第十九話  躾け

 北部長官府グレーンより南西へと伸びる街道を、五騎が馳せていた。

 ただし並歩なみあし。馬上で会話ができる程度の速度だ。

 道はおりしも、小さな森に差し掛かったところ。男たちの大きな笑い声が木霊し、枝葉や叢へと吸われていく。


「ハハハハ、あの吸血鬼バケモノめ! 期待以上ではないか!!」

「然り、然り! あやつならば、南部長官府ブューリィを陥落せしむるのも容易かろうて!」

「まさに朝飯前――一夜のうちの所業にございますな」

「ハハハ、誰が巧いことを言えと!」


 五人みな、愉快で堪らぬ様子。


 最年長のジョゼフをはじめ全員、南部長官府に仕える騎士たちである。

 あくまで立場上は、だが。

 全員が現長官ジンデルガーの統治に不満を持ち、密かに二心を抱いていた。


 ジンデルガーはナスタリア伯への忠義厚く、同時に狂的なまでに潔癖な精神を有している。

 ゆえに彼は、如何なる悪も許さない。

 そして、全ての悪を断罪する。

 例えばチンケなコソドロを働いた男を窃盗罪で、例えば痴情のもつれで恋人を刺した女を殺人罪で、また例えば子ども同士の些細なケンカで互いにケガさせてしまった二人を傷害罪で――みな等しく裁き、容赦も斟酌もなく


 ジンデルガーはそういう男なのだ。


 そんな長官の下で働く騎士たちは、それはもう生きた心地がしない。

 どんな小さな過失で斬首されるか、わかったものではないのだから。

 ゆえにジンデルガーの人望は乏しい。

 特に、先代長官を知る古株の騎士たちは、「あのころはよかった」としばしばこぼしていた。

 ジョゼフら五人もそうだ。


「あのころは、酒場の店主を脅して代金を踏み倒しても、ワイロを受けとって犯罪を見て見ぬふりしても、度が過ぎなければ笑って許してもらえたんだから、よかった」


 と――そう考えるような五人なのであった。


 そして現在、彼らはついにジンデルガーの窮屈な統治から、解放されようとしていた。

 ついぞ昨晩、北部長官府グレーンが、暴君であったダラッキオ男爵から解放されたように!


「まったく吸血鬼サマサマではないか!」

「然り、然り! 我らはせいぜい尻馬に乗って、甘い汁を吸うことのできる地位を確保せねばな!」

「そのためなら吸血鬼バケモノ風情に頭を下げることや、阿諛追従も辞さない、と?」

「ハハハハ、面従腹背は今や我らの得意とするところだからなあ!」


 愉快で愉快で笑いが止まらない。

 すると――


「うふふ。密談というものは、もっと声を小さくして行うものでしてよ?」


 ジョゼフらの笑い声の中に、女性のものが混じった。


「だ、誰だ!?」

「ど、どこだ!?」

「い、いきなりなんだ!?」


 ジョゼフたちは狼狽し、揺れる鞍上から周囲を見回す。


 彼らの駆る騎馬が、いきなり棹立ちになったのはその時だった。


 おかげで彼らは馬上から振り落とされないよう、咄嗟に手綱をにぎりしめ、鐙を踏み堪える。

 もう必死だ。

 仮にも騎士であればこそ事なきを得たが、並の騎手ならば鞍上から放り出されていた。

 そして、息つく暇もなく、ジョゼフらは新たな異変を目の当たりにさせられる。


 彼らの騎馬が棹立ちになったまま、まるで彫像のように固まっていたのだ。


 息はある。

 騎馬たちもまた己の身に何が起こっているのか、わからないのだろう。血走った目をぎょろぎょろとさせていた。


「な、なんだこれは!?」

「いったい何が起こっているのだ!?」

「うふ。皆様に逃げられては面倒ですので、私の“糸”でまずは足止めさせていただきました」


 声の主はなんとも楽しげに答えながら、その姿を現した。

 ドレス姿の女だ。

 吸血鬼カイ=レキウスのすぐ傍に侍っていた、あの絶世の美女だ!

 森の中、大きな木の枝に忽然と立っていたが、大きく跳躍して、ジョゼフたちの前に降り立った。

 まるで翼が生えているかと錯覚させる、体重を感じさせない軽やかな所作だった。


「こ、これはこれはレレイシャ殿……」

「い、いきなりどうされました?」

「我ら急ぎブューリィへと戻り、カイ=レキウス様の御ため、不平分子たちを一つにまとめ上げ、我らが夜の王に絶対の忠誠をお誓い申し上げるよう、説得する所存でございますが」

「まさかカイ=レキウス様よりお言伝が? 何やら言い忘れた由があったとか」

「ははは……我らが主も、存外にお茶目なところがございまするな……」


 棹立ちになったままの騎馬に、ほとんどしがみつくような不恰好で、ジョゼフたちはへつらい、心にもない弁明をまくし立てる。


「嘘をつくことは許しません」


 たちまちレレイシャの宣言とともに、彼ら五人の全身に激痛が走った。


「ぎぃぃぃぃぃぃぃ!?」

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――」

「た、助けて……!」


 大の大人たちが――しかも騎士たちが――堪らず泣き叫ぶ、それほどの痛みだ。

 いったい何が起きたのか、何をされたのか、わからない。

 まるで見えない何かで、全身の痛覚を直接滅多刺しにされたような……。


「ええ、そのご想像の通りですよ。私の操る万の“糸”は、使い方次第で万の針にもなります。とっても痛いので、言動にはご注意くださいませね?」


 レレイシャは恐ろしいことを、笑みさえ浮かべてさらりと言った。

 ジョゼフたちはもう声もなく、涙ながらに全力で首肯する。


「北部や東部の騎士様たちと違い、あなた様方が面従腹背であることくらい、我が君はお見通しですよ?」

「い、いや、我らはそんなことは決して……」

「嘘は禁止しました」

「ぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」

「我が君をゆめゆめ侮らぬことです。いったい何千――いえ、何万の直臣と相対なさった覇王だと思っていらっしゃいますか? あなた様方の如き浅い心根くらい、一瞥即解というものです」

「痛い! 痛いぃぃぃっ……!!」

「もうやめてください! 心を入れ替えますからっ」

「うふふ、今度は嘘ではないようですね」

「は、はいっ。はいぃぃぃぃっ」

「カイ=レキウス様に、本物の忠誠をお誓い申し上げますぅぅぅ!」

「ですから、お慈悲を! お慈悲をぉぉぉ!」


 もう一秒たりとこの激痛に耐えられず、ジョゼフたちは洟混じりになって哀願した。


「わかりました」


 果たしてレレイシャは、まさしく慈母の如き微笑を湛えると、彼ら五人の訴えに首肯した。


「この場凌ぎではない、我が君への本物の忠誠心が芽生えるよう、二度と不埒なことを企む気が起きなくなるよう、半日ほど徹底的に痛めつけて差し上げるつもりでしたが――

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