第二十五話  ジェニの告白

「ククク。本物かも何も、カイ=レキウスとはこの俺のことで、この俺以外のカイ=レキウスがいるのかどうか、とんと知らぬな。……ああ! 帝国とやらの建国を妨害した邪神も、確かカイ=レキウスだかいうのだったか? 会ったことがないゆえ、忘れておった」

「そういう話ではない! 騙りではないかと、私は疑っているのだ!」


 冗談めかした俺の口調が気に入らなかったのか、ジェニは真剣に聞いているのに茶化すなとばかり、激昂した。


「そもヴァスタラスク『帝国』の建国神話に登場する、邪神カイ=レキウスとは真っ赤な偽り、歴史の改竄だ!」

「ほう、詳しいな」

「私はエルフだ! 齢三百と少しの、歴史の生き証人だ!」

「なるほど、なるほど。それで?」

「本物のカイ=レキウスは……は、ヴァスタラスク『統一王国』の、真の建国の英雄であらせられる! 貴様のような吸血鬼ではない! まして、三百年前に亡くなられた人物だ!」

「クククク、ならばジェニよ。こうは考えられないか? その建国の覇王が魔術の秘奥を用いて、三百年後に吸血鬼の真祖トゥルーブラッドとして転生した――とは」

「バカバカしい! そんな魔術、実在を聞いたことがない!」

「おおっぴらに知られている魔術を、秘奥とは言うまい? 《破邪烈光陣ブラウグロア》をはじめ、シェイハの修めた高等魔術が、マシュリの森にしか伝わっていないようにな」

「ぐ……っ。し、しかし、人が真祖に転生するなど……そんな大それたことが……」

「ジェニよ。おまえの知るカイ=レキウスは、たかがその程度の至難を覆せず、不可能のままにしておく男だったかね?」

「うぅっ……」


 もう反論の言葉を失ったか、ジェニが唸るだけとなる。

 俺を見るその目が、どこかすがるような眼差しになったかと思うと、信じきれずに不安げに瞳が揺れてと、行ったり来たりを繰り返す。


 他方、一対一の激闘を繰り広げていたレレイシャとローザが、異変に気づいて一旦、戦いの手を止める。


「何やってんのよ、ジェニ! 魔法陣はどうしたわけ!? 吸血鬼退治してやるって息巻いてたのは、あんたでしょう!?」

「そこのエルフの女騎士、分を弁えなさい! この御方をどなたと心得ているのですか?」


 間合いを切って左右に離れたローザとレレイシャに、交互に詰問されてジェニは首をせわしなく振る。

 レレイシャはその視線をローザから奪い、自分に惹きつけるように、高らかに宣言する。


「この御方こそ一代にして大陸を平定し、九地方二百四十一州をたなごころにせし絶対支配者。魔術を究めし覇王。百万禁軍を統べ、同時にその頂点に立った最強術者。カイ=レキウス・ヴァスタラスク・エルマ・ザ=プロヴィデンス一世陛下なるぞ! 頭が高いッ!」


 その叱声に打たれたように、ジェニはその場でのろのろとひざまずき、俺に向かってこうべを垂れた。


「ちょっと、ジェニ!? あんた、なんのつもり!?」


 と、ローザが目を剥いて批難するが、ジェニはもう相手にしない。

 むしろそれで肚が据わったようで、俺に対する態度が極めて恭しいものになる。


「改めて、名乗れ」

「はい、陛下ッ。私はマシュリのエルフで、ジェニと申します。今はゆえあってナスタリア風情の騎士に甘んじておりますが――本来は、御身が唱えた天下泰平と万民平等の大志に、我らの森の悲願を重ね、英雄シェイハとともに陛下の元へ馳せ参じ、剣を捧げし者でございます! ……ただ、三百年前当時、私は本物の小娘でございましたゆえ、百万禁軍のほんのほんの末席を与えられたのみで……。御身との拝謁叶いました時も、遥か後方よりご尊顔を眺めたのが関の山だったという有様でございまして……」


