5 痛い

かおるがランチボックスを解体して蓋をぱかりと開けると、色とりどりの美味しそうなお弁当が覗いた。私は家から持ってきたパンの袋を開ける。お母さんの好きないちごジャムのパンだ。

マルゲリータちゃんは図書館棟の入り口前に立って、私たちを真正面から睨んでいる。

かおるは彼女に気づいているのだろうか。いや、この距離だ。確実に見えているはずだ。

「そういえば昼から体育だよね。今日、多分長距離だよ」

晴れてるし、とかおるは空を見上げる。木漏れ日がかおるの前髪を照らしていて素敵だ。

空には白い雲がぷかぷか浮かんでいて、今日も平和だなあと思う。

「かおるは、足速いじゃない。大丈夫だよ」

いちごジャムのどろりとしたものが、私の唇を伝ってスカートに落ちる。かおるは端正に整った卵焼きをぱくりと口に仕舞い込んだ。

「長距離は苦手なんだよ」

かおるは拗ねるように言う。こんなにかっこよくて可愛い友達がいるなんて、私はどれだけ幸せ者なのか。

マルゲリータちゃんが私を睨みつけている。私はマルゲリータちゃんに微笑みかけた。

ご飯の時間が終わった。次の授業まであと10分ある。いつもの雑談タイムである。

この時間だけは、マルゲリータちゃんは私に口出しできない。そしてこの時間だけは、私の一番の友達はかおるであると思えるのだ。人生で一番幸せな時間だ。

「そういえば昨日のドラマ見た?あれさぁ、あの展開絶対おかしいよね?普通あそこまでいったなら、付き合うよね?」

「ああ、私昨日は勉強していて、ドラマ見逃しちゃったんだ」

かおるにそう言った時、なぜか昨日食べた黒いさくらんぼのタルトを思い出した。マルゲリータちゃんに食べさせてもらった、吐きそうなほどに甘い甘いタルト。

「また勉強?たまには息抜きしないとダメだよ」

かおるは私の顔を覗き込んで、「ほら、クマできてるんじゃない?」と言う。私は少し体温が上がった気がして、顔を伏せた。

「大丈夫だよ、勉強しか、私には取り柄がないから」

私は呟いてから、顔を上げた。マイナスなことを言ってしまった。「そんなことないを欲しがっている」って思われる。かおるに嫌なところを見せてしまう。

「なぁに言ってんのよ!まこはまこでいいんだよ。私が保証する」

しかし予想に反して、かおるは満面の笑みで私の肩をパシリと叩いた。私は理解が追いつかなくて、ただ首を傾げるだけだった。なぜか今、昨夜のアーティストを思い出した。振り払う。

違う、私に必要なのはマルゲリータちゃんだ。そのはずだ。

雑談タイムが終わる。

「ごめん、私ちょっと保健室に行ってくるね」

私は吐き気を抑えながら、かおるに告げた。かおるは心配そうな顔をして、私の頭を撫でた。やめて、と言葉が口を吐きそうになった。危なかった。

「じゃあ、あとでね」

かおるは、私から去って行った。

私は木の根元にまた腰を下ろす。

「ずいぶん楽しそうだったわね」

彼女の声が耳元でする。ズキズキする頭を抑える。ぐるぐる回る視界に目を瞑った。

「マルゲリータちゃん、助けて。何だか、具合が悪いんだ」

光がチカチカして、マルゲリータちゃんの声が、小さくなる。一人にしないでほしい。

「かわいそうに、何が正しいのか、またわからなくなってしまったのね。何度でも教えてあげるわよ」

マルゲリータちゃんが私の首に両手をかけた。すると、世界が戻ってくる。私の、世界が。

「あなたには、価値がないの」

君は幸せになっていいんだ。

君には価値があるんだ。

君に罪はないんだ。

君は世界に愛されているんだ。

アーティストの声とマルゲリータちゃんの声が、一緒になって私の中に迫ってくる。

吐き気が抑えられなくて、私は気がつくとさっきのジャムパンを胃から吐き出していた。血みどろみたいになった木の根元と、私のからだ。いちごの匂いがぷんと私にまとわりつく。

まるで支配されることを望んでいるみたいに、惨めな匂いだ。

私は、さっき、かおるに優しい言葉をかけられたのか。

優しい言葉をかけられ、一瞬疑ってしまったのか?勉強がなくても自分には価値があると。

一瞬でもマルゲリータちゃんの支配から逃れようとしてしまったのか。そんなこと、絶対に許されない。

私はマルゲリータちゃんの足元に縋りついた。

「マルゲリータちゃん、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。私は一瞬でも、あなたを疑ってしまいました。自分に価値があると思ってしまいました。ごめんなさい、ごめんなさい」

マルゲリータちゃんは私の唇から伝う一筋の赤を、自分の唇に擦りつけると、私の頭を踏みつけた。

「あなたは私にまで罪を重ねた。救済者である私に牙を剥いた。もうあなたは許されない」

この先、二度と。

マルゲリータちゃんがそう言う。さあっと血の気が失せて、私は何度も、「ごめんなさい」を繰り返す。

「かおるに言わせたのでしょう。かおるにあえてああ言わせたのでしょう」

いちごの匂いにむせ返って、口の中に雑草が入ってくる。マルゲリータちゃんの靴底が私の髪をじりじりと踏み躙る。

そうだ、私が言わせたんだ。私がかおるを、そう言うように仕向けたんだ。

私は今、再び納得に辿り着こうとしていた。

かおると言う素晴らしい友人にまで、私は仕向けるだなんて汚いことをしたんだ。

テストで満点も取れないで、マルゲリータちゃんを裏切り、かおるの優しさをも裏切ったのだ。

私って生きてる意味あるの?

「あなたって、生きてる意味あるの?」

自分の思考とマルゲリータちゃんの声がシンクロした。

私は立ち上がり、階段へと向かう。

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