人になったんだ。


「ぐえっ」


 突然、間抜けな声を上げて冴無が転んだ。

 どうやら、小石に足を引っかけたらしい。


「オ゛オ゛……」

「あっ、ちょっと……バ、バリアー!! はい、バリアーの効果でお前は俺に触れませーん!」


 とち狂ったのか、小学生のようなことを叫びだす冴無。だけど、理性の無い魔物にそんな理屈が通じるはずがない。

 魔物はゆっくりと冴無に近寄る。


「あ――」


 危ない。そう言おうとした時、ゴトリと音をたて僕の鞄からカメラが転がった。

 不意に、このカメラを魔物に投げつければ冴無を救えるのではないかという考えが頭をよぎった。

 だけど、それは僕の大切なカメラを捨てるということだ。

 カメラだって安くない。これは渋る両親を説得して買ってもらった、僕にとってかけがえのない宝物だ。


「オ゛オ゛!!」

「む、無敵バリアー! おい、聞いてるのか!? 無敵バリアーだぞ!」


 そうこうしている内に、魔物は冴無に腕を伸ばす。


『愛されたいなら、愛される人間になろうとしろよ』

『――また明日』


 冴無と涼風さん、二人の言葉が、表情が頭をよぎった時には僕はカメラを握りしめていた。


「うわあああああ!!」


 球技は下手だ。でも、キャッチボールは父さんと子供の頃にしていた。

 僕が投じたカメラは綺麗な放物線を描き、魔物の頭に直撃した。


 本来、魔物は最も近くにいる人間を襲う。

 けれど、この魔物は不思議なことにカメラを投げた僕にゆっくりと身体を向けた。


 魔物の怪しく光る一つ目が僕を捕える。

 その視線に射抜かれた瞬間、全身に寒気が走り今すぐにでも逃げ出したくなる。

 でも、僕は魔物に向かって一歩だけ踏み出した。


「ぼ、ぼぼ僕は……もう逃げない! お、お前なんか怖くない!」


 そうだ。忘れていた。

 誰かに諦めの目を向けられる。

 僕が一番恐れていたことはそれじゃないか。


「僕でさえ諦めた僕を、まだ信じてくれるたった一人がいる。なら、僕だってその人に誇れる人になりたいんだ!!」


 その言葉と共に、地面を強く蹴り出す。


「うわああああ!!」


 ひょろひょろの身体で、力いっぱい拳を握りしめ、僕は魔物を殴りつけた。

 だが、魔物は平然としていた。


「あ、あれ……?」

「バカ! 俺たちの攻撃がこいつに通じるわけないだろ!」


 勇気を振り絞った一撃が全く効いていないことに動揺する僕に冴無が叫んだ。


「そ、そんなこと言ったって、こういう時って不思議な力が湧き上がって多少は効いたりするものじゃないか!」

「残念! 俺もお前も普通の人間だよ!」

「ちくしょう! やっぱり現実はくそだ!」


 僕ら二人が現実に嘆いていると、魔物は一際大きな雄たけびを上げて僕らに迫る。


「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!」


 ど、どうしよう……これって不味いんじゃ……。

 焦りが僕の中を覆いつくす。そんな僕の背中を冴無は叩く。


「俺たちは普通の人間だが、それでも亀田の勇気が俺を救った。誇れよ、くそ雑魚の俺らでも手を伸ばせば何かが出来る時だってある!」


 そう言う冴無の目に絶望なんてものは一切写っていなかった。


「……うん!」


 落ち込みかけた気持ちを立て直し、前を向く。

 出来ないことだらけだなんて、痛いくらいよく分かってる。だから、たった一つだとしても今の自分に出来ることをやるんだ。


「いい顔だ。やるぞ、亀田」

「うん、冴無」


 二人で、雄たけびを上げる魔物の前に立つ。

 

「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!」

「「うおおおおお!!」」


 魔物と僕らがほぼ同時に雄たけびを上げ、互いに動きだす。

 魔物は僕らに襲い掛かり、僕らは魔物の攻撃を躱すことに全神経を注ぐ。命がけの鬼ごっこが始まろうとしていたその瞬間だった。


「フリーズ」

「オ゛!?」


 身震いするような冷たい風が吹き抜け、魔物の全身が氷に覆われる。

 そして、その場に白銀の髪を靡かせながら魔法少女スピカが姿を現した。


 彼女は凍り付いた魔物を一瞥してから、僕らの方を見る。


「遅くなってごめんなさい。でも、もう大丈夫よ」


 そう言ってスピカは微笑んだ。

 その表情に僕も冴無も完全に見惚れていた。


「……女神だ」


 冴無がそう呟き、スピカに拝み出す。なるほど言い得て妙だ。

 僕も拝んどこう。


「な。何してるのかしら?」

「拝んでます」

「いと尊しと思ってます」


 スピカは頬を引きつらせていた。そんな表情も可愛いのはズルいと思う。


「オ゛……!」


 そうこうしていると魔物が必死に動き出そうとしていた。

 スピカはその魔物にゆっくり近づくと、魔物を覆う氷に手を触れる。


「ダイヤモンドダスト」


 そして、氷塊は粉々に砕け塵、文字通りダイヤモンドダストがパラパラと舞い降りて来た。


 す、凄い。

 魔法少女スピカが魔物を倒すところはこれまでもカメラで納めて来たけど、間近だとこんなに迫力があるんだ……。


 感心していると、僕らの方にスピカが近付いて来た。


「怪我はないかしら?」

「あ、はい」

「そう、それならよかったわ」


 そう言うと、彼女は僕の手をおもむろに握った。


「ありがとう」

「え……い、いや、僕は何も……」

「ううん。そんなことないわ。あなたたちが時間を稼いだから、被害が殆ど出ていなかった。だから、ありがとう」


 ぁ……。


 目頭が熱くなり、思わず僕はスピカから視線を逸らす。

 

 いや、泣いている場合じゃない。僕は、彼女に言わなきゃいけないことがある。


「ご、ごめんなさい! 僕は、僕はあなたに、涼風さんに酷いことをしようとしてた。自分さえよければいいって、最低なことをしようとしてました。本当に、ごめんなさい」


 その場で深く深く頭を下げる。


「なんのことかしら? 涼風さんなんて私は知らないわよ。でも、そうね。過ちを犯したと気付いて、謝る気持ちがあるなら、大事なのはそれからだと思うわ。その涼風さんも、これからのあなたに期待しているんじゃないかしら?」


 僕が顔を上げると、そこにはいつもと変わらず僕を元気づけてくれる魔法少女スピカの笑顔があった。

 それから、彼女は僕らに背を向けてその場を立ち去ろうとする。

 その姿を呆然と眺めていると、冴無が僕の肩を叩いてきた。


「おい、亀田。一番大事なこと言い忘れてるぞ! ほら、せーので言うぞ!」

「え、え……」

「おいおい、気付いてないのか? じゃあ、俺が先に言うからお前も後から言えよ」


 そう言うと冴無は大きく息を吸い込んで、スピカに向けて頭を下げた。


「助けてくれて、ありがとおおおお!!」


 あ、そっか。

 そうだよね。涼風さんにも、魔法少女スピカにも僕はずっと伝えなくちゃいけに言葉があった。


 冴無に続いて、息を吸い込んで僕も再び頭を下げる。


「ずっと、ずっと僕の希望でいてくれてありがとう!」


 万感の思いを込めて、叫ぶ。

 僕らの言葉を聞いたスピカは最後に、もう一度僕らの方に顔を向け微笑んだ。


 そして、彼女は何処かへと姿を消した。

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