第九話  夜襲作戦

 一千の兵を百人ずつ、十の部隊にわける。

 ローザら九人の騎士が、それぞれ一隊ずつを預かり、指揮を執る。

 残る一隊は、スカラッドの護衛だ。

 これがブレアの町に夜襲をかける、全陣容である。


「長官閣下。偵察兵が帰って参りました。町の中は完全に寝静まっており、また伏兵どころか歩哨や巡回兵の類すらおらず、自由に歩き回ることができたとのことです」

「代官屋敷はどうなっておった?」

「はい、閣下。掘の跳ね橋は上げられておらず、また外壁の門は表裏ともに開け放たれていたとのことです」


 その報告を聞いて、ローザ以外の騎士は騒然となった。


「宣言通りではあるが、まさか本当に門を開け放っているとは……」

「いつでもどうぞお入りくださいというわけか」

「舐めおって……っ」


 皆一様に悔しげな顔をしていた。


 ローザには理解できない心情だ。

 件の二人組が、スカラッドの警告通りに油断ならぬ相手であれば、その大胆さに警戒の念を抱きこそすれ、悔しく思っている余裕などない。

 逆に口ほどにもない相手であったら、その慢心を笑い飛ばすだけのこと。


 偵察兵の報告を聞いたスカラッドが、重苦しい声で皆に命じる。


「代官屋敷まで一気に詰めるぞ。息をひそませ、足音を忍ばせよ。私語など以ての外だ。相手が油断しているからこそ、こちらは完璧な夜襲を実行するのだ。そう兵らにも徹底させよ。屋敷に到着した後は、五隊ずつにわかれて、表と裏から一気呵成に攻め落とす」

「「「はっ」」」


 ローザが、騎士たちが、一礼して拝命する。


 そこからの作戦行動は、速やかだった。

 兵たちが咳すら漏らさず、夜の市街地を疾駆していく。

 さすが長官府直属の精鋭部隊だけあって、練度が違った。

 名誉と忠義を重んじる騎士階級と違い、兵卒といえば――ラーケンの部下がまさにそうだったが――ゴロツキに毛が生えたような連中が、嘆かわしいことに一般的なのだが。この彼らはまるで一線を画している。


 一方、それを率いる騎士たちもまた、凄腕ぞろいだ。

 皇帝騎士こそローザ一人だが、他の八人も中央で腕を鳴らした勇者ばかり。

 スカラッドがわざわざスカウトしてきたような連中である。


 対して相手はたったの二人。

 この布陣なら、さすがに負けはしないだろう。

 ローザはそう思っていた。

 


