第十五話  宣誓と鎮魂

 俺とレレイシャは常闇宮へと帰還した。

 兵士どもの血臭漂う代官屋敷で、ゆっくりしたくなかったからだ。

 例えるならば、裏通りに捨てられた残飯の据えた臭いと言おうか……ヴァンパイアとなった俺の嗅覚が、不快感を訴えたからだ。


 臣下となったフォルテに、死体の処理を命じて去った。

 ついでにあのブレアの町と代官屋敷は、フォルテにくれてやった。

 貧民街のボスでしかなかった男が、一夜にして町全ての主に成り上がりというわけだな。

 クク、まるで御伽噺の如きではないか。


 常闇宮に帰ってすぐ、レレイシャが酒席の用意をした。

 俺が長ソファに身を預け、我が家の居心地のよさに目を細めている間に、レレイシャとミルがてきぱき酒と肴を運んでくる。

 今の俺にとってはもちろん、ミルやローザのような娘の血こそが馳走なのだが、だからといって人間の食べ物が楽しめなくなったわけではなかった。

 

「良い趣味だ」


 銀杯に湛えられた深紅の葡萄酒を舌の上で転がして、俺はレレイシャのセレクトを褒める。

 年代物だ。複雑な味と香りがどこまでも広がっていくが、それでいて万華鏡のようなやかましさはないのが良い。


「我が君のお目覚めの頃合いを見て、数十年前からせっせと集めて寝かせておきましたもの」


 若いの、古いの、いくらでも取りそろえてあると、レレイシャは誇らしげに言った。

 さすが気の利く奴である。


 俺はしばし舌鼓を打った後、レレイシャに本題を求めた。

 この三百年の間に、俺とアルが建てた国はいったどうなってしまったのか?


「きっと我が君にとって、ご不快な話になります。できれば、私の口から申し上げるのは、憚りたかったのですが……」

「ならん。包み隠さず申せ」

「御意」


 レレイシャは深々と一礼した後、諦め顔で語り出した。


「結論から申し上げますと、我が君と弟君の理想は、五十年と保ちませんでした」

「なに……アルが失政でも犯したと申すか?」


 俺が自らの死を演出してまで、アルに王権譲渡のデモンストレーションを行ったのは、アルならばまさしく全権を託して足る男だと信じたからだ。


「いいえ、我が君のお眼鏡に間違いはございませんでした。弟君の治世は、ヴァスタラスク三百年の歴史において、最良の時代であったことをレレイシャは嘘偽りなく確信いたします。ですが問題は、弟君は後継者に恵まれなかったのです」


 レレイシャは心苦しそうに、説明を続けた。

 俺もまた苦い顔で耳を傾けた。


 アルは五人の男児を儲けたが、尽く凡庸であったようだ。

 上手に上手に育てて、ようやく人の上に立つ資格がなくはない出来――そんな程度にしかならなかったという。

 テル=クオンというその嫡子は、アルが存命の間は、そのアルを後ろ盾にして上々の治世を執り行うことができた。

 しかし、アルが天寿を全うした後は、もうダメだった。

 後ろ盾を失い、臣下たちを従えるのにひどい苦労をするようになった。

 なにしろそのころにはまだ、俺に仕えた直臣たちが大勢残っていた。皆、掛け値なしに有能だが、癖も強い連中だった。

 凡庸なるテル=クオンは、臣下たちの才幹に嫉妬し、また容易に従わざるを焦慮し、結果――彼らを粛正することで、自らの権力基盤を盤石にするという愚を犯した。

 なるほど、俺とアルの理想は、たった五十年ぽっちも保てなかったというわけだ!


「王が臣下に対して牙を剥いた。ならば臣下の方は、牙を隠して研ぐ以外に、生き残る道はございません」

「道理だな」

「能ある臣下らは面従背反となって生き永らえ、水面下で結託し、王家の権限を少しずつ削ぎ取るよう立ち回りました。またテル=クオンの嫡子が暗愚に育つよう、手を尽くしました」


