第二話  新たなる拠点

 レレイシャと抱き合うことしばし。

 俺は次第に、なんとも気まずい感覚を覚えていた。

 空腹だ。


 抱き合い、間近に見下ろせるレレイシャのうなじから、得も言われぬ匂いがする。

 純然たる香水の薫りだ。

 魔術人形サーヴァントのレレイシャは食事も排泄も必要とせず、老化も新陳代謝もせず、ゆえに体臭はほとんどない。


 にもかかわらず、約三百年にも及ぶ転生を果たしたばかりの俺は、柑橘系のその匂いに食欲を覚えてしまったのだ。


「私の血を召し上がりますか、我が君?」


 俺の視線に気づいたらしいレレイシャが、おどけるように言った。

 自ら髪をかき上げ、真っ白なうなじをさらし、俺が噛みつきやすいようにと首を傾げて、差し出した。


 これが吸血鬼の本能というものか――うなじにむしゃぶりつきたくなる衝動を、俺は自制して笑う。


「バカを申せ。おまえの血では腹の足しにならんわ」

「あら、残念」


 レレイシャもいたずらっ子のようにほくそ笑んだ。


 魔術人形サーヴァントたる彼女の全身に流れているのは、人の血に似て非なる、魔術で精製した霊液エーテルだ。

 肉食動物が野菜を消化できないように、ヴァンパイアの俺がそれを吸っても飢えは癒えない。


「真面目な話、お食事の用意ができておりますわ、我が君」

「ほう。さすが周到なことだな」

「予定では、そろそろお目覚めの頃合いでしたので。さ、こちらに」


 俺はレレイシャの案内で、棺の間の外へと出た。

 およそ三百年ぶりに。


    ◇◆◇◆◇


 吸血鬼の真祖トゥルーブラッドに転生するためには、途方もない歳月がかかる。

 ゆえにその間、俺が安心して眠りにつくための、揺り籠が必要となる。


 よって生前、統一王だった俺はこの地に、密かに城を用意した。

 大陸の西端で発見した、地下の大空洞。

 そこでまず大量の建設用ゴーレムを派遣し、小城を建築させたのだ。


 しかし……当時は殺風景だったはずの城内が、目覚めてみれば、豪華絢爛な調度品の数々で彩られている。

 目が痛くなる極彩色の絨毯。

 頭が痛くなる奇怪な意匠の石像。

 股間が痛くなる煽情的な裸婦画。

 まさかレレイシャの趣味なのだろうか……?


「我が君の新たな城に相応しい、豪奢な内装にさせていただきました」

「お、おう」


 この三百年の間に、せっせとそろえたらしい。

 その様を想像すると、ちょっと面白い。


「それではこちらで、しばしお待ちくださいませ」


 レレイシャが恭しく一礼し、一旦辞す。


 俺は貴賓室と呼んでも差し支えのない、華美絢爛な談話室サロンで、ソファに腰かけて悠揚と待つ。

 しかしクッションの効いた、素晴らしく座り心地のよいソファである。

 三百年前、統一王たる俺の城にもなかったほどの逸品だ。


 あるいはこれが、「現代」の通常品なのかもしれないな。

 三百年も経てば、文明もそれなりに進んでいるだろう。

 いや……俺が人として生きた時代は、地獄のような終わりなき戦乱の世であった。ほぼ全ての文明、技術、叡智、情熱は、戦に勝つことばかりに注がれていた。

 自然、娯楽品、嗜好品、芸術品の類は軽視された。そこに目を向ける余力はなかった。


 してみると、「すわり心地の良い椅子」というものが生まれてくる余力が、今の時代にはあるのかもしれない。

 俺の目には奇怪に映るこの石像群や、常識を疑う煽情的な裸婦画も、それだけ文化が成熟した証なのかもしれない。


 うん、いいではないか!

 それでこそ俺とアルが、何もかもを犠牲にしてまで、戦乱の世を終わらせた意義がある。


「――そう思えば、このタコとイカがからみ合っているようにしか見えぬオブジェも、好ましく思えてくるな。うん、なかなかに味があるではないか」

「ふふ、我が君のお気に召したようで何よりですわ。こちらのお食事の方もご満足いただければ、よいのですけれど」


 戻ってきたレレイシャが、俺の独り言をひろって言った。

 目を向ければ、年端もいかぬ少女を連れてきている。


 おどおどとレレイシャの影に隠れるその娘を、俺は観察した。

 将来は美人になるだろうことを嘱望させる、可憐な少女だ。

 歳は十かそこらか。

 短く刈りそろえた黒髪。

 よく日に焼けた肌は、いかにも純朴そうな物腰と相まって、どこかの村娘だろうことを教えてくれる。磨けば、将来は透き通るように白い肌となるだろうがな。

 侍女のお仕着せを「がんばって着ました!」みたいな、なんとも可愛らしいメイドさんだ。



 

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