第三十話  全ては術中なり

 伯爵家居城の上空で――

 まるで神代の如き、次元違いの戦いが繰り広げられている。

 雲一つない今日の青空がまた、二人の怪物の凄まじい戦いぶりを一層、映えて見せる。

 ローザはそれを城の中庭から、ポカンとなって見上げていた。

 カイ=レキウスには少しでも遠くへ逃げろと言われていたが、そんな気は失せていた。

 この戦いを見届けないと、目に焼きつけないと、後悔する。

 一人の騎士――否、戦士としての本能がそう告げていたのだ。


「……でもこれ、どっちが押してるんだろう?」


 吸血鬼の真祖と護国の武神。

 二人の戦いぶりが、ローザの常識とあまりに隔絶していて、戦いの趨勢すらよくわからない。

 誰に問いかけたわけでもない自問の類であったが、


史上最高の魔術師カイ=レキウスさま史上最高の戦士アル=シオンさま――もし二人が雌雄を決したら、最後に立っているのは果たしてどちらかという議論は、三百年前に盛んに行われていました」


 期せずして返事があった。

 絶世の美女レレイシャ天馬ペガサスを見事に駆って、バッサバッサとローザの隣、中庭に降り立った。

 鞍上には他にジェニの姿もあり――初めての空の旅が、よほど恐ろしかったのだろう――赤子のようにレレイシャの背中にしがみつき、震え上がっていた。


「結局は、『戦士に有利な状況ならば、最高戦士が勝つ』『魔術師が有利な状況ならば、最高魔術師が勝つ』という、ごく当たり前の論が優勢でした」


 レレイシャは「そして、我が君は己が有利な状況を作ることにかけて、右に出る者のない存在ですが」と、得意げに付け足す。


「じゃあこれは、カイ=レキウス有利ってこと? それとも有利な状況を作りつつあるってこと?」


 そんな話をレレイシャとしている間にも、カイ=レキウスは左腕を斬り落とされてしまう。

 しかも、どうせすぐに再生するのだろうとタカをくくっていたら、まるでその気配がない。

「陛下っ」と悲鳴を漏らすジェニ。

 しかし、レレイシャはツンと澄まし顔で、


「無論、我が君の有利は火を見るよりも明らかかと」

「嘘でしょ!? どこがっ!?」


 ローザは耳を疑った。

「恋は盲目」ということわざがあるが、レレイシャは「忠義は盲目」状態なのではなかろうか。


 実際、左手を断たれた後のカイ=レキウスは、防戦一方だった。

 空を雄々しく翔け回っているといえば聞こえはいいが、要するに護国の武神から逃げ回っているだけだ。

 これが有利?


「一般に、魔術は武術よりも強力ですが、準備に時間がかかります」


 しかし、レレイシャはまるで動じることなく、きっぱりと言ってのけた。


「ゆえに魔術師が戦士と対峙した場合、が肝要となります」

「そんなことはわかっている、レレイシャ殿! そこの猪武者と違い、私だって魔術師の端くれだ!」

「あんたケンカ売ってんのジェニ!?」


 ローザの抗議を、ジェニは無視してレレイシャに食いかかる。


「しかし、あれは時間稼ぎになっているのか!? 陛下は窮地に陥っているのではないか!?」

「あらあら、なんという見当違いですこと。むしろ、さすがは我が君という見事な時間の稼ぎぶりではございませんか」

「あれのどこをどう見れば、そうなるのか!」

「目で見ているから、理解できないのですわ」


 謎めいたことを言うレレイシャ。

 しかし、その真意を質すより早く、上空での戦況が動いた。


 ついに、カイ=レキウスが護国の武神から逃げきれず――

 肩口から脇腹まで、胴を斜めに両断されてしまったのだ。


「イヤアアアアアアアアアアアアアアッ」

「陛下ああああああああああああああっ」


 ローザが悲鳴を上げ、ジェニが絶叫する。

 しかし、それでもなお、レレイシャは余裕風を吹かしていた。

 その不可解な態度の理由を――ローザたちは遅れて知った。



 両断されたカイ=レキウスの体が、そのまま霞のように消えていったからだ。



「えっ……?」

「な、なんだ……どうなっているんだ……っ?」

「簡単なことです。あれは我が君の本体に非ず、ただの幻影です」


 レレイシャは澄まし顔のまま答えた。

 虚構魔術系統の第九階梯――《幻像劇場フォロメニア》と。


「つ、つまり、今まで逃げ回っていたのは、カイ=レキウスじゃなくて、そっくりな幻だったってこと!?」

「ええ、そういうことです。理解が速くて助かりますわ、ローザ卿」

「しかし、効くのか!? 我々はともかく、護国の武神に祀り上げられた王弟陛下に、幻術のような小手先が本当に効くのか!?」

「ジェニ卿の仰る通り、ただの幻術などすぐに見破られてしまうでしょうね。しかし、第九階梯もの大魔術なら話は別」


 我がことのように得意げに、レレイシャが解説した。


「ただ、《幻像劇場フォロメニア》を十全に発揮するためには、『短嘯』の魔術式を併用し、対象の顔面に呼気を当てねばなりません。これが弟君ほどの戦士相手となると、至難の業。そこで我が君は一計を図ったのです。まず《連弾黒縄獄炎波グラッドサラロス》ほどの高等魔術を見せ技に使い、腕の動きを弟君に意識させた。その上で左腕を囮とし、弟君に敢えて断たせた。その一瞬の間隙を衝き、短嘯に成功した。我が君は己が有利な状況を作ることにかけて、右に出る者なしと申し上げたでしょう? 全ては我が君の術中ですわ」

「じゃ、じゃあ、本物のカイ=レキウスはどこに!?」

「見つけた! あそこだ、ローザ!」


 レレイシャが答えるより先に、ジェニが遥か天空を指し示す。

 護国の武神が幻像ニセモノを相手に、空中での追いかけっこをしていた――それよりも、もっともっと高いそらの一点で、長大な呪文を「詠唱」していた。


「おかげで、たっぷりと時間を稼げましたわね」


 レレイシャは、すっかり空回りを演じていた護国の武神に対して、冷笑を浮かべる。


 その間にも、カイ=レキウスの長い長い詠唱は続く。

 そして、天に異変が起きる。

 胸が空くほど青かった空が、徐々にその色を変えていく。

 黒く黒く染まっていく。

 まるで星なき夜空のように変貌していく。


 カイ=レキウスの仕業だ!

 永劫の夜を統べる者トゥルーブラッドの御業だ!


「あ、あれは、階梯にしていったいいくつなのだ、レレイシャ殿!?」

第二十四階梯にじゅうよん


 怖ろしい事実を、レレイシャはあっさりと、むしろ楽しげに告げた。


 その間にも、カイ=レキウスは究極魔術を完成させるために、最後の儀式を行った。

 その時、ローザも初めて気づいたのだが、彼はその右手に「何か」を捧げ持っていた。

 「何か」――断たれた左手だった。

 そう、カイ=レキウスは己が左手を、そのまま供物に捧げるように、夜天へと放ったのだ。


「長大な詠唱。及び、己の体の一部を贄に捧げる儀式。その二つの魔術式が伴ってこそ、第十二十四階梯もの究極魔術は完成します」

「す、するとレレイシャ殿! 左手を敢えて斬らせたのも、最初から陛下の計算のうちだったと!?」


 レレイシャは得意げに断言した。

 ローザとジェニはもはや二の句を継げなかった。

 第二十四階梯の究極魔法。

 それがどれほどのものか、固唾を飲んで漆黒の空を見つめた。

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