第四話 太平の世の表側
暦は八月。時刻は正午すぎ。
一年で最も太陽が活動する時季であろうが、俺は平気な顔で歩みを続けた。
「さすが真祖ともなると、太陽如きでは御身を害することはできないのですね」
それまで内心不安げだったレレイシャが、ホッと胸を撫で下ろした。
「心地よくはないがな。別に我慢できないほどでもない」
これが
「鏡に姿が映らない。流れる水を超えられない。心臓に杭を打たれると復活できない――吸血鬼にまつわる諸々の弱点は、真祖たる俺には無縁だ」
その辺りは生前、抜かりなく確認しておいた。
ダファリスという名の
そういえば奴も、三百年経った今でも健在の可能性が高いな。
いずれ会いに行くのも一興かもしれん。
「では、我が君。ブレアの町へご案内いたします」
地下大空洞の出入り口は、山間部にある。
地元の猟師も絶対に立ち入らないような深い場所にあるのだが、ではその地元というのがレレイシャの言った、麓町のブレアであった。
城を出たレレイシャは、ドレスを脱ぎ、動きやすい格好に着替えている。
敢えてのみすぼらしい衣服は、素性を隠すためのカモフラージュだ。
そして、俺が超人的な身体能力を持たせた
生前の、常人にすぎなかった俺ならば、ついていくことは不可能だっただろう。
だが生まれ変わった俺の身体能力は、レレイシャを超える正真の怪物級。
見知らぬ土地だろうと、木々や下生えが邪魔するおよそ移動に適さない斜面だろうと、なんのそのだ。鼻歌交じりについていく。
「楽しいな! 城では存分に動けなかったから、よけいにそう感じる」
「御身のスケールは、この大陸と比肩し得るものですから。小城一つでは手狭にお感じになるのも当然のことかと」
「見え透いた世辞はよせ。何が狙いだ?」
「ぜひ町に着いた後で、腕を組んで歩く名誉を賜りますよう」
「はは! よかろう」
レレイシャの可愛いおねだりに、俺は鷹揚に首肯を返した。
◇◆◇◆◇
――そういうわけで俺は今、ブレアの目抜き通りを、上機嫌のレレイシャと腕を組んで歩いていた。
「おや、リリちゃん。今日は良い人と一緒かい?」
「いいウナギが揚がったんだ。買っていって、カレシに食べさせてやんなよ。今夜はきっと朝まで寝かせてくれないよ!」
「リリちゃんてば、なんだよそのイケメンはも~~っ。道理でオレっちが袖にされまくるはずだよも~~っ。参った! 今日は二割引きだ、持ってけドロボー!」
表通りに面した、ざっかけない店々から、レレイシャが次々と声をかけられる。
レレイシャは俺の腕を組んで離さぬまま、しかし如才のない笑顔と挨拶であしらっていく。
「感心なことだ。地元民と良好な関係を築いているようだな?」
「小さな町のことですゆえ。悪評が立とうものなら、あっという間に広がり、買い物も難しくなってしまいますもの」
「なるほど、なるほど」
ブレアは山から流れ出でる川の、両岸に広がる麓町だった。
山と川、その両方の恩恵が享けられる好立地というわけだ。
俺の見立てでは、人口千人強ほどか。
ここアーカス州は、大陸の西の果てにあるド田舎であり、こんなでも大きな町の部類に入るだろう。
大陸の覇者たる生前の俺の膝元であった、百万王都とは比ぶべくもない。
だがブレアに住む人々の笑顔や活気は、俺の知る王都の民らのそれと、なんら劣るものではなかった。
好ましい。実に好ましいことだな。
「流血王」と畏れられた俺だが、民の笑顔と活気を眺めるといつも愉快な気分にさせられる。
「私がこの町の民と親しくしている理由はもう一つございます、我が君」
「ほう。聞こうか?」
「この大陸は全て、本来は我が君のものです。ならばこのアーカスの民とて、本来は御身の所有物。どんなび価値のない人間であろうと、カイ様のご許可なしに、無下にはできませんわ」
「……………………デアルカ」
おかしいな。
こんなにアレな性格に設計したつもりはないのだがな。
三百年放置している間に歪んでしまったのかな。
「そして、どうぞお喜びくださいませ、我が君。三百年前、御身が民へもたらした泰平が、今やこのような僻地にまで行き届いております。往来は笑顔と活気で溢れ、若い男女がこんな風にたわむれながら、のんびりと歩くことができます」
「俺もおまえも若くはないがな?」
「もう! カイ様は意地悪ですっ」
俺の冗談に、レレイシャは可愛らしく唇を尖らせた。
しかし、なるほど。
生前の俺が知るアーカス州といえば、戦火が絶えず、町は難民で溢れ返り、治安はまるで行き届いていなかった。
ゆえに、あの戦乱の世に比べれば、少しはマシな時代になったのだろう。
「だが、レレイシャ。この光景は、今の世の一面でしかなかろう?」
「……と、仰いますと?」
「おまえは言ったな? 難民であったミルを保護したと。おかしな話だ。太平の世ならば、なぜ難民が出る?」
「さすがのご賢察、畏れ入りましてございます。我が君」
レレイシャは俺と腕を組んだまま、伏し目がちになった。
「世辞はよい。説明をいたせ」
「はい、我が君。ですが、私の口から申し上げるのは、あまりに畏れ多く――」
無論、俺が重ねて命じれば、応じるという態度は窺わせつつ、レレイシャはねだるように、
「叶うことならば、まずは御身の目でお確かめいただきたく存じますが……」
「よかろう。案内せよ」
俺は鷹揚にそれを許す。
すると、レレイシャが組んでいた腕を、するりとほどく。
ずっと上機嫌だった彼女がまとっていた、あまやかな雰囲気が霧散する。
そして俺の正面に回り、臣下の顔つきになって言った。
「御意」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます