第十七話  北部長官府グレーン

 グレーンは、アーカス州の北部長官府が置かれた町である。

 そして、この町の支配者であり、ナスタリア伯爵から長官に任じられたその男を、ダラッキオ男爵という。

 齢四十四で、でっぷりと肥えている。

 臣下たちからの評価は「無能」「強欲」「人格劣悪」などなど(無論、口に出したら首が物理的に飛ぶので、胸のうちに秘めているが)。

 たまたま生まれが良かったから支配者階級になれたという、貴族制度の恩恵を最大限に享けた見本のような愚物である。

 

 この夜もダラッキオ男爵は、悪徳の限りを尽くしていた。

 町でたまたま見初めた美しい少女を、無理やりモノにするため、まずは役人に命じて、その一家ごと城へ召し出した。両親が滞納している税のことを責め立て、罰として娘の処女を差し出すようにと沙汰を下した。


 これがよその州のことであれば、仮にも男爵たる身分の者が、たかが町娘を手籠めにするのに、わざわざこんな形式を踏む必要はない。兵士に命じて、ねやまで連行させればそれでよい。

 しかし、アーカス総領主ナターリャは、民に対する度のすぎた無体を禁じている。

 ダラッキオは尊大な男だったが、同時に臆病で、ナターリャの如き「化物」の意向に逆らう勇気など、持ち合わせていない。

 ゆえに合法スレスレのところで無体を働くための、様々なやり口を臣下たちに、日々考案させている。例えば、なんやかやと理由をつけては新しい税金を民に課して、領民のほとんどが滞納状態にならざるを得ないよう仕向け、それを口実にするわけだ。


「許してください!」

「どうかお許しを、男爵様!」


 娘を事実上の生贄として差し出せと命じられ、その両親は地面に額をこすりつけるようにして哀願した。

 しかし、当然ダルッキオは聞く耳を持たない。兵士たちに命じて、自分の閨まで娘を連行するように命じた。

 すると、とうとう両親は怒り狂った。その兵士たちに殴りかかり、噛みついたのだ。

 