 ゆえに俺の顔を正確には知らず、真贋判定できなかったということか。

 クク、愉快な話だ。

 まったく可愛い奴め、その滑稽さは嫌いではないな。


「陛下……偉大なるカイ=レキウス陛下……! 御身に剣を向けた大罪、決して許されることではございませぬが、どうかこの臣に奏上の機会をお与えください!」

「いや、許そう。面白かったゆえにな」

「あ、ありがたき幸せ……っ。やはり御身は、慈悲深き真の王者! 誰にも仕えぬマシュリのシェイハが、千年間で唯一人お仕えした御方!」

「よい、よい。わかった。で、申したき儀とは?」

「はッ。陛下が崩御されて以降の百年、代々の王は劣化の一途をたどり、ヴァスタラスクの世情は悪くなる一方でございました。あまつさえ四代カリスは皇帝を僭称し、自らの無能を棚上げして陛下の偉業を妬み、葬り去らんとして歴史の改竄を行いました。そして、シェイハ様はその悪趣味なやり口に真っ向から異を唱え、カリスの不興を買い――」


 そこでジェニは一旦、言葉を切った。

 当時の怒りを思い出したように歯軋りをし、唇を噛み、ようやく続けた。


「――カリスに謀殺されたのです」


 …………。

 ………………そうか。

 シェイハはそんな風に逝ったか。


 シェイハはできた臣下だった。

 ともに魔術を研鑽する友人だった。

 何より佳い女だった。

 それが、つまらん死に方をしたか。

 全く笑えん話だな。


 つまらん。本当につまらん。

 カリスとやらが既に過去の人物で、この俺手ずから縊り殺してやれないのが、一番つまらん。


「……で?」


 俺は罪なきジェニに当たらぬよう、声を荒げぬようにと気をつけて先を促した。


「シェイハ様はご自分の命が長くないことを、正確に予測されておりました。ゆえに、私に後事を託して逝かれました。いつか、御身の如き偉大なる覇者が再び現れ、腐敗したヴァスタラスクを正してくださると信じて――その新たな御方の元に馳せ参じ、剣を捧げるようにと。それまでは、腐ったヴァスタラスクに甘んじて臣従し、雌伏せよと。耐えよと。シェイハ様亡きこの二百年、本当に、本当に辛うございました」


 また思い出したのか、ジェニの語尾に湿ったものが混ざる。


 ……さぞや、過酷な二百年だったのであろうな。

 シェイハの言葉と、彼女への尊敬の念を胸に、ずっと耐えてきたのであろうな。


 ジェニは鼻を啜り、目元をこすると、また凛々しい面構えになって言った。


「陛下! 偉大なるカイ=レキウス陛下! 御身にお願いしたき儀がございます!」

「聞こう」

「どうか、この腐ったヴァスタラスクを打ちこわしてくださいませ! 正しい世に直してくださいませ!」

「よかろう」


 俺は即答した。

 ジェニの、シェイハの、二百年の悲願を背負った。

 元よりヴァスタラスクは破壊するつもりだったが、そんなのは関係ない。

 これほど一途な想いを、背負えずに何が覇王か。


「ありがたき幸せ! 今日この日より、私は再び御身の剣となります!」

「許す。来い」


 俺はジェニに向けて、鷹揚に手を差し伸べる。

 ジェニは感極まったような表情になると、立ち上がり、そして跳びつかんばかりの勢いで抱きついてくる。

 エルフ特有の折れそうなほどに細い肢体を、俺は受け止め、訊ねた。


「まずは血をもらうが、よいな?」

「どうぞ、陛下! 我がカイ=レキウス陛下! 私の全ては御身のものでございます!!」


 俺は首肯代わりに、ジェニの華奢な首筋に牙を立てた。

 途端、強烈な甘みが舌に広がる。

 しかし、嫌ったらしいところが全くない。蜂蜜のように素朴で、それでいてどこか蟲惑的なフレーバーだ。

 俺としたことが思わず、しばし夢中で啜り立てる。

 同時に、吸血行為がもたらす官能的快感を、ジェニに与える。


「あああああああああああああああああっ♥♥♥♥♥」


 たちまちジェニは、あられもない嬌声を叫んだ。

 数百年間、ずっと抑圧されてきた何もかもを解放し、ほとばしらせるような叫びであった。

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