第5話 約束の語り部

 グレイの訃報から半年が経ち、翡翠色の妖精87番、自称ハナは久しぶりに輝に呼び出された。輝は以前より少し背が伸び、女子のような柔らかさよりも青年の堅さを感じさせる面差しに変化しつつある。

 子供の成長の早さに「おおー」と感心しながら、ハナは輝の周囲を飛び回って全身を観察する。輝はやや照れくさそうな顔で、飛び回る妖精を手で払った。


「久方ぶりだな、輝ける翡翠グロリアス・ジェイド。我が喚び声に応え異界より現れたる妖精よ」

「わー、そっちは相変わらずでしたか」

「無論。我は永久の賢者故に不変である。早速本題に入るが、我が魔力を注ぎ錬成した魔導書を汝が世に授ける」

「ハイハイ寄付ですね、毎度ありが……うん? 錬成した魔導書、というと……?」


 輝が差し出した厚い紙束――原稿用紙の束にはびっしりと文字が綴られている。子供らしい稚拙な字体で、誤字脱字や誤用も多い。ハナは差し出された物品と輝の顔を見比べて、曖昧な表情を浮かべた。


「ええっとぉ……つまり、自作の小説を寄付するということで?」

「し、小説ではない。これは伝記だ。我が心の英雄、グレイのな」


 訃報を聞いた後、ハナから聞き込んだグレイの冒険を覚えている限り書き留めたものだ。ファンタジーに執着している輝は当然の如くそうした物語も読み漁っていたが、自身で何かを綴るのは初めてだった。


(誰が何と言おうとグレイは僕にとって英雄で、永遠の憧れで、主人公だ。そのグレイが望むなら、"生きた証"ぐらいいくらでも語り継いでみせる)


 自分が勇気づけられた彼の冒険譚を、少しでも多くの人間に知って欲しい。その一心で原稿用紙にペンを走らせ続けた結果、納得のいく区切りがつくまで半年もかかった。

 ハナは小さな手で原稿の束を軽く叩く。


「坊っちゃん。この伝記が坊っちゃんの思う通りの扱われ方をするとは保証出来ませんよ。地球の言語で書かれてますから異世界むこうじゃ誰も読めませんし、読む以前に誰かの鼻紙として支給される可能性だってあります。それでも寄付しますか?」

「愚問だな。渡した伝記はでしかない。グレイの名が世界中に轟く日まで、我は新たな伝記を綴り送り込み続ける所存だ」

「世界中ですか。ふふっ、大きく出ましたねえ。グレイさんは"私と坊っちゃんの二人が知ってるくらいで丁度いい"なんて言ってたのに」

「グレイに謙虚は似合わんだろう?」

「ええまあ、確かに」


 互いに同じ人物の姿を思い浮かべ、にやりと笑う。いつかこうしてグレイのことを語りながら笑う人間が世界中に溢れたなら、それは十二分に"生きた証"となるだろう、と輝は満ち足りた気持ちになる。


(なに、そう遠い未来の話ではない。既に異世界での第一歩に加え、地球での第一歩も踏み出した。実現する日も近――)


「おっ、何です何です? 地球で何を始めたんです?」

「だから心を読むなと。……我が綴ったグレイの自伝を小説投稿サイトに投稿したのだ。案ずるな、汝に授けた伝記と同じく、汝の属する組織については一切触れておらぬ」


 "異世界平和と摂理支援の会"の事を他人に話そうとすると自動的に記憶が消去される、という規則に触れてグレイの存在を忘れては元も子もないため、その点は念入りに確認をした。

 輝の言葉の意味がわからないハナが「さいと? って何です?」と首を傾げる。説明のためスマートフォンで小説投稿サイトを開いた輝は、サイトからの通知表示を目にして「あっ」と声をあげた。


「うん? どうしたんです?」

「小説に感想がついた。わ、わっ、ど、どうしよう」

「へー、そんな簡単に他人読んでもらえて、感想まで。さいとって面白いですねえ」


 輝は震える手でスマートフォンを操作し、届いた感想を読む。高揚感で火照った顔はすぐに冷えていった。輝の顔に体を寄せて同じ目線で画面を覗き込んだハナは、あちゃー、とばかりに苦笑した。


