第三十二話  死闘の後

 俺が《天翔セイクー》を以って地上に戻ると、レレイシャたちがわっと駆けつけた。

 ジェニだけではなく、ローザの姿もある。


「お見事でした、陛下!」

「さすがは我が君と讃えるべき、見事な魔術師ぶりでございました」


 特にジェニとレレイシャは、抱きつかんばかりの勢いであった。

 まあ、待て。

 受け止めてやりたいのはやまやまだが、今の俺には左腕がないのでな。

 二人いっぺんは無理だ。


 俺はそう思ったのだが、二人はおかまいなしだった。

 まずレレイシャが率先して、俺の左側からそっと身を寄せてくる。

 それを見たジェニがうれしそうに俺の右側に回り、無事な右手で抱擁を求めてくる。

 ではローザはと見やれば、「べ、別にそこまでしないから!」とばかり、プイッとそっぽを向いてしまった。

 うむ、三者三様で良い。

 皆それぞれに、愛でるべき可憐さがある。


 俺がそんなことを思っていると、腕の中のジェニが、ローザを振り返って言った。


「申し訳ないな、ローザ。ここにあなたの居場所はないようだ」

「う、うっさい! 別に要らないわよそんなの!」

「少しは素直になったらどうだ? 陛下に救い出された後のあなたは間違いなく、しおらしい女の顔になっていたぞ」

「はああああああああああ!? いつから!? どこから見てたのよ!?」

「あなたが陛下の《瞬避スレイン》で地上に脱した時から。空から」

「つまり、あんたがペガサスの鞍上でガクブル震えてた時ってこと!?」

「そ、それは言うなっ」


 うん……良いな。

 ……愛でるべき元気がある。



 しかし、娘たちを愛でるのは後だ。

 俺もいつまでも呆れてはいられない。

 なすべきことがある。


 俺はレレイシャたちを侍らせたまま、すっと視線を移動させた。

 最前から、じっと這いつくばっていた――ナターリャへと。

 既に人の姿に戻り、しかし裂けた衣服は戻らず、半裸状態で叩頭拝跪していた。


「おみそれいたしました、陛下! カイ=レキウス“統一王”陛下!!」


 俺の視線に気づいたナターリャが、平伏したまま言上する。

 こいつの魔術の程度では、《斬呪ガブラス》で裂いた口角の傷が癒えきっていないのだろう。口調はぎくしゃくしたものだった。

 ナターリャは、その生乾きの傷から再び流血するのも構わず、叫ぶように訴え続けた。


「このナスタリア伯ナターリャ、御身に盾突いた不明を、僭越を、いま心より猛省してございまするっ。本来は万死に値する大逆なれど、どうか寛大無比で高名なる陛下の、ご厚情を賜りたく存じまする!!」


 まあ、清々しいほどの命乞いぶりだ。

 貴族という、生まれながらに特権を与えられ、育った者の本性だ。浅ましさだ。


「よくぞ俺の弟を、護国の鬼として使役してくれたな?」


 俺は赦すとも赦さぬとも言わず、下問した。


「それもまた僭越、愚行と、いま猛省しておりまするっ。しかし、申し開きをさせていただきますれば、アル=シオン陛下の御骨を拝領し、帝国存亡の折には御霊のご降臨を願い、御国の敵を討つべしというのは、我ら帝国領主の骨の髄まで叩き込まれた、国訓にございまする。半ば反射的な行為でございますれば、平にご寛恕をっ」


 だから許してくれと、ナターリャは重ねて哀願する。


「ふむ。つまりは、貴様ら帝国領主とやらの全員が、アルの遺骨を持っているのだな? アルの魂を縛りつけ、戦に使役できるのだな?」

「ははーッ。仰せの通りにございまするっ」

「……そうか……」


 大陸には二百余州が存在し、人骨は全部で二百余本が存在すること。

 人の魂を護国の神として祀り上げるには、大規模な儀式魔術が必要であること。

 それらのことから、予測はついていたが……な。

 いざ事実として聞かされると、あまりに度し難い話ではないか!


「ナターリャとやら」

「は、はい、陛下!」


 俺は目でレレイシャたちに離れるよう指示すると、叩頭拝跪するナターリャに歩み寄る。

 名を呼ばれ、うれしそうにおもてを上げたナターリャの、その長い髪をむんずとつかみ上げて、力ずくで立たせる。


「ひっ。ご、ご無体をっ」

「囀るな」


 俺は押し殺した声で命じると、そのままナターリャの汚い首に、牙を立てた。

 嫌悪感を堪え、思いきり血を啜った。


「わ、わたくしめにも寵愛をくださいますので!?」


 間抜け。

 そんなわけがあるか。


 吸血鬼は、他者を吸血鬼にできる。

 一つは王侯種ロード以上の吸血鬼が、己の血を与えた場合。

 もう一つは、他者の血を底まで吸い尽くした場合。

 ただし後者で生まれる吸血鬼は、人格の剥落した、傀儡の如き劣等種レッサーとなる。


 ナターリャ!

