第6話 異世界:ウェンディと素敵なおじさん
セルマ達の父親は大工で、家屋は勿論水車や農具なども器用に直した。セルマ達の家も父親が建てた自慢の家で、屋根や壁が傷むとすぐに修繕していた。母親は娘三人を相手に日々笑ったり怒ったり、子供のように無邪気で明るい性格だった。
今でも台所を見れば母親の後ろ背を思い出し、傷んだ壁や床を見れば父親がひょっこりと顔を出して大工道具を広げ始めそうな気がしている。
(そんな家を――離れる?)
心臓が嫌な跳ね方をしていた。目眩がする。考えがうまくまとまらず、セルマは恐る恐る妹二人の顔色を窺った。ハリエは特に表情に変化がなく、エレナはそもそも幼すぎて話の意味がわかっていないようだった。
「は、ハリエ……今の話……」
「ん? 特に気にしなくていいんじゃないかな」
今日の天気を問われた後のような気軽さでハリエは言った。
「今さっき会ったばかりの人が、"だろう"と"はずだ"で物を言ってるんだよ。
「……言われてみれば」
「"善良な騎士の善意"だったとしても領主様の方はわからない。田舎の庶民の子供達にそこまで手厚く親身になってくれるとは思えない。町に行くにしろ仕事を貰うにしろ適当な対処をされて途中で梯子を外されたら、寄る辺のない私達は路頭に迷うだけだよ」
「……う、うん」
「だったら無難に金貨を貰って、持ち家を拠点に色々な可能性を模索して、もう少し大きくなってから出稼ぎなり何なり考える方がよっぽど現実的だよ。山賊討伐の協力金なら相当な額を貰えるはずだし。貯蓄が十分なら焦って考える必要もないし」
淡々と述べられる理論的な答えに、セルマが感じていた嫌な動悸はみるみる落ち着いていった。肩の力が抜けて思わず溜息が出る。
「……冷静な妹がいてくれて助かったわ」
呟きに返事はなく、ハリエは騎士に出した茶のカップを黙って片付け始めた。
その夜セルマはどうにも寝付けず、体を起こした。音をたてないようエレナの様子を窺うと、枕元に修復中の騎士スウィーニー人形を、腕にはしっかりと日本人形を抱いてぐっすりと眠っていた。事件以降しばらくは夜泣きが酷かったため余計にその安心しきった寝顔が愛おしく、微笑みを浮かべてベッドから抜け出した。
月明かりが差し込む窓辺に腰掛け、家の中をぼんやり眺める。
壁に薄く残る傷は姉妹で大喧嘩した時につけたものだ。母親にこっぴどく叱られ、父親が女同士の喧嘩の激しさに戦きながら修繕した。
床の染みはエレナが鍋をひっくり返した時のもの。火傷をしたんじゃないかと家族全員慌てふためいているうちに色がこびりついて取れなくなってしまった。
椅子とテーブルは母親の要望を聞いて父親がこしらえた。セレナが生まれあちこち這って歩くようになると、いつの間にか角を丸く加工してくれていた、と何故か母親が自慢げに惚気ていた。
思い出の一つ一つを反芻していると、いつの間にか起きてきたハリエが忍び足でやってきて、何も言わずセルマの隣に座り甘えるように肩を寄せた。
「……お姉ちゃん」
「ん?」
「私、自分では冷静な意見を言ったつもりだったの。でももしかしたら、家を離れなくていい理由を必死に探しただけかもしれない」
「……考えすぎよ。ハリエの言ったことは全部正論だった。あんたは偉いわ。私は咄嗟に考えられなかった。――今になってちょっとムカついてきてる」
「え?」
セルマは元々勝ち気な性格である。子供ながら長女として親の代わりに妹達を守ろうと四苦八苦してきた自負もある。
それなのにぽっと出の人間が無遠慮に抱えていた不安に触れ、さしたる保証もない"救いの手"を一時的な哀れみの感情で見せびらかした。その事実が今になって腹立たしくて仕方がない。
