第三十話 全ては術中なり
伯爵家居城の上空で――
まるで神代の如き、次元違いの戦いが繰り広げられている。
雲一つない今日の青空がまた、二人の怪物の凄まじい戦いぶりを一層、映えて見せる。
ローザはそれを城の中庭から、ポカンとなって見上げていた。
カイ=レキウスには少しでも遠くへ逃げろと言われていたが、そんな気は失せていた。
この戦いを見届けないと、目に焼きつけないと、後悔する。
一人の騎士――否、戦士としての本能がそう告げていたのだ。
「……でもこれ、どっちが押してるんだろう?」
吸血鬼の真祖と護国の武神。
二人の戦いぶりが、ローザの常識とあまりに隔絶していて、戦いの趨勢すらよくわからない。
誰に問いかけたわけでもない自問の類であったが、
「
期せずして返事があった。
鞍上には他にジェニの姿もあり――初めての空の旅が、よほど恐ろしかったのだろう――赤子のようにレレイシャの背中にしがみつき、震え上がっていた。
「結局は、『戦士に有利な状況ならば、最高戦士が勝つ』『魔術師が有利な状況ならば、最高魔術師が勝つ』という、ごく当たり前の論が優勢でした」
レレイシャは「そして、我が君は己が有利な状況を作ることにかけて、右に出る者のない存在ですが」と、得意げに付け足す。
「じゃあこれは、カイ=レキウス有利ってこと? それとも有利な状況を作りつつあるってこと?」
そんな話をレレイシャとしている間にも、カイ=レキウスは左腕を斬り落とされてしまう。
しかも、どうせすぐに再生するのだろうとタカをくくっていたら、まるでその気配がない。
「陛下っ」と悲鳴を漏らすジェニ。
しかし、レレイシャはツンと澄まし顔で、
「無論、我が君の有利は火を見るよりも明らかかと」
「嘘でしょ!? どこがっ!?」
ローザは耳を疑った。
「恋は盲目」ということわざがあるが、レレイシャは「忠義は盲目」状態なのではなかろうか。
実際、左手を断たれた後のカイ=レキウスは、防戦一方だった。
空を雄々しく翔け回っているといえば聞こえはいいが、要するに護国の武神から逃げ回っているだけだ。
これが有利?
「一般に、魔術は武術よりも強力ですが、準備に時間がかかります」
しかし、レレイシャはまるで動じることなく、きっぱりと言ってのけた。
「ゆえに魔術師が戦士と対峙した場合、如何に時間稼ぎをするかが肝要となります」
「そんなことはわかっている、レレイシャ殿! そこの猪武者と違い、私だって魔術師の端くれだ!」
「あんたケンカ売ってんのジェニ!?」
ローザの抗議を、ジェニは無視してレレイシャに食いかかる。
「しかし、あれは時間稼ぎになっているのか!? 陛下は窮地に陥っているのではないか!?」
「あらあら、なんという見当違いですこと。むしろ、さすがは我が君という見事な時間の稼ぎぶりではございませんか」
「あれのどこをどう見れば、そうなるのか!」
「目で見ているから、理解できないのですわ」
謎めいたことを言うレレイシャ。
しかし、その真意を質すより早く、上空での戦況が動いた。
ついに、カイ=レキウスが護国の武神から逃げきれず――
肩口から脇腹まで、胴を斜めに両断されてしまったのだ。
「イヤアアアアアアアアアアアアアアッ」
「陛下ああああああああああああああっ」
ローザが悲鳴を上げ、ジェニが絶叫する。
しかし、それでもなお、レレイシャは余裕風を吹かしていた。
その不可解な態度の理由を――ローザたちは遅れて知った。
両断されたカイ=レキウスの体が、そのまま霞のように消えていったからだ。
「えっ……?」
「な、なんだ……どうなっているんだ……っ?」
「簡単なことです。あれは我が君の本体に非ず、ただの幻影です」
レレイシャは澄まし顔のまま答えた。
虚構魔術系統の第九階梯――《
「つ、つまり、今まで逃げ回っていたのは、カイ=レキウスじゃなくて、そっくりな幻だったってこと!?」
「ええ、そういうことです。理解が速くて助かりますわ、ローザ卿」
「しかし、効くのか!? 我々はともかく、護国の武神に祀り上げられた王弟陛下に、幻術のような小手先が本当に効くのか!?」
「ジェニ卿の仰る通り、ただの幻術などすぐに見破られてしまうでしょうね。しかし、第九階梯もの大魔術なら話は別」
我がことのように得意げに、レレイシャが解説した。
「ただ、《
「じゃ、じゃあ、本物のカイ=レキウスはどこに!?」
「見つけた! あそこだ、ローザ!」
レレイシャが答えるより先に、ジェニが遥か天空を指し示す。
護国の武神が
「おかげで、たっぷりと時間を稼げましたわね」
レレイシャは、すっかり空回りを演じていた護国の武神に対して、冷笑を浮かべる。
その間にも、カイ=レキウスの長い長い詠唱は続く。
そして、天に異変が起きる。
胸が空くほど青かった空が、徐々にその色を変えていく。
黒く黒く染まっていく。
まるで星なき夜空のように変貌していく。
カイ=レキウスの仕業だ!
「あ、あれは、階梯にしていったいいくつなのだ、レレイシャ殿!?」
「
怖ろしい事実を、レレイシャはあっさりと、むしろ楽しげに告げた。
その間にも、カイ=レキウスは究極魔術を完成させるために、最後の儀式を行った。
その時、ローザも初めて気づいたのだが、彼はその右手に「何か」を捧げ持っていた。
「何か」――断たれた左手だった。
そう、カイ=レキウスは己が左手を、そのまま供物に捧げるように、夜天へと放ったのだ。
「長大な詠唱。及び、己の体の一部を贄に捧げる儀式。その二つの魔術式が伴ってこそ、第十二十四階梯もの究極魔術は完成します」
「す、するとレレイシャ殿! 左手を敢えて斬らせたのも、最初から陛下の計算のうちだったと!?」
「全ては我が君の術中ですわ」
レレイシャは得意げに断言した。
ローザとジェニはもはや二の句を継げなかった。
第二十四階梯の究極魔法。
それがどれほどのものか、固唾を飲んで漆黒の空を見つめた。
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