第二十六話  華々を愛でる

 しばし夢中でジェニの血を吸い、俺は口を離した。

 彼女の華奢なうなじからは、未だ蜂蜜のような、濃密な甘い匂いが立ち昇っているかのようだった。

 俺は再びむしゃぶりつきたくなるのを堪え、己が全身を巡る霊力量を確認する。

 さすが霊力豊かなエルフの血を吸ったおかげか、相当量が回復していた。

 だが、まだ全然足りない。

 ジェニの《破邪烈光陣ブラウグロア》は、本当に強力な対吸血鬼の術式で、あの短時間にもかかわらず、俺の全霊力の七割ほどを持っていった。

 さすがはシェイハ直伝。そして、俺が編み出した第十一階梯という話だ。


「陛下……もっと……もっと吸ってください……。もっとぉ……いくらでもぉ……」


 ジェニがすっかり発情しきった顔で、哀願してくる。

 俺にいっそうしがみつき、切なそうに内腿をこすりつけてくる。

 気位の高いエルフとは思えない仕種だ。


「うふふ。真祖ともなられると吸血行為の催淫効果一つとっても、尋常ではないのでしょうかね。それとも、そのエルフの我が君を慕う気持ちによるものでしょうか?」

「たわけるな、レレイシャ」


 俺はジェニをあやして宥めながら、レレイシャにひとにらみをくれる。

 それから、視線をローザに移す。

 霊力量が回復しきっていないし、ジェニの血をもっといただきたいのは俺もやまやまだが、先に片づけておくべきことがある。


「あ……あ……あ……っ」


 ローザはすっかり蒼褪めた顔で、ジェニを見つめていた。


「ジェニ……ジェニ! あんたはムカつく奴だけど、本物のプライドを持った、本物の騎士だって思ってたのに……っ。一緒に伯爵さまをお支えするに足る、同志だって認めてたのに……っ」


 ジェニが隠していた真意と目的、そして吸血中の乱れっぷり――普段とのあまりの変わりように、すっかりショックを受けているのだろう。


「……なんとか言いなさい。……なんとか言いなさいよ、ジェニぃ! 二君に仕えて恥ずかしくないの、あんたぁ!?」

「……私の忠義は三百年前の最初から、カイ=レキウス陛下のものだ」


 ローザになじられ、煽られ、ジェニがまだ情欲の残滓をくすぶらせながらも、冷淡な口調で反論した。


「恥というならば、やむを得ぬとはいえナスタリア風情に仕え、邪悪の片棒を担がされていた時の方が、よほど耐え難い恥辱だった」

「ハァ!? 伯爵さまを悪人だって貶すわけ!? 冗談は休み休み言って頂戴!」

「無知は度し難いな、騎士ローザ。いや、盲目的というべきか。どちらにせよ、愚か極まる」

「待ちなさいってば! 確かに帝国の在り方には、私だって思うところはあるわ! 実際、帝都を追われた身だしね! でも伯爵さまは――アーカス州領主ナスタリア伯は違う! 民を慈しむ、ご立派な名君だわ!」

「ハッ、それこそ冗談だ、騎士ローザ。家畜を大切に育てるのを、あなたは仁愛と呼ぶのか? 家畜をどう扱おうと所詮、最後は同じだ。貪り、喰らうだけだ。ナスタリアは、せっかくなら美味いものを食べたくて、手間をかける主義だというにすぎん」

「それ以上、伯爵さまへの侮辱は許さないわよ!!」

「ほう。許さなければ、なんとする? 騎士ローザ?」


 ジェニがうっすらと意地悪に笑った。

 先ほどの意趣返しで、今度は彼女がローザを煽ったのだ。


 それを受け、俺はたわむれにローザへ問う。


「既に決着はついたと思うが、まだ抵抗するつもりはあるか?」


 俺とローザは一度戦ったことがあるし、まるで勝負にならないことは歴然だ。

 加えて、今はレレイシャまでいる。

 東部長官の某はお話にもならぬ匹夫であったし、恐らくローザの勝算は、ジェニの《破邪烈光陣ブラウグロア》に頼るところが大きかったはずである。

 そのジェニも今や俺の軍門に降り、もはや勝敗は明白だった。


「ぐぐぐ……」


 この女も道理がわからぬバカではないのだろう。

 剣を構えたまま、じりじりと後退していく。


「黙って逃がすと思うか?」

「「うっ……!」


 俺がもう一度たわむれに問うと、ローザは渋面になって唸った。


「だ、だったらどうするわけ!? 言っとくけど、あたしにだって覚悟はあるわよ!? あんたは無理でも、隣の女と刺し違えてやるんだからァ!」

「クククク、そう跳ねっ返るな。まあ、そこもおまえの可愛いところだが」

「ハァ!?」

「そう、俺はおまえのことが気に入っている。ゆえにこたびも、生かして帰してやってもよい。だが、タダで帰ろうというのは、少し虫が良すぎよう?」


 俺が三たびたわむれに問うと、ローザはダラダラと額に汗を流した。


「ま、まさか……」

「そのまさかだ」

「あたしの血を寄越せっていうわけ!? ジェニ一人じゃ飽きたらず!?」

「おまえの血もまた甘露だったゆえにな。せっかくだ、飲み比べと洒落込もうではないか」

「サイアク! サイサク! サイアク!」


 俺の揶揄に、ローザは覿面に真に受け、顔を真っ赤にする。

 ククク、本当にからかい甲斐のある女だ。

 実に面白い。もっとからかってやりたくなる。

 