 偵察兵の報告通り、堀の跳ね橋は下ろされたままで、なんなく通行できた。

 外壁の堅牢な門も開かれたままで、なんなく通行できた。

 どころか屋敷の玄関扉まで、不用心に開け放たれたままだった。

 しかし、屋内に突入できない。

 先頭を走る兵たちが、思わず足を止めてしまったのだ。

 前庭で渋滞を起こしてしまったのだ。


 ローザも誰も止まれとは言っていないから、これは命令違反である。

 だが、咎める気にはならなかった。

 ローザも感じとったからだ。

 完全に灯りの落とされた、真っ暗な屋敷の中。

 無防備に開け放たれたままの、玄関の奥。


 そこに、“何か”が潜んでいる。

 そこに、“何か”が待ち構えている。


 正体不明。

 しかし、確かに感じるのが。

 濃密なまでの、おぞましくも禍々しい気配が。


 ローザは唸った。

 初陣の緊張など、消し飛んでしまった。

 否、それに十倍する名状しがたい恐怖に塗り潰されてしまった。


「どうした、おまえら? ここまで来て、怖気づくなよ」


 騎士の一人――大柄な体躯と怪力が自慢の壮年が、兵たちに発破をかける。

 自ら率先して、屋敷へと突入していく。

 勇敢といえば聞こえがいいが、普段から鈍感で無神経な男だ。

 末端の兵士たちですら感じとれる、この禍々しい気配に気づいていない。


「正直、助かる。バカも使いようだな」


 また別の騎士が陰口を叩いた。

 まさにその時だった。


「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」


 玄関内に突入した大柄な騎士の、断末魔の悲鳴が木霊する。


「なんだ?」

「いったい何が起こった?」

「わからん……」


 兵たちが、騎士たちが、愕然となってささやき合う。

 誰もが、両足が地面に根を張ったように、動かなくなってしまう。

 すると――


「クククク……ハハハ……ハハハハハハハ」


 玄関奥の暗闇の中から、嘲笑が殷々と聞こえてきた。


「おいおい、慎重と臆病は似て非なるものだぞ? 仲間がやられても、助けには来ないのか? それが当世の軍隊というものか? ククク、いやはや嘆かわしい」


 何者かが暗闇の奥から、ローザたちを嘲弄する。

 かと思うと、玄関にパッと灯りが点いた。

 恐らくは《光明ルク》の魔法によるものだ。

 おかげで玄関内の様子が見てとれる。


 突入した騎士の大柄な体が、首から先を失い、斃れていた。

 その生首が恨めしげな表情で、こちらを見ていた。


 そして、その生首を片足で踏みつけて、青年が待ち構えていた。


 上から下まで黒ずくめの、上等な仕立ての絹服姿。

 歳のころは二十代後半ほどか。

 整った顔立ちをしている。

 同時に、ローザはどこかで見たような既視感を覚える。


 結局、彼女は思い出せなかったが、もし帝都に帰還することがあれば、気づいたであろう。

 市街のあちこちに建てられている、の銅像。

 二百年経った今では誰も知らないことだが、実は本人よりも五割増しで美形に仕立てられたその顔に、この黒ずくめの青年は面影が似ているのだ。

 ただしこの青年の方が、修正済みのカリス帝の銅像より凛々しく、より不敵で、より逞しく、より隠せぬ気品がある。


「突入だ! 相手はたったの一人だぞ!」


 騎士の一人が、我に返ったように叫んだ。


「行け、行け、行け! 奴に魔法を使う暇を与えるな!」


 また別の騎士が、兵士らに命じた。


 それで兵らも突入を開始する。

 見えない恐怖には怯んでも、見える脅威ならば対処できるだけの、日々の調練に裏打ちされた勇気が、彼らにはあった。

 剣を抜き放ち、次から次へと黒ずくめの青年に躍りかかる。

 次から次へと死体と化していく。

 黒ずくめの青年は徒手空拳だったが、その拳を無造作に振るうたび、兵士たちの剣がまとめて折れ、肉がひしゃげ、骨が砕け、四肢がちぎれ、臓腑がぶちまけられ、鮮血が噴いた。


「なんと恐るべき怪力だ……!」

「いずれ武術の達人に違いないぞ」

「魔道士ではなかったのか?」


 同僚の騎士たちが、目を剥いて驚愕する。

 ローザも同感だったが、このままでは兵を無為に損なうだけだ。


「弓矢を使いなさい! 相手は一人、ハリネズミみたいにしてやるのよ!」


 ローザの号令で、まだ突入していない兵たちが、一斉に弓矢を構える。

 前庭から玄関内の青年へと、無数の矢を見舞う。


 黒ずくめの青年はよけることもできずに、矢の雨を浴びた。

 その全身に数えきれぬほどの矢が刺さり、ローザの言う通りハリネズミのようになった。


「クククク……悪いが、こんなものは今の俺には効かんなあ」


 全身に矢が刺さったまま、青年は不気味に笑っていた。

 よく見れば、血の一滴も流れていない。

 青年は矢をよけられなかったのではなかった。よけようともしなかったのだ。


「では、今度は俺からゆくぞ?」


 黒ずくめの青年が宣言した。

 

 刺さっていた矢が、まるで寄る辺を失ったように、バサリと一斉に床に落ちる。

 その間にも、青年の首から上が、無数のコウモリと化して、飛散する。

 四肢は無数の黒い狼と化していた。

 残る胴体も全て、コウモリや狼と化して、四方に散る。


「こいつ、吸血鬼だ! 人間じゃない! 魔道士でもない! 貴族種ノーブル以上のヴァンパイアだ!」


 博識で知られる騎士の一人が、警告を叫んだ。

 しかし、わかったところでもう遅かった。

 

 無数のコウモリと狼が、玄関から前庭へ、濁流の如く押し寄せ、襲いかかってくる。


 よく見れば、現実感の乏しいコウモリと狼だった。

 まるで影絵のように真っ黒で、立体感がないのだ。

 そんなのがウジャウジャと押し寄せる様は、悪夢のようにリアリティのない光景だった。


 でも、決して夢ではない。

 兵らが、騎士たちが、悪夢のような現実に殺されていった。

 ある者は、コウモリどもに全身に群がられ、百か所以上から血を噴いて絶命した。

 ある者は、狼に跳びかかられ、押し倒され、喉笛を噛みちぎられた。

 凄腕の騎士たちでさえ、物量の前にはなす術もなく、黒い波に呑み込まれるように、一人また一人と斃れていった。


「こいつ! こいつ! こっちくんな!」


 ローザももう懸命になって剣を振るい、まとわりつくコウモリや狼を薙ぎ払う。

 両断しても、両断しても、嘘のようにくっついて再生するそいつらを、せめて近寄らせまいと全力で抗う。


「アハハ……アヒハハ……こりゃ夢だあ。オレは悪い夢を見てるんだアバババ!」


 残る最後の騎士が、とうとう恐怖に耐えきれなくなり、抵抗を諦めた。

 気が触れたように笑いながら、狼たちに四肢の先から食われていった。


 そして、気づけば――

 前庭に立っているのはもう、ローザだけとなっていた。


 コウモリどもが、狼どもが、一斉に退いていく。

 玄関前に集まって、再び一人の青年の姿に戻る。


「残ったのは、貴様一人。天晴な少女よ、名はなんという?」

「先にあんたが名乗るのが礼儀でしょ、吸血鬼!」

「ははは、まだ吠える気力があるか! 気に入った!」


 黒ずくめの青年――いや吸血鬼は、一頻り大笑すると、堂々と名乗った。


「カイ=レキウスだ。見知りおけ」


「皇帝騎士ローザよ。リンデルフ家のローザ」


 剣を構え直し、肩で息をしながら、ローザもまた名乗り返した。


「うむ、見事。その武術、その挫けぬ心、とても少女のものとは思えぬ。誇れよ、ローザ。このカイ=レキウスが褒めて遣わす」

「何よ、偉そうに! お世辞を言ったって、油断なんかしないわよ!」

「はははは! よい。よいぞ――」


 カイ=レキウスと名乗る吸血鬼は、また一頻り笑った。

 そして、ローザが予想だにせぬ台詞を口走った。


「――貴様の血はきっと、さぞや高貴な味がするのであろうな?」

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