 貴様のような貴族でくにはお似合いだ!


「お、おやめください、陛下! お慈悲を! どうかお慈悲を!! せめて、普通の死を賜りくださいいいいいいいいいいいいイヤアアアアアアアアアアアアッッッ」


 ナターリャも俺の意図に気づいたのだろう。

 半狂乱になって暴れた。

 しかし蛇女ラミアー風情では、吸血鬼の真祖トゥルーブラッドの怪力には抗えなかった。


 俺が貴様を傀儡でく人形として、未来永劫、戦で使役してやるゆえ猛省せよ。

 魂の尊厳を踏みにじられたアルの気持ち、如何ほどのものか貴様も味わえ、ナターリャ!!


    ◇◆◇◆◇


 愚物の処理が終わった後、俺は前世からのつき合いである腹心に言った。


「聞いたな、レレイシャ?」

「はい、我が君。弟君の遺骨を持つ者どもが、帝国にはまだ無数に蔓延っているなどと、到底赦してはおけませんわ。全て集め、改めて王都に埋葬し、鎮魂の餞とするべきかと進言いたします」

「帝国を滅ぼす理由が、また一つできたな」

「お供いたします、我が君」

「わ、私も微力ながら、粉骨砕身お仕えします!」


 レレイシャが恭しく頭を垂れ、ジェニが意気込みを見せた。

 それから二人は、所在無げにしていたローザを振り返る。


「あなたはどうするのだ、ローザ?」

「……ちょっと。……考えてる」

「考えるも何も答えは一つだろう? あなたは都落ちを余儀なくされた騎士で、頼みのナスタリアにも裏切られた。もはや帝国にあなたの居場所はあるまい」

「わ、わかってるわよっ。それに実際、帝国だの貴族だのいう連中に、愛想も尽きたしね」

「でしたらローザ卿も、我が君の元へいらっしゃいな。私は歓迎いたしますよ?」

「…………」


 迷いを表すように、ローザの瞳が揺れる。

 それから、意を決したように俺の方へ顔を向けた。

 だがそれでいて、不安げに瞳を潤ませながら、


「あ、あたしは何度もあんたと敵対した。そのあたしを赦して、迎え入れてくれるわけ?」

「赦そう。俺はおまえのことは気に入っているゆえ、な」


 俺は両手を広げて、歓迎の意を表した。

 そう、両手で、だ。

 アルに斬られた左腕は、すっかり再生していた。

 ナターリャの血を吸い尽くしたことで、大量の霊力を奪った結果だ。


「ほとほとデタラメよね、吸血鬼って!」

「まあ、ひどい目に遭ったがな。あの女の血は本当に臭かった。腐臭がした」


 怒りに任せての行為でなければ、とてもではないが吸血行為を完遂できなかったであろう。


「あらあら、でしたらお口直しが必要ですわね、我が君」

「ぜ、ぜひこのジェニの血をご堪能くださいませ!」

「ふむ……ならば口直しさせてもらおうか」

「ですってよ、ローザ卿。ぼんやりしていてよろしいのですか?」

「ハァ? どういう意味よ?」

「我が君の元に降るとなった以上は、ジェニ卿にばかり寵愛を奪われては、困ることになるのはローザ卿ですよ?」

「べっっっ、別にあたしまだ降るって決めてないし!」

「まあまあ、意地っ張りな人ですこと」

「ローザはこれでよいのです、レレイシャ殿。陛下には私の血をいくらでも捧げますゆえ」

「べっっっ、別に血をあげないとは言ってないしっ。助けてくれたお礼をするくらいの分別は、わきまえてるしっ」

「とかなんとか言って、陛下の寵を授かる快楽が忘れられないのだろう、すけべローザ」

「すけべはあんたでしょう、ジェニ!」


 ガミガミと言い合うローザとジェニ。

「こんなことでやっていけるのかしら」とばかり、額に手を当てるレレイシャ。

 しかし、俺はといえば――


「フッ……。クク……ククク……」


 二人のやりとりに滑稽味を感じて、思わず笑ってしまっていた。

 ナターリャがアルの魂を使役したことで激怒させられて以来、ずっとどこか強張っていたような顔が、愛らしい娘たちのおかげでようやく緩んだ。


「では、遠慮なくいただこうか――」


 俺はそのまま両の腕でローザとジェニを抱き寄せ、二人の首筋へ交互に牙を立てた。

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