「ものは考えようだぞ、ローザ? おまえがここで果てれば、ナスタリアとやらは重要な騎士を一人、失うことになる。しかし生きて帰れば、おまえは今後もナスタリアの剣として、忠節を全うできる。わかるな? せっかく愚かな吸血鬼が、おまえを生かして帰してやると、たわけたことを言っているのだ。そこに付け込み、生き延びるべきではないか? 一時、恥辱に甘んじれば、それで済む話なのだぞ? いや、それもまたナスタリアへの忠義とは言えまいか?」


 自分でも思ってもない屁理屈を、さももっともらしく並べ立てる。


「うううぅーっ」


 だが、このからかい甲斐のある少女騎士は、やはり真に受け、必死に思い悩み始めた。

 あげく苦渋の決断をした。


「本当に、血を吸わせるだけで、帰してくれるんでしょうね!?」

「俺は約束を違えたことは、一度たりとない」


 契約を疎かに考える者、する者は、魔術師として決して大成できぬゆえに、な。


「わかったわよ! さっさと吸って、満足しなさいよ!」


 ローザは自ら髪をかき上げ、うなじをさらした。

 俺は彼女の傍まで行き、遠慮なく抱き寄せると、純白の肌に牙を立てる。

 たちまち得も言われぬフレーバーが、凛と舌の上に広がる。

 やはり、美味い。

 薔薇を溶かして液体にしたかのような、高貴な味わいが堪らない。


「んんんんっ……♥」


 快感に襲われたローザが、喘いでなるものかと歯を食いしばる。

 しかし、堪えきれなかったように、声が甘く切ないものになってしまう。

 

「陛下、陛下、どうか私の血も吸ってください……っ」


 ジェニも堪らなくなったように、甘い声でねだってきた。

 俺は右手でローザを抱いたまま、左手でジェニを抱き寄せ、天上の蜂蜜の如き彼女の血も味わう。


「くっ、屈辱だわ……っ」

「私の血を――こんな女の血ではなく、このジェニの血をもっとご所望ください、陛下っ♥」

「ククク。仲良くせよ、おまえたち」


 俺はほくそ笑みながら、ローザの血とジェニの血を、交互に堪能するという至福に耽溺する。


「さすがに妬ける光景でございますわ、我が君」


 するとレレイシャまで唇を尖らせた。

 俺の寵愛を疑っていないからだろう、ちょっとやそっとでは嫉妬などしない奴が、珍しい。

 しかし、魔術人形サーヴァントであり、血液の代わりに霊液が流れているがゆえに、俺が吸血鬼といえど、彼女の首筋に牙は突き立ててはやれない。


「私の血も召し上がっていただけるようにと、どうしてそう作ってくださらなかったのか。お恨み申し上げますわ、我が君」

「クク。そういえば、俺が《破邪烈光陣ブラウグロア》に囚われていた間、おまえが護衛を果たしてくれた褒美が、まだだったな?」

「あら、頂戴してもよろしいので?」

「無論だ。信賞必罰は俺の信条だ」

「でしたら、私の血ではなく、唇を吸ってくださいませ。我が愛しの君」


 言うなりレレイシャは俺の正面に来て、そっと目を閉じ、顎を上向ける。

 褒美とあれば仕方がない。

 俺は彼女の望むまま、その可憐な唇に唇を重ね、吸う。

 ただし、軽くだ。

 こいつはこれで意外と、まるで初々しい恋人同士のようなキスが好みなのだ。


「ね、ねえっ……ねえってばっ」


 ローザが目尻に涙を溜めながら、抗議するように訊いてきた。


「別にあたしは要らないんじゃないの? これ、いつまで続けなきゃいけないの?」

「俺の霊力が、完全回復するまでだ」

「だから、それはいつよ!?」

「ジェニの《破邪烈光陣ブラウグロア》は、真に強力だった。ゆえに、ちょっとやそっと吸ったところでは――足らん」


 そう言って俺は、ローザの血を吸い立てる。


「恨むわよジェニぃぃぃぃぃぃぃぃぃ♥♥♥♥♥」


 ローザの嬌声混じりの悲鳴が、礼拝堂の高い天井に木霊した。

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