4 辛い
翌朝、私たちは学校へと向かっていた。今日は英語の小テストがある。出題される英単語は20個だ。
「あんた、わかってるでしょうね、今日の単語テストなんて、普通の子だったら絶対満点とれるわよ?ねえ、わかってるでしょうね?大した取り柄もないくせに、勉強までうまくいかないようじゃ、いよいよ本当にあんたは終わりよ。わかってる?あんたが誰にも嫌われないために、呆れられて捨てられないために私がこうしてあんたに喝を入れてあげてるんだからね?
一問でも間違えてみなさいよ。どんな目に遭うか、わかってるでしょう?・・・ああ、野暮な質問だったわね。そうね、あなたは心の底からわかってる。あなたが今までなんの価値もないろくでなしだったせいで、あなたのお母さんや大人達に何をされてきたのかも、ね」
マルゲリータちゃんが私の1日がうまくいくように御呪いをかけてくれている。
ありがとう、マルゲリータちゃん。
彼女の声を左から聞きながら、笑顔で細い道を通っていると、英単語帳を開いて雑談しながら歩いている男子二人を見かけた。彼らは私のクラスメートだ。名前は知らない。それに、私が他の人と交流を持つのをマルゲリータちゃんはとても嫌がる。
ただ、かおるは別だ。彼女は私の、小学校の頃からの幼なじみで、いつも一緒にお昼を食べる。その間マルゲリータちゃんは教室の隅でじっとしている。マルゲリータちゃんがお昼を食べている姿を、私は見たことがない。だからモデルのように細いのかもしれない。
教室にたどり着く。遅刻ギリギリだ。いつもそうだ。
「机の上のものをしまってぇ」
担任の男の先生は元気で明るい人だ。
ただ時々、クラスメイトを見て軽蔑するようにため息をつく。
「8割未満は居残りですよぉ。わかってんでしょうねぇ。お前達若い者は最難関大学を目指すべきですからねぇ。そういういい大学を目指していたら、下げてもダイジョオブですからねぇ」
生徒達は、死ねばいいのにと思いながら先生の言葉をただ項垂れて聞いていた。頭を押さえつけられているみたいだった。
もちろん私はそんなこと思わない。当然じゃない!私は真面目ないい子だもの。
先生という生き物は、まるで権力を初めて持った赤ん坊だ。私たちはその遊びに付き合わされる不幸なおもちゃ達だ。トイ・ストーリーとは比べ物にならないほど、私たちはかわいそうだ。クラスのみんなはそんな風に思っている。
ちょうど真ん中辺りの席に腰を下ろす。後ろからの視線が私の背中に突き刺さる。
単語テストのプリントが前から回されてきた。なるべく後ろの子の目を見ないようにしながらプリントを回した。後ろの子は軽く会釈をした。優しい、いい子と思った。
「はい!」
全ての考えが、先生の大声でかき消される。解答始めの合図だ。いつも先生は大声を出す。
権威を振りかざしているつもりだろうか。ああ、うざったい。一体何様の気でいるのだろう。
私たちをこんなふうに狭い教室に押し込めて、こんな風に、頭がうまく回転するかを試すような真似をして。一体私たちをなんだと思っているんだろう。私はあんた達のために勉強する機械なんかじゃない。
と、クラスメイト達が思っている。
昨日マルゲリータちゃんに散々教えてもらったから解答は順調だった。ふと顔を上げると、二つ斜め前にかおるの姿が見えた。私は途端に嬉しくなった。
かおるのことを考えると、胸の中がこう・・・ぬいぐるみに埋めたみたいにふわふわする。
彼女は私の唯一の友人で、かっこいいスポーツ少女でもある。私はかおるがテストに苦戦している横顔をうっとりと眺める。さっぱりとしたショートカットと、スラリとした体躯。彼女は短距離走の選手だ。私は彼女の走る姿を何度も見たけれど、あれほど美しいものはこの世にない。長い両足を、良いバネにして、空気の抵抗を全部無視して、振りきっていく、あの姿。
まるでジャングルの中のチーターみたいで、惚れ惚れする。
「何してるの」
ふと、声が聞こえた。びくりと体が痙攣した。恐々と横を向くと、そこにはマルゲリータちゃんの、大人のように冷たい顔があった。
「何してるの」
あ。
「何してるの」
マルゲリータちゃん、違うの。私は声を出さずになんとか伝えようとするけれど、マルゲリータちゃんは私を睨み続けている。
どうしようどうしようどうしようどうしよう。冷や汗が浮かぶ。マルゲリータちゃんを怒らせちゃう。そんなことをしたら私の価値が・・・彼女に嫌われたら私は生きていけない。
「何してるの。ねえ、何してるの」
マルゲリータちゃんが人差し指をとんと机に置いた。私はその視線の先にそろそろと目をやる。私の目が自然に下がっていく。机の上に一枚載せられてある回答用紙。その、最後の一問。
心臓が止まったような衝撃が駆け抜けた。
最後の一問が、まだかけてない。
「はい!そこまでぇ」
先生が、掌をばちんと合わせた。教室ががやがやし始める。
「俺、全然わからなかったぁ」
そう後ろの方でいうのは野球が得意な西宮君だ。
「ねえ、ここってこれで合ってる?」
と困り顔で友人に質問しているのは他のクラスにもファンがいるような鈴木さん。
「うーん、まあまあかな」
私の右隣で伸びをして、プリントを前に回したのは、このクラスで一番頭が良くて性格も良くてクラスの人気者の、中林さんだ。体が動かなくなった。後ろの子が私にプリントを回したがっている気配がした。振り返ることができなかった。
終わった。
「何してんの、あんた」
マルゲリータちゃんは嗤った。
「あ、そう。あんたは自分で選択したのね。自分が捨てられる未来を、選んだのね。いよいよもう、終わったのね。もう良いわよ、私もあんたになんか、もう期待しないわよ。私も、暇じゃないから」
私はこぼれ落ちそうな涙を、掌に必死で爪を立てることでなんとか抑え込んでいた。
ぼーっとしていると、昼食の時間になっていた。
「まこ、ご飯食べよ」
誰かが近づいてきた。誰だっけ、この顔。
「ねえ、まこ?どうしたの、具合悪いの・・・?」
誰かが私の肩に手をかけてくる。その手を振り払う。やっと我に帰り、かおるが目の前にいることに気づく。
「あれ、かおる?どうしたの、そんな顔して。あ、お昼か」
時計の針を見上げる。12時ちょうどだった。
周りを見渡すと、もうみんなお弁当を取り出して食べ始めていた。教室が騒がしくなっている。
「ねえ、大丈夫?調子悪いの?」
私は首を横に振った。かおるに私の失態を知られるわけにはいかない。
「大丈夫だよ」
私はちゃんと笑えているだろうか。
お昼ご飯は図書館棟の前の庭と決めている。種類は知らないけれど大きな木があって、私たちはその根本にハンカチを敷いて座ってお昼を食べている。どうしてわざわざそんな面倒なことをするのか?高校生だからだ。雰囲気が大事なのだ。
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