 ダラッキオはしめしめと舌舐めずりしながら兵士に命じて、両親を娘の前で斬首に処した。

 絶望のあまりに心が壊れ、美しい人形のようになってしまった娘を、閨で組み敷き、たっぷりと楽しんだ。


「バカな一家だ。長官たるワシに逆らうからこうなる」


 ダラッキオはそう吐き捨て、良心の呵責など欠片も感じなかった。

 そういう腐った性根の持ち主に、努力もなく権力を与えてしまう恐ろしさ――貴族制度の負の部分を、まさに体現した男だった。


 しかし、ダラッキオ男爵の悪徳がまかり通ったのも、この夜が最後のこととなった。


    ◇◆◇◆◇


「カイ=レキウスが来るぞ、カイ=レキウスが来るぞ♪」


 夜更けに沈むグレーンの町の大通りを、無数の黒い狼たちが途絶えることなく疾走していく。


「おまえをとって喰らいに、カイ=レキウスがやって来るぞ♪」


 月明かりを遮るほどに、グレーンの町の空を無数のコウモリたちが覆い尽くす。


「悪いは領主はいないか? 笠に着る兵士や役人はいないか? みんな、みーんなとって喰らうぞ、カイ=レキウスがとって喰らうぞ♪」


 そんな狼やコウモリたちを見送りながら、レレイシャは楽しげに歌い続けた。

 狼やコウモリたち――カイ=レキウスの分身体たちが目指しているのは、無論ダラッキオ男爵のいる城であった。

 これはひとりの吸血鬼対、一軍を預かる城主との戦争であった。

 無論、レレイシャは主が敗れるなどと、露も思っていなかった。



 男爵の城のあちこちには、歩哨の兵士たちが立っていた。

 城門の前に、外壁の上に、見張り塔に、裏庭の森に、それはもう厳重な警備であった。

 数えきれないほどの恨みを買うダラッキオ男爵は、同時に数えきれない報復を恐れる臆病者でもあるからだ。

 そんな歩哨たちが、一斉に異変に気づいた。

 何しろ空を覆い尽くし、月を翳すほどのコウモリが大量発生したのだ。


「なんだ、ありゃ……?」

「不気味だな……。騎士様たちに報告するか?」

「えっ、するのか? たかがコウモリだぞ?」

「でもよ、さすがにあの数は――」


 そんなやりとりが城のあちこちで交わされ――そして、ただの一例も結論を出せなかった。

 夜空から一斉にコウモリたちが急降下してきて、彼らの全身にたかり、噛み殺したからだ。

 また、城門や正門の周辺を警備していた歩哨たちは、濁流の如く押し寄せる漆黒の狼の群れに襲われ、四肢や喉笛を噛みちぎられ、絶命した。

 狼とコウモリたちはそのまま城内へ雪崩打ち、蹂躙を開始した。


「ひいいいいいいいいっ」

「な、なんだ、こいつら!?」

「逃げろおおおおおおぅ!」

「に、逃げろってどこへだよ!?」

「ギャアアアアアアアアアア」


 警護の兵士たちを、城外にいた歩哨たち同様に、端から殺し尽くしていった。

 城内はたちまち流血と肉片と悲鳴の巷と化した。

 それは兵士たちより遥かに腕の立つ、騎士たちといえど変わりはない。

 吸血鬼の真祖カイ=レキウスが持つ圧倒的な「暴力」の前には、五十歩百歩にすぎない。


「来るな! 来るなああああああああ!」


 そんな騎士の一人が、廊下を迫り来る黒狼の群れを前に、恐慌状態に陥っていた。

 卑劣にも、裸の娘を肉の盾にしていた。

 この娘は以前、ダラッキオ男爵にさんざん弄ばれ、飽きられ、騎士たちへの「お下がり」として城に囚われていた一人であった。

 自分を盾にする騎士同様に、牙剥く狼の群れを見て、顔面蒼白となっていた。

 もはや逃れ得ぬ死に恐懼し、全身を噛みちぎられる痛みを想像して震え上がった。


 ところが――狼の群れは、そんな憐れな娘を一顧だにしなかった。

 その背後に隠れる卑劣な騎士のみを獲物と定め、両足に噛みついて押し倒し、次々とのしかかっては、その全身を噛みちぎって咀嚼した。

 騎士は泣き叫んで許しを乞うたが、黒狼たちは容赦をしなかった。

 一方で娘の方は、目の前で人が食われるという恐怖の光景に、その場で卒倒してしまった。が、やはり狼たちは彼女に見向きもしなかった。


 実際この城には、同じようにダルッキオの毒牙にかかり、囚われたまま騎士たちの慰み者にされている娘が大勢いた。

 無理やり働かされている宮女もいたし、その他料理人や庭師、厩番といった者たちもいた。

 彼、彼女らは恐ろしい狼やコウモリの群れを見て、腰が抜けるほど恐れたが、しかし狼たちは決してその無辜の人々を襲おうとはしなかった。野生の畜生とはまるで違った。


 そして、ダルッキオ男爵である。

 城の奥――最も安全な場所で惰眠を貪っていた彼は、やまない悲鳴を聞いて飛び起き、何やらとんでもない危険が迫っていることを悟った。

 愚鈍な彼でも悟ることができるくらい、城のあちこちから苦悶と絶叫が聞こえていたのだ。


「お目付け役殿! お目付け役殿!」


 ダルッキオは城内で最も頼りになる騎士を求めて、廊下を呼び回る。

 ナターリャが派遣した、監査役の中年騎士だ。

 普段は目障りなことこの上ないが、さすがあの「化物」が重用するだけあって、その実力は「本物」である。元皇帝騎士だっただの、あと一歩でなれたところをライバルに足を引っ張られてなり損ねただの、とにかく只者ならぬ噂が絶えない男だった。


「そのお目付け役というのは、こいつかね?」


 突如、背後から声が聞こえた。

 声には揶揄の響きがあった。

 ダルッキオはギクリとして足を止め、後方を振り返る。


 そこに、捜し求めた監査役の騎士がいた。

 

 

 そして、監査役の首根っこをつかみ、片手一本で宙吊りにしてみせる、謎の青年の姿。


「何者だ!?」

「カイ=レキウス」


 監査役を放り捨てながら、その青年はうそぶいた。

 そのままゆっくりと廊下を闊歩し、ダルッキオに迫り来る。


「く、来るな! 寄るな!」


 ダルッキオはツバを飛ばしながら叫んだ。

 しかし、逃げ出すこともできなかった。

 血ダルマになった監査役を見て、とっくに腰が抜けていた。


 カイ=レキウスと名乗った青年は、そんなダルッキオを見下しながら、なお迫り来る。

 ゆっくりと。着実に。決して足を止めず。

 ただ殺意で両の瞳をギラギラとさせて。


「お、お願いですから来ないで! 殺さないで!」


 ダルッキオはとうとう泣きわめきながら哀願した。

 だが、カイ=レキウスの足は止まらない。


「許してください! どうか許してください!」


 平伏し、床に額をこすりつけて拝み倒そうとする、憐れな貴族の姿がそこにあった。

 だが、カイ=レキウスの足は止まらない。


 とうとうダルッキオの首根っこを、むんずとつかみ上げる。

 無理やり自分の方へと向かせる。

 そして、言った。


「安心しろ。殺しはせん」

「許してくださるんですか!?」

「ああ、この俺がわざわざ手を下すまでもない――」


 カイ=レキウスは哄笑した。

 心底楽しげに、大声で笑った。


「――貴様は町の広場の真ん中で、磔にしてやろう。周りにはたくさん石を用意してやろう。大丈夫、貴様が民に優しい男ならば、誰も貴様に石を投げはしないさ。きっと縄を解いて助けてくれるさ。そうだろう?」


 許しを乞う相手を間違えるなと、その青年は嘲笑し続けたのだった。

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