第三話 初めての吸血
「娘よ。名はなんという?」
レレイシャの陰に隠れる少女に向かい、俺は訊ねる。
緊張を解きほぐしてやろうと、なるべく優しい声音になるよう努めた。
「ミ、ミミ、ミルと申しっ、申します……っ」
少女は半泣きになって、引きつった声で答えた。
……昔から無意味に怖がられるんだよな。俺。
だから「流血王」になるしかなかったというか恐怖政治を敷くしかなかったというか。
まあよい。
「ミルよ。これから俺がおまえに何をしようとしているか、理解はできているのか?」
「は、はいっ。レレイシャ様から、ちゃんと説明していただきましたっ」
怯えながらも、しっかりと受け答えするミル。
言葉遣いも十歳前後とは思えないほど適切なものだし、レレイシャの教育の賜物か。
「レレイシャのことを、慕っている様子だな?」
「は、はいっ。わたしの命の恩人ですっ」
「ほう?」
どういうことかと、俺はレレイシャに目で問う。
「このミルは難民で、集団での旅の途中、母親と生き別れてしまったところ、不埒な男どもに乱暴されそうになっていたのです」
レレイシャはつい先日、
「最初は我が君のお目覚めに備えてと思っておりましたが、試しにメイドの仕事を仕込んだところ、呑み込みがいいし、何より真面目で働き者なので、可愛がっております」
「おまえの理屈はそうだろうがな」
肝心の、ミルの気持ちはどうなのだと、今度は少女に目を向ける。
「れ、レレイシャ様は、お腹を空かせていたわたしに、たくさん食べさせてくださいましたっ。そ、そして今は、ご主人様が空腹だと聞きましたっ。わ、わたしがご恩返しする番ですっ」
「ふむ。健気なことよな」
レレイシャが気に入ったのもわかる。
「安心せよ。別に吸い尽くしたりはせぬ。真祖ともなれば、少量で事足りるのだ」
「ほら、ミル。我が君の元へ」
「は、はいっ、レレイシャ様っ。ご主人様っ」
ミルがおずおずとレレイシャの陰から出てくると、おっかなびっくり傍まできた。
小さな全身を小刻みに震わせながらも、華奢なうなじを差し出すように、首を傾げる。
髪を短く切りそろえているのは、メイド仕事の邪魔にならぬようにという意味の他、俺が牙を立てやすいようにという、レレイシャの配慮かもしれない。
「恐いか?」
「は、はいっ」
ミルは涙目になって答えた。
気丈で、芯は強い娘だと俺は思った。
真の勇気の持ち主とは、恐怖を覚えぬ者ではなく、恐怖に震えながらもなすべきことがなせる者なのだから。
「許せ。なるべく優しくする」
「安心なさい、ミル。痛いのは最初だけですよ」
「だ、大丈夫です。覚悟はできてますっ」
ミルはぎゅっと目をつむった。
これ以上長く恐怖を味わわせないためにも、俺は少女の華奢なうなじへ、一息に噛みついた。
ヴァンパイアに生まれ変わることで得た二本の牙を、少女の柔らかな肌へ突き立てた。
「はうっ……」
というミルの、軽い痛みに耐える吐息。
「羨ましいわ、ミル。我が君の、初めてのお情けをいただけるなんて」
というレレイシャの、半ば本気、半ば冗談めかした台詞。
俺は無視して、ミルの血を一口啜る。
「むう……!」
俺としたことが、思わず唸ってしまった。
てっきり生臭かったり、鉄錆臭いのだろうと、思い込んでいた。
俺の方こそ実は、吸血という行為に覚悟をしていた。
ところだ、どうだ?
ミルの血は、まるで搾りたての牛の乳のように、鮮烈で濃厚な甘みを俺の舌に乗せた。
生臭いなどとんでもない!
大陸の覇者たる俺が未だ味わったことのない、極上の美味であった。
しばし夢中になって啜ってしまう。
一方、ミルはといえば、次第に呼吸を荒げていた。
痛みに耐えている――というのとは、違う。
逆だ。
「ふっ……あふっ……ハァ……ハァ……あっ……ああっ……ご主人……様ぁ……」
ミルの声が、甘く妖しい色を帯びていた。
年端もいかぬ少女が、切なそうに内股をこすり合わせていた。
その顔はすっかり上気し、目がとろんとなっていた。
「あらあら、ミルったら。すっかり女の顔(傍点)にさせられてしまいましたね。羨ましい」
傍から眺めるレレイシャが、またおどけたことを言う。
だが、ミルにはもう聞こえていない。
「ご主人様……ご主人サマぁ……。お願いです……もっと、もっと吸って……ぇ」
夢中になって俺にすがりつき、幼い体をこすりつけて哀願する。
俺はその要望に応え、ひときわ強く血を啜る。
「んんん……っ!」
たちまちミルは背筋を反らせ、痙攣させる。
俺はさらに、じゅるじゅると音を立てて啜り上げる。
「ああっ、ああっ、ああああっ、ご主人様ああああああああああああああっ♥♥♥♥♥」
◇◆◇◆◇
食事の後、俺はソファで軽い自己嫌悪に浸っていた。
レレイシャは対照的に、ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべながら、
「さすがは我が君です。まだ十歳の生娘を、一瞬で女に変えてしまうとは」
「……ミルはどうしている?」
「ベッドに寝かしつけておきました。とても満ち足りた顔で、休んでおりますわ」
「……まさか吸血行為に、これほどの快感が伴うとはな」
「我が君はお腹いっぱいで幸せ、お相手は気持ちよくて幸せ、素晴らしいことではございませんか!」
「フン。満腹か」
俺は自分の両手を見下ろす。
魔術師としての目を凝らせば、そこから強い霊力が溢れ、炎のように揺らめいている様が見える。
他人の血を吸うことで、霊力を高めることができる、ヴァンパイアの利点だ。
「腹もくちくなったことだし、少しつき合えレレイシャ」
「御意。して、次は何をなさいますか、我が君? 吸血以外の方法で、私を女に変えてみますか? いくらでもおつき合いいたしますわよ?」
「冗談を申すな。外に出るぞ」
そして、三百年後の世の中を、ゆるりと見物するのだ。
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