 彼らの画策は、それはもう上手くいったのだという。

 次の代の王は凡庸にすら届かぬ、目も当てられないような昏主となった。

 戴冠するや、政務を全て臣下たちに放り投げ、漁色と酒池肉林に耽るようなゴミだ。


「そのさらに次代が――先日、少し申し上げました――カリス帝です」

「皇帝などと僭称し始めたバカだな?」

「はい、我が君。カリスは誇大妄想のすぎた男で、ヴァスタラスクも帝国と名を改め、さらには自分こそが建国の祖であると、歴史の改竄を行いました」

「その改竄された歴史では、俺とアルの扱いはどうなっているのだ?」


 俺は皮肉っぽく口元を歪めて訊ねた。

 これまで端々で得た情報から、もう見当はついていた。


「我が君と弟君は、神話の存在となりました」

「お綺麗に申すな」

「我が君はカイ=レキウスという名の、邪神に仕立て上げられました。世界を滅ぼそうと企み、何百万人と虐殺した、恐ろしい闇の神です。現代では、親が言うことを聞かぬ子どもに対し、『カイ=レキウスが来るぞ』『おまえをとって食うぞ』と脅して、宥めすかせるのです」

「ハハハ! それは少し面白い!」

「私にとっては笑い事ではございません。不愉快です」


 レレイシャがぶすっとなったが、俺は笑い続けた。


「一方、弟君はアル=シオンという名の、善なる神に祀り上げられました」

「そしてカリスとやらは、善神アルの託宣と加護を受けて立ち上がり、邪神たる俺を討伐して、ヴァスタラスク帝国を統治する権限を神授された――という神話ストーリーだな?」

「御意。口の端に上らせるのも憚ることですが」


 くだらん。本当にくだらん。

 本物の自信があれば、そして臣下を従える統率力と、民を満足させる政治力があれば、神話の捏造による自己正当化の必要など、どこにもありはしないのだ!


「あげくそのカリスとかいうバカは、臣下たちを気前よく貴族にしてやったのだろう?」

「はい、我が君。彼らの様々な特権を保証してやらねば、もはや王権を維持することもままならなかったのです」

「暗愚めが。何が皇帝か。王の中の王か。聞いて呆れるわ」


 俺は吐き捨てずにいられなかった。

 国を統治するための機構として、それまで当然だった貴族制度から、王に全てを集権させる官僚制度に移行させるため、生前の俺がどれだけ長年の苦労を強いられたことか。

 それをカリスとやらは、あっさりと水泡に帰さしめてくれたのだ。


「そして現在のヴァスタラスクでは、帝族たちは責務を放棄して遊蕩に耽り、貴族たちは特権にあぐらをかいて横暴の限りを尽くし、その腰巾着となった役人や軍人たちまで民を虐げているという有様です」

「もうよい。わかった」


 俺は銀杯を遠ざけるように、テーブルに置いた。

 中身が急に不味くなったような気がした。


「レレイシャよ」

「はい、我が君」

「ヴァスタラスクは、俺とアルで苦労して建てた国だ」

「御意」

「戦乱の世に終止符を打ち、天下万民に安らぎを与えんがために、背負った苦労だ」

「御意」

「にもかかわらず、わずか三百年でこの有様……もはや見ておられぬ」

「ですれば、如何いたしますか?」

「知れたこと。この俺の手で、綺麗さっぱり叩き壊してやる。その後で、今度こそ理想の国に造り替えてやる」


 俺は魔術の研鑽を心行くまで楽しむために、ヴァンパイアに生まれ変わったのだ。

 こんなくだらないことのために転生したわけではない。


 だが、仕方がない。

 俺とアルの理想を穢されて、「はあ、そうなりましたか」と見過ごしていられるものかよ。

 これを許していられるものかよ!


 魔術の研鑽はその後でもできる。

 俺には永劫の時間があるのだからな。


「ブレアが始まりの町だ。そこからまずはアーカス州をいただき、足がかりとし、さらに勢力を周辺へと広げていき、やがては大陸全土を制覇する」

「全てはあなた様の御心のままに」


 俺は鷹揚に首肯すると、そのままむっつり黙り込む。

 しばし独りになりたかった。

 手を振り、レレイシャに下がるように命じる。

 忠実な魔術人形サーヴァントは、当然すぐに従うと思っていた。

 ところが、彼女は俺の命に逆らった。

 何を思ったか、俺の目の前にやってくると、ソファに腰かけた俺の膝に、跨るように腰を下ろした。柔らかい尻の感触が、俺の膝にむっちりと載った。


「……なんの真似だ?」

「改めまして、弟君の追悼を。そして喪われた我が君の理想と、真なるヴァスタラスクの鎮魂を」

「よそでやれ」

「嫌です。そんなこと独りでやったら、泣いてしまいますもの」


 誰が、とはレレイシャは口にしなかった。

 もう押し黙って、ただ俺の頭を胸に抱えた。

 俺もまたされるがままに、彼女の形のよい乳房に顔を埋めた。

 なるほど、独りより二人の方がよい。

 まだしもマシな気分になれた。

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