「子供だからって見下してんじゃないわよ、都会育ちのボンボン騎士がぁ……! 私達のことも生活も環境も何一つ知らないくせに"庇護しなきゃ死んじゃう無力な生き物"だって決めてかかってんだわ、あの目ェ……! クソがァァ……!!」
「お姉ちゃん、耐えて耐えて。エレナが起きるから。……やだぁ、私までつられて腹が立ってきたじゃん……。ふふ、ふふふふ、おっかしい」
寄せた肩をぶつけあって怒声と笑い声を必死に抑えているうち、いつの間にか互いの暗く沈んだ心地が何処かへ消えていた。家族がいればどんなことも乗り越えられる。そう思わせる温もりがあった。
はあ、と笑みの滲む溜息を吐いたハリエは、エレナが眠っている部屋の方向へ目を向けた。
「もし町においでって言ったのが"煙草のおじさん"みたいな人だったら、もっとずっと悩んでたかも」
「あぁ……、まあ、うん……だいぶ、考えるかも……」
妖精が日本人形を持ってきた際、セレナ達は"煙草のおじさん"こと治臣の話を根掘り葉掘り聞き出した。
本人が直接語った覚えのない妖精に出会う前の荒んだ心から、セレナ達の真っ直ぐな生き方や心根が自身を見つめ直す切っ掛けになったこと、女性に縁遠い人生だったため四苦八苦しながら女の子向けかつ三姉妹に届きそうな物品を日夜考えていることまでも赤裸々に。
職場で"
(可哀想だ気の毒だと哀れむ目をしたあの騎士とは雲泥の差だわ)
治臣は自分よりも遙かに年下の子供の生き方に敬意を払い、応援しようと自ら行動している。それを聞いて、セレナは"哀れな孤児"ではなく"一人の人間"として、姉妹三人で乗り越えてきた苦労も喜びも全てまとめて認めてもらえたような、誇らしく心強い気持ちになった。
――どんな人なんだろう、とセレナは考える。似たようなことを考えたのか、ハリエはぽつりと呟いた。
「異世界じゃなくて、こっちの世界の人だったらよかったのになあ」
翌日、セルマは騎士の話をきっぱりと断り「褒美は金貨でお願いします」と答えた。騎士は複雑な顔で姉妹を見つめ、諭そうとしたのか口を開きかけたが、それを遮ってセルマは胸を張った。
「ご親切に保護していただかなくても結構です。私達は家族で力を合わせて生きてきましたし、これからもそうします」
「しかし、安全が――」
騎士の言葉が途中で止まった。セルマが遮ったのではなく、二人の間にひょいと割り込んだエレナが、日本人形の両脇に手を入れて騎士の方へ持ち上げたからだ。話の間エレナの相手をしていたハリエは"ごめん"という仕草でセレナに謝る。
騎士の背後にいる部下達は人形を見て「ひぇ……」という小さな恐怖の声をあげる。しかし都会からの訪問者、それも見た目が洗練された"騎士"という存在が複数家に来て高揚しているエレナは、ただただ天真爛漫に笑顔を振りまいた。
「あのね、あんぜんはだいじょうぶ! ひめきしウェンディがいるから!」
「そ、そうか。姫騎士? なのか、その人形は」
「うん! おひめさまだけどとってもつよいから"ひめきし"になったの。きしスウィーニーも直してるの。だからだいじょうぶ!」
信頼しきったエレナの様子と強張った騎士達の顔を見比べて、セルマは腹を抱えて笑い出したい衝動をぐっと堪えた。これほど幼い子供にだって誰の方が信頼出来るか理解しているのだ。もう迷うことなどない。
セレナはエレナと同じくらい晴れやかな笑顔で言いきった。
「そう。うちには姫騎士ウェンディと騎士スウィーニー、それから素敵な"おじさん"がいるから――私達三人は、大丈夫です!」
――ふふふ。
騎士達は何処からか薄く笑う声を聞いた。三姉妹の誰でもないその声はとても優しく、そして喜びに満ちていた。
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