学生:花釜 輝とキーホルダー

第1話 花釜 輝

 暗い部屋に青白い小さな照明が点々と配置され、魔法陣が描かれた黒い布が床一面に広げられていた。祭壇には供物が並び、香の煙が細く立ち上る。

 魔法陣を前に立つ小柄な人物は目深に被った外套ローブ頭巾フードの隙間から念入りに確認をし、手にした魔術の本を開いた。


「時はきた。今宵星辰は揃い、神秘の力は充ち満ちている。我が求めに応じ姿を現せ、翡翠の妖精姫ジェイド・オブ・ティターニア


 朗々と謳う言葉が終わった時、ふうっと香の煙が揺らいだ。そして魔法陣の中心には存在していなかったもの――仄かに光を纏い、蝶のような羽を持つ翡翠色の小さなが現れていた。煌めく瞳は静かに外套の人物を見据え、そして――


「どもども。いつもありがとうございます、慈善団体"異世界平和と摂理支援の会"でーす」


 ――軽いノリで言いながら部屋のカーテンまで飛んでいき、一気に開け放った。燦々と輝く陽光が室内に差し込み、外套の人物は「うわまぶしっ」と頭巾の前を閉じる。お構いなしに翡翠色の妖精は窓を開け、ばたばたと羽ばたいて室内に籠もる香の煙を外へ逃がした。


「もー、貴方って人は! 生肉だの生魚だのおかしなものばっかり出して来てー! 今回は何なんです? あのくっさいお香」

「く、臭いって……電子の海より喚び寄せた儀式用のインセンスなんだぞ……聖別された力の籠もった特別な」

「そんなもんなくても"へい87番!"でお手軽に出てきますよ! というか翡翠ジェイドなんて小っ恥ずかしい呼び方するくらいならハナちゃんって呼んでくださいってあれほど言ってるのに……というかというかジェイド・オブ・ティターニア、って突っ込み所パッと思いつくだけでもみっつくらいあるんですけど。まずオブの使い方が――」

「もう止めてよぉ! 心折れるよ!」


 最早半泣きで叫んで、花釜はながま あきらは外套を脱ぎ捨てた。






 花釜 輝は中学二年の男子学生である。世界にダンジョンが出現してから生まれた、所謂"新世代"の人間だ。ファンタジーを身近に感じ、探索者達の活躍を見続けてきた輝は、御多分に漏れずダンジョン探索者を夢見ていた。子供の頃の写真は大抵剣を構えた姿で残っているほどだ。

 だが早い段階でダンジョン適性が低くスキルも持っていない、おまけに運動神経も動体視力も人より劣るとわかり、テレビに映る英雄のようにはなれないのだと悟ってしまった。

 それでもファンタジーに対する夢と憧れは消えず、寧ろ強くなる一方だった。そんな時出会ったのが翡翠色の妖精87番、自称ハナである。


「よし来た、異世界転生だな! 我が力が必要ならば仕方がない行ってやろう! もしくはスキルを与えられてダンジョン無双か、それもまたよし! 地球に蔓延る悪しき怪物を一掃してくれよう!」


 初めて妖精を前にした時の輝の第一声である。「うちそういうのやってないんですよね」と否定された時は号泣しながら崩れ落ちた。

 しかしダンジョン適性の低い輝にとっては唯一持てるファンタジーとの繋がりだ。気を取り直して積極的に寄付や貸与を行い、ついでに――という体でこちらが本命だが、ハナから異世界の話を聞き込んでいる。


 異世界の話のみならず、突如地球に現れたダンジョンについても質問した。地球に突如ダンジョンが出現した理由、"異世界平和と摂理支援の会"が創設された理由と活動理念、"異世界平和と摂理支援の会"とダンジョン出現の関係性。

 どの質問に関してもハナは「神様から説明された気はするけど何かよくわかんなかった」ため、彼女が知る中で最も聡明な妖精20番を連れてきた。

 妖精20番は、淡い透き通るような水色の髪と瞳をした妖精だ。仕事とは関係のないことで呼び出され冷ややかな様子でハナと輝を見据え、淡々と質問に答えた。


 原則、神は一切の干渉を行わない。だが地球にダンジョンという"絶対に生まれるはずのないもの"が生まれてしまって以来、が急速に現れだした。その一端が"ダンジョン適性"や"スキル"だ。

 地球の歪みはダンジョンによって縁が繋がった異世界にも波及し、歪みは手がつけられないものになりつつある。


「例えるならプログラミング言語で作られたものに突然アハウケカソチギノミギパヲを入れ込むようなものです」

「アハ……何?」

「そう、"何?"です。世界にとっても"何?"という状態のまま、それでもアハウケカソチギノミギパヲなるものに適応していこうとした結果歪みが広がっていくのです。このまま広がっていけば、地球の場合はダンジョンの外にモンスターが出てきます。間もなくダンジョン以外でもようになるでしょう」


 ダンジョンやモンスター以外の歪みの例もいくつか語られ、輝は段々青ざめていく。最悪でもモンスターが湧くで食い止めなくてはと思う程えげつなかった。

 だがそこまで重大な案件なら地球にダンジョンが出来た時すぐ消していればよかったのでは、とファンタジー好きの輝にしては珍しいことを考えた途端、水色の妖精20番はきつい目で輝を睨めつける。


「一度生まれてしまった以上、易々と消すという行為は取れません。それが神です」

「は、はい、スミマセン……」

「神様は異世界と地球双方の歪みを最低限に収めようとして苦慮していらっしゃいます。そのうちの一つが"異世界平和と摂理支援の会"です。ただあくまで手段の一つでしかなく、正される歪みは蝶の羽ばたき程度ですが」

「はいスミマセン……でもあの、それって、矛盾しているような……?」


 "異世界平和と摂理支援の会"の活動内容は、寄付あるいは貸与された物品を"必要としている相手"に支給することだ。地球から異世界へ、異世界から地球へ、双方の世界に存在していないものであろうと支援物資として寄付出来る。

 "別の世界のもの"が生まれたせいで歪みが生まれているとするなら、"別の世界のもの"で支援することに意味はあるのだろうか。

 水色の妖精20番は「時と場合で理由は異なります」と輝の言葉の足らない質問に返答した。


「支援しないよりも支援した方が歪みの率が少ないと判断された場合や、歪みの幅を狭めるためにささやかな物品を送った場合、既に歪んでしまったものを正すために必要だった場合等、多岐に渡ります。お忙しい神様が無意味に無節操に祝福を賜っているとでもお思いで?」

「いいいいいえ、決してそんな、あの、もう一つ……そもそも何故ダンジョンが地球に現れたんでしょうか」


 すっかり萎縮した輝はそれでも好奇心が止められず、恐る恐る問いかける。妖精は不機嫌さを隠しもせずに舌打ちをした。


「異世界と地球、双方のせいです。人類のせいで我々の神様が尻ぬぐいをさせられているのです。クソが」


 とは誰なのか、とは何のことなのか――輝にそれを聞く勇気はなく、すっかり心が折れてしまった。輝にとって著しく機嫌を損ねた女子と会話をするのはハードルが高すぎた。


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