第四話  太平の世の表側

 常闇宮アビスパレスのある地下大空洞を、レレイシャを伴って抜け出た俺は、三百年ぶりに陽光を浴びた。

 暦は八月。時刻は正午すぎ。

 一年で最も太陽が活動する時季であろうが、俺は平気な顔で歩みを続けた。


「さすが真祖ともなると、太陽如きでは御身を害することはできないのですね」


 それまで内心不安げだったレレイシャが、ホッと胸を撫で下ろした。


「心地よくはないがな。別に我慢できないほどでもない」


 これが劣等種の吸血鬼レッサーヴァンパイアなら陽光を浴びた途端に塵と化し、通常種ノーマルでも炎で炙られ続けるような火傷を負うだろうが。


「鏡に姿が映らない。流れる水を超えられない。心臓に杭を打たれると復活できない――吸血鬼にまつわる諸々の弱点は、真祖たる俺には無縁だ」


 その辺りは生前、抜かりなく確認しておいた。

 ダファリスという名の吸血鬼の真祖トゥルーブラッドを捜し出し、親交を結ぶことに成功したのだ。

 そういえば奴も、三百年経った今でも健在の可能性が高いな。

 いずれ会いに行くのも一興かもしれん。


「では、我が君。ブレアの町へご案内いたします」


 地下大空洞の出入り口は、山間部にある。

 地元の猟師も絶対に立ち入らないような深い場所にあるのだが、ではその地元というのがレレイシャの言った、麓町のブレアであった。


 城を出たレレイシャは、ドレスを脱ぎ、動きやすい格好に着替えている。

 敢えてのみすぼらしい衣服は、素性を隠すためのカモフラージュだ。

 そして、俺が超人的な身体能力を持たせた魔術人形サーヴァントである彼女は、山間の道なき道を、まるで飛ぶような速さと動きで駆けていく。


 生前の、常人にすぎなかった俺ならば、ついていくことは不可能だっただろう。

 だが生まれ変わった俺の身体能力は、レレイシャを超える正真の怪物級。

 見知らぬ土地だろうと、木々や下生えが邪魔するおよそ移動に適さない斜面だろうと、なんのそのだ。鼻歌交じりについていく。


「楽しいな! 城では存分に動けなかったから、よけいにそう感じる」

「御身のスケールは、この大陸と比肩し得るものですから。小城一つでは手狭にお感じになるのも当然のことかと」

「見え透いた世辞はよせ。何が狙いだ?」

「ぜひ町に着いた後で、腕を組んで歩く名誉を賜りますよう」

「はは! よかろう」


 レレイシャの可愛いおねだりに、俺は鷹揚に首肯を返した。


    ◇◆◇◆◇


 ――そういうわけで俺は今、ブレアの目抜き通りを、上機嫌のレレイシャと腕を組んで歩いていた。


「おや、リリちゃん。今日は良い人と一緒かい?」

「いいウナギが揚がったんだ。買っていって、カレシに食べさせてやんなよ。今夜はきっと朝まで寝かせてくれないよ!」

「リリちゃんてば、なんだよそのイケメンはも~~っ。道理でオレっちが袖にされまくるはずだよも~~っ。参った! 今日は二割引きだ、持ってけドロボー!」


 表通りに面した、ざっかけない店々から、レレイシャが次々と声をかけられる。

 レレイシャは俺の腕を組んで離さぬまま、しかし如才のない笑顔と挨拶であしらっていく。


「感心なことだ。地元民と良好な関係を築いているようだな?」

「小さな町のことですゆえ。悪評が立とうものなら、あっという間に広がり、買い物も難しくなってしまいますもの」

「なるほど、なるほど」


 ブレアは山から流れ出でる川の、両岸に広がる麓町だった。

 山と川、その両方の恩恵が享けられる好立地というわけだ。

 俺の見立てでは、人口千人強ほどか。

 ここアーカス州は、大陸の西の果てにあるド田舎であり、こんなでも大きな町の部類に入るだろう。

 大陸の覇者たる生前の俺の膝元であった、百万王都とは比ぶべくもない。

 だがブレアに住む人々の笑顔や活気は、俺の知る王都の民らのそれと、なんら劣るものではなかった。


 好ましい。実に好ましいことだな。

「流血王」と畏れられた俺だが、民の笑顔と活気を眺めるといつも愉快な気分にさせられる。


「私がこの町の民と親しくしている理由はもう一つございます、我が君」

「ほう。聞こうか?」

「この大陸は全て、本来は我が君のものです。ならばこのアーカスの民とて、本来は御身の所有物。どんなび価値のない人間であろうと、カイ様のご許可なしに、無下にはできませんわ」

「……………………デアルカ」


 おかしいな。

 こんなにアレな性格に設計したつもりはないのだがな。

 三百年放置している間に歪んでしまったのかな。


「そして、どうぞお喜びくださいませ、我が君。三百年前、御身が民へもたらした泰平が、今やこのような僻地にまで行き届いております。往来は笑顔と活気で溢れ、若い男女がこんな風にたわむれながら、のんびりと歩くことができます」

「俺もおまえも若くはないがな?」

「もう! カイ様は意地悪ですっ」


 俺の冗談に、レレイシャは可愛らしく唇を尖らせた。


 しかし、なるほど。

 生前の俺が知るアーカス州といえば、戦火が絶えず、町は難民で溢れ返り、治安はまるで行き届いていなかった。

 ゆえに、あの戦乱の世に比べれば、少しはマシな時代になったのだろう。


「だが、レレイシャ。この光景は、今の世の一面でしかなかろう?」

「……と、仰いますと?」

「おまえは言ったな? 難民であったミルを保護したと。おかしな話だ。太平の世ならば、なぜ難民が出る?」

「さすがのご賢察、畏れ入りましてございます。我が君」


 レレイシャは俺と腕を組んだまま、伏し目がちになった。


「世辞はよい。説明をいたせ」

「はい、我が君。ですが、私の口から申し上げるのは、あまりに畏れ多く――」


 無論、俺が重ねて命じれば、応じるという態度は窺わせつつ、レレイシャはねだるように、


「叶うことならば、まずは御身の目でお確かめいただきたく存じますが……」

「よかろう。案内せよ」


 俺は鷹揚にそれを許す。

 すると、レレイシャが組んでいた腕を、するりとほどく。

 ずっと上機嫌だった彼女がまとっていた、あまやかな雰囲気が霧散する。

 そして俺の正面に回り、臣下の顔つきになって言った。


「御意」

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