第十四話  撃退完了

 スカラッドを一蹴した俺の背に、ローザの震えた声がかかった。


「あ、あんた、いったい何者なの……?」


 可哀想になるほどの、怯え混じりの声だった。

 魔術の秘奥どころか、泰平しか知らない今の時代の人間にとって、戦乱の世の術比べはさぞ凄まじい光景に映ったのだろう。心臓に悪かったのだろう。


「魔術師カイ=レキウス。吸血鬼カイ=レキウス。まあ、好きな方でとれ」

「……カイ……レキウスですって……?」


 振り返って名乗ると、ローザがますます縮み上がった。


「ま、まさか、邪神と何か関係が……?」

「邪神?」


 今度は俺が首をひねる番だった。


「カイ=レキウスといったら、泣く子も黙る邪神の名前でしょうが……っ」


 ローザは未だ下半身が石と化したまま、怯えのあまりに己が上半身を抱きしめ、後ろへよじった。


 邪神カイ=レキウスなど聞いたこともないが、ローザの口ぶりでは、誰もが知っていて当たり前の存在のようだ。

 つまりは俺が眠っていた三百年の間に……まあ、予想はつくがな。

 後でレレイシャに確認した方が、この娘よりも正確に教えてくれるだろう。

 それよりもだ。

 

「スカラッドも斃れ、どうやら夜襲部隊も底がついたか?」

「ぐっ……」

「おまえを助けに来る者はもういないようだ。さてさて困ったことだな?」

「ふ、ふざけないでよっ。バカにしてっ」


 ローザは気丈に強がってみせるが、蒼褪め、震えていては台無しだ。

 むしろ男の嗜虐心をそそってくれるばかり。

 そういえば吸血の途中だったなと、渇きを覚える。


「ひっ……。こ、来ないで……っ」

「そう恐がるな。別に命まではとらん。もう少しだけ、美味を堪能させてもらうだけだ」


 俺の命を狙った代償としては、むしろ安いというものだろう?


「おまえも素直に楽しんだらどうだ?」


 俺はローザの背後へ再び回り、赤い髪をかき上げて、真っ白なうなじをさらす。

 快楽に心をゆだねろと、悪魔のようにささやく。


「やだっ。やだあ……っ」


 ローザは逃げることも叶わず、か細い嗚咽を漏らす。


「このままここへ残る気はないか? おまえ一人、おめおめと逃げ帰っても、立場は苦しいばかりだろう?」


 彼女のうなじや吸血痕を撫でさすり、そこから匂い立つ薔薇の香りを楽しみながら、俺はささやき続けた。


 そう、俺はこのローザという少女を、手元に置きたいと思っている。

 彼女の血の美味なこと、この上なし。

 しかも剣の天才で、気丈な性格も可愛らしい。

 俺の人材収拾欲ともいうべきものが、三百年ぶりに駆り立てられる。


「い、いやよっ。あたしはナスタリア伯爵の騎士ローザ……! たとえあたしの血や命は奪えても、あんたはあたしの魂まで奪えないんだからっ」

「ほう。その伯爵とやらは、懸命の忠義に足る人物なのか?」

「この辺境のアーカス州が、こんなにも平和で豊かなのも、伯爵閣下の治世があればこそよ!」


 怯え、震えていたローザが、ナスタリア伯爵とやらの話題になった途端、語気が強くなった。

 なんと忠義の娘であろうか。

 ますます気に入った!


「しかし、ローザよ。俺は目撃したのだぞ? 兵が貧しい娘たちを裸に剥き、奴隷同然に連れ去ろうとしたのを」

「そ、それはラーケンの監督に問題があっただけだわっ。確かによその州では、貧家の娘を奴隷同然に扱う貴族たちが蔓延はびこっている。でも、このアーカスは違うの! ナスタリア伯爵はそういう娘たちを集めて、正しい教育を与え、独り立ちできるようにと保護をしているのよ!」

「ほう。それは立派なことだな」


 何も裏がなく、百パーセント義捐の心であれば、の話だが。


 よかろう。決めたぞ。


「おまえは帰してやることにしよう、ローザ」

「な、何を企んでるわけ!?」

「帰って、その伯爵に伝えよ。カイ=レキウスは貴族という存在を許さぬ。認めぬ。だから、討ち滅ぼしてやるとな」

「何よそれ、ムチャクチャじゃない! 身勝手にもほどがあるわ!」

「俺に言わせれば、貴族制度こそ無茶で身勝手の極致だが……まあ、よい。滅ぶが嫌ならば、全力で抗ってみせるがいい」


 人は追い詰められた時、なりふりを構わなくなり、その本性を見せる。

 このローザのように、まな板の上に載せられてもなお気丈に、誠実に振る舞えるほど、果たしてその伯爵は立派な人物だろうかな?

 くく、楽しみだ。


「……後悔するわよ? 今度こそあたしは、あんたを討ちに来るわよ!?」

「くくく、おまえにできるのか?」

「あたし一人では無理でも、皆の力を合わせれば! 伯爵閣下のお知恵があれば! 必ず!」

「ますます楽しみなことだ」


 俺は腹の底から湧き出す愉悦に、くつくつと喉を鳴らす。

 それから――


「まあ、それはそれとして、最後にもう少し馳走しろ」

「い、いやあああああ……♥」


 俺はローザのうなじに噛みつき、血を啜り、彼女にあられもない嬌声を上げさせた。


    ◇◆◇◆◇


石化ザルジ》を解いてやると、ローザは町の外へと逃げ帰っていった。

 同僚や兵士たちの遺体を、そのままにしておくのは無念なのだろう。しばし、未練げな眼差しを向けていた。

 しかし、生き残りが彼女一人では、どうにもできない。諦めるしかない。

 ローザは何度も代官屋敷を振り返っては、玄関でふんぞり返っている俺のことを、にらみつけていった。


「まあまあ! 我が君が御自ら見送りなさるだなんて、そんなにあの娘がお気に召しましたのですか?」

「レレイシャか」

「はい、お傍に。我が君」


 裏手から攻めてきた夜襲部隊を、全滅させたのだろう。

 レレイシャが忽然と現れ、俺のすぐ後ろに楚々と侍っていた。


「ローザというらしい。おまえには命じておく。あの娘が次に攻めてきても、殺すな」

「御意。それにしても格別のご配慮、妬けますこと」


 レレイシャは台詞の前半を真摯に、後半をおどけて口にした。


「それと、おまえに聞きたいことがある」

「我が君との間にできる御子でしたら、十人くらい授かりたいですわ」

「たわけ。誰がそんなことを訊いたか」


 レレイシャ一流のジョークだとわかっているので、俺も笑い飛ばす。

 もちろん、吸血鬼ヴァンパイア魔術人形サーヴァントが子をなせるわけがないなどと、野暮なツッコミもなしだ。


「俺がいなくなった三百年に、この国がどうなってしまったのか――詳しく聞かせろ」

「御意。では、ぜひお酒でも交えて。今すぐ用意いたしますわ」

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