「……"主人公のいい人っぽくないキャラクター像はいい。でもそれ以外のキャラクターがあまりに薄っぺらくて物語全体が薄っぺらく思える。地の文の主人公賛美もキツ過ぎて鼻につく。あと単純に誤字脱字誤用が多くて読みにくい。もっと勉強したら?"……」

「は? はあ? はあああああ~~~~?????? うすっ、うすっぺらい? グレイの冒険が? 命を賭けて戦った男の話が、うす、薄っぺらいぃ???」


 怒りの声をあげながら画面を凝視する輝を眺め、わからなくもないなあ、とハナは思った。

 若さ故の盲信か、最終的に命を奪われた"被害者"であるためか、現実でも小説でも輝はグレイのこと考えていないことに気づいていない。

 例えばグレイを殺すに至った女性治癒士が今までグレイに何を言われてきたのか、他に何をされたのか、どんな気持ちでいたのか、他の仲間達に対してはどうだったのか、妖精が見ている限りほとんど考えたことがないのだ。

 実話が元になっているとしても主人公以外がおざなりでは「薄っぺらい」と感じても仕方がない。


 小説って難しいなあ、とハナが考えている間にいつの間にか輝の手はスマートフォンを離し、原稿用紙の束の方に伸ばされていた。ハナが指先を指揮者の如く振ると原稿用紙は淡い光に包まれ、ふっとその場から消えた。

 目的を失った輝の手は空を切り、恨みがましげな顔でハナを振り返る。


「何をするんだ輝ける翡翠グロリアス・ジェイド……」

「私にはわかってますよ坊ちゃん。段々言われた通りのような気がしてきたから書き直すつもりなんでしょう? そういうのが一番駄目なんですよ。永遠に終わらないヤツですから」

「べ、別にそういうわけじゃ、」

「ならいいですね。どうせ新しい伝記も書くんですから再挑戦はその時にしたらいいのです。あっ、もしかしてもう心が折れかけて……」

「もも問題ない! 我はグレイの伝記を書き続けるって決めたからな! 折れるものか! お前なんかに負けないからな馬ぁ鹿!」


輝は半泣きでスマートフォンに中指を立てた。新米小説投稿者、ハンドルネーム"約束の語り部"の第一歩はこうして始まったのだった。

――ただし伝記の執筆は一時中断し、質を向上させるための練習台として"グレイ"というキャラクターだけを登場させた全く別の物語からの再出発だが。






少し遠い未来の話。

ライトノベルのレーベルでデビューして以降、着々と作品を書き続ける小説家がいる。読みやすい軽い語り口の物語から硬派で堅実な物語まで、多彩な書き方をするその作家を好む読者がいる一方、"コロコロ作風が変わってとっつきにくい"と敬遠する読者も少なくなかった。

何故作品毎に作風を変えるのか、とインタビューで聞かれた時、その作家は「いつか彼の物語を書くため、相応しい雰囲気を模索している。寧ろ今までの作品は彼の物語を書くための修行の一環だ」と答えた。


"彼"はその作家の作品の中に必ず登場する男性キャラクターだ。口も態度も荒っぽい、往年の不良漫画の主人公のようなそのキャラクターは、ある作品では主人公の窮地を救い颯爽と去ってゆき、また別の作品では国を救った伝説の英雄として語り継がれ、更に別の作品ではかつて国を正しく治めた名君として、あらゆる形で登場していた。


巷では作者のインタビューを踏まえ「キャラクター以外の設定が作品毎に盛られていくやつ」「ミ○ウツーかな?」「寧ろ作品毎に舞台が違うんだから世界線すら越えてる人外」「始まる前から物語が完結してる男」などと盛大に弄られ、新しい作品が出版される度にネタとして愛された。


終わらない男の物語エターナル・グレイ・ストーリーは目下構想中である。


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