第十二話  血と骨と

 俺――カイ=レキウスは想像していた。

 ミルの血は、まるで搾りたての牛の乳のように、鮮烈且つ濃厚な味わいだった。

 では、このローザという少女の血は、どんな味がするのだろうか?

 やはり牛の乳のような味がするのだろうか?

 それとも違うのか?

 と、そんな想像を胸中で弄びながら、ローザに迫っていく。


「やっ……こ、来ないで!」


 下半身が石と化したローザは、逃げようにも逃げられない。

 だからその場で剣を振り回してくるのだが、腰の入っていない、腕で振っているだけの剣など、恐ろしくもない。

 そんな彼女の右手首を、俺はあっさりとつかまえることで無力化する。

 そのままさらに背後へ回り込んで、これでローザはもう何も抵抗できない状態に。


 ローザも、自分がもはやまな板の上でしかないことを悟ったのだろう。

 恐怖で体を強張らせた。


「いやっ。やめて!」

「やめない」


 俺は空いた方の手で彼女の後ろ髪をかき上げ、真っ白なうなじを露わにした。

 そこから薔薇の如く高貴な香りが昇り立つ。

 彼女固有の血の匂いだ。

 ヴァンパイア独特の嗅覚が、俺にそう告げていた。


 俺はもはや込み上げる吸血衝動に抗わず、ローザの首筋に牙を立てた。


「んくっ」


 一瞬の痛みで喘ぐローザ。

 その初々しさすら堪能しつつ、俺は彼女の血を啜る。


 ミル同様に、得も言われぬ美味であった。

 ただしミルの血とは、まるで味わいが異なる。

 ローザのそれは、例えるならば薔薇を溶かして液体にしたような、凛としたフレーバー。

 俺はしばし陶然となって、彼女の血を味わう。


「ウソ……ウソ……何これ……っ」


 一方、ローザは愕然となって声を震わせた。


 その彼女の気持ちが、俺には手にとるようにわかる。

 噛まれる痛みに耐えようと身構えていたら、苦痛どころかまるで真逆の快感に襲われて、困惑しているのだ。

 痛覚になら耐えられても、快楽には抗いがたく、そら恐ろしさを覚えているのだ。


「無理をすることはない。その快感に、存分に溺れるがいい」

「い、嫌よっ。誰がそんなっ」

「ククク、ならばどこまで抗えるか、試してやろう」


 俺は再び牙を突き立て、より強くローザの血を吸った。


「あああああああっ!」


 彼女は強烈な快感のあまりか、背を思いきり弓なりに反らせて悶えた。


「嫌っ……いや……っ。だめ……♥ だめえええっ……♥」


 嫌がりながらも、声がだんだんと甘い響きを帯びてきた。

 真っ白だった彼女のうなじがだんだんと紅潮していき、しまいには耳たぶの裏まで赤くなる。

 体を小刻みに震わせ、切なそうにもじもじとさせる。


「お願い……っ、もうっ……許して……っ」


 涙混じりに哀願してくる。

 さっきまでの強気はどこへやらだ。

 もし下半身が石化していなかったら、とっくに腰砕けになって、へたり込んでいただろう。


 天才的な剣士でも、まだ少女だ。

 快楽には勝てず、すっかりしおらしくなってしまったそんな態度が、かえって男の心に火を点けてしまうことも知らないのだろう。

 

 俺はさらに貪るように、彼女の血を啜り立てた。


「あああああああああああああ♥♥♥」


 ローザはもはや聞き間違えようのない嬌声を、喉も裂けんばかりに叫んだ。


 彼女の心の鎧を、完全に剥ぎ取るのも時間の問題。

 いよいよ楽しいのはここから。


「――だと、いうのにな」


 俺はローザのうなじから口を離すと、舌打ちした。

 同時にそれが「短嘯」の魔術式になっている。

 俺は《障壁ガル》を用いて、不可視の防護壁を作り上げた。

 自分の身を守るためというよりは、ローザのことを守るために。


 直後、激しい炎が波となって押し寄せ、俺の《障壁ガル》とぶつかり、せめぎ合った。


 もし俺の《障壁ガル》が間に合っていなかったら、吸血鬼のこの身はともかく、ローザの命はなかったに違いない。


「ローザと諸共に焼き滅ぼそうとは、やり口が卑劣にすぎんか?」


 俺は正門の向こう、新たに跳ね橋を渡ってきた一団へ、侮蔑の視線を投げかけた。


「黙れ、吸血鬼が!」

「ヴァンパイアに血を吸われた者は、ヴァンパイアになる! その前に焼き葬ってやるのも、一つの慈悲よ!」


 その一団――俺たちへ向けて《火炎ラム》の一斉射を放ってきた魔道士どもが、口々に批難の言葉を唱えた。


 連中の言う通り、吸血鬼に血を吸い尽くされて死んだ者は、下等種の吸血鬼レッサーヴァンパイアとして生まれ変わり、その従僕と化す。

 だが俺は、このローザという気丈な娘を気に入った。

 ゆえに従僕になどして、その魂の尊厳を冒すようなもったいない真似、するものかよ。


 とはいえ、説明しても詮無きこと。

 未だ快感の波で頭が痺れ、呆然自失となっているローザを、俺は一層強く抱き寄せつつ、魔道士どもと相対する。

 この格好では「結印」も「刻印」もできないが、まあハンデだ。

 相手はざっと二十人。

 全員が新たな呪符を取り出し、構えている。

 それなくては術も使えぬ、嘆かわしき現代の魔道士連中。 


「観念しろ、ヴァンパイア!」

「貴様一人の霊力で、我ら全員の魔法をいつまで防ぎきれるか、試してくれよう!」

「もし三度みたび耐えられたら、称賛してくれようぞ!」

「そぉら第二波、喰らえい!!」


 魔道士たちが一斉に、俺たちへと目がけ呪符を投じた。

 今度は《火炎ラム》ではなくて、《冷波ハルト》であった。

 三百年前に、この俺自身が編纂した系統立てに従えば、同じ四大魔術の第一階梯。

 真っ白な冷気が大気を凍てつかせながら、さらに俺たちを氷漬けにせんと迫る。


 一方、俺は両手でローザをかき抱いたまま、両足の爪先を使って、複雑なリズムを刻んだ。

 これも「反閇へんばい」という魔術式だ。

 それを用いて四大魔術系統の第四階梯、《業炎ナーアスク》を放つ。

 現代魔道士二十人分の霊力を、遥かに超える火力を以って、迫る冷気を焼き尽くし、さらに勢い余って魔道士どもを焼き払う。


「ぎゃあああああああああああっ」

「ひぃっ! ひぃぃっ! 火がああああっ」

「いぎぐあああああああっ」


 連中は誰も抵抗できず、火だるまと化して苦しみもがき、端から堀へと落ちていった。


 戦乱の世を生きた俺からすれば、《業炎ナーアスク》程度は児戯にも等しいのだが、泰平のぬるま湯で育った連中には、少し灸がキツすぎたか。

 あれだけ雁首そろえば、少しは術比べの真似事ができるかと思ったが――つまらん。


 俺がそう落胆した時のことであった。


「さすがは人を超えた霊力を持つという吸血種だな。たかが《業炎ナーアスク》でこれほどの威力になるかよ」


 俺の火炎魔術の余波で、燃え盛る跳ね橋を踏み越えて、老人が姿を見せた。

 骨と皮ばかりで、毛髪もなく、まるで骸骨の魔物じみた老人だ。

 真打登場。

 長官スカラッドというのは、こいつだろう。


「だがな、吸血鬼。ただの霊力自慢では、真の魔術には太刀打ちできん。自前の霊力に頼っているうちには、三流にすぎぬということを教えてやろう」

「ほう」


 ようやく少しは骨のある奴が出てきたか?

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