第一話  最強の魔術師、吸血鬼の王に転生す

 夢すら見ない、永い眠りだった。

 俺は確かに一度死んだのだと、そう理解させられるような。

 しかし、俺は転生に成功した。

 人の身を捨て、吸血鬼の真祖トゥルーブラッドとして蘇った。

 ゆえに、死にも似た永き眠りから、目覚めることができた。


 棺桶の中に横たわっていた俺は、重い音を立てて蓋を開ける。

 ゆっくりと上体を起こし、手を開いたりにぎったりして、調子を確かめる。


 ヴァンパイアとなった今、俺の身体能力は、生前とは比べ物にならないはずだ。

 常人を遥かに凌駕しているはずだ。

 ゆえに、身体感覚の落差なりなんなりを感じるかと想像していたが、今のところ違和感ゼロ。


 いや――生前にはあり得なかった感覚があるな。

 例えば、この視覚だ。

 棺桶の中から蘇った俺は、灯り一つない密室にいた。

 にもかかわらず、俺の目は部屋の中の様相をありありと捉えている。

 どれだけ階梯の高い魔術師であろうと、生身で闇を見通すことはできない。

 それが、ヴァンパイアに生まれ変わった俺は、完全な暗視能力を体得していた。


 またこの棺の間は、床は石畳で、壁も切り出した石を積んで造った、殺風景な部屋だ。

 明かりとりの窓もなく、温度は低く湿度は高い。

 人の身であれば、肌寒さに震えただろう。

 しかし、今の俺はこの環境を心地よく感じていた。


「面白い。他にも試してみるか」


 俺は立ち上がって、棺桶を抜け出る。

 そして、たわむれに天井へ向けて、垂直跳びをしてみる。


「ほう!」


 五メートルはあろう高い天井に、楽々タッチできた。

 というか手をつかなったら、頭をぶつけてしまうところだった。

 助走もなく、その場でただジャンプするだけで、この跳躍力。

 常人を凌駕する、ヴァンパイアの身体能力の証左である。


 俺はこの新たな肉体のポテンシャルを、徹底的に確かめることにした。

 広いはずの棺の間を所狭しと、飛んだり跳ねたり、あるいは虚空に向かって拳や蹴りを打ち放ったりと、一つ一つその身体能力をテストする。

 ははは! ただ体を動かすだけのことのが、こんなにも面白いとはな。童心に帰るとはまさにこのことだ。


 たわむれに、堅牢な石壁を殴りつける。

 その威力で壁の一部が爆散するほどだった。

 にもかかわらず、俺の拳にはかすり傷一つついていない。

 そして、重く大きな打撃音が鳴り響いた。


 それが呼び水となったのだろう。

 しばらくして、部屋の外から足音がやってくるのが聞こえる。

 分厚い黒檀製扉の向こうの、その小さな音を、ヴァンパイアの聴力はしかと捉えたのだ。

 

 その出入り口の大扉が、恭しくノックされた。


「入れ」


 俺は鷹揚に命じる。


 すると蝶番ちょうつがいを軋ませながら、大扉が丁重に押し開かれる。


 姿を見せたのは、美女だった。


 宝石のように艶のある蒼髪。

 楚々たるデザインの純白のドレス。しかしそれでいて、肩や胸元周りは大胆に露出しており、彼女の乳房の形のよさを引き立たせている。

 そして、大人びた表情を湛えるその容色は、完璧なまでに整っていた。

 まさに「人ならざる美貌」というやつだが、それも当然。

 彼女は俺が手ずから造り上げた、魔術人形サーヴァントなのだ。


「お目覚めの気配を察知し、御前に罷り越しました。このレレイシャ、我が君のご転生を心よりお慶び申し上げます」

「大儀」


 ひざまずいた彼女――レレイシャに、俺は重ねてねぎらいの言葉をかける。


「我が棺を守る永の任、真にご苦労だった」

「ありがたきお言葉。ですが――」


 口調も態度も畏まっていたレレイシャが、そこで「ふふっ」と微笑むとともに砕けさせ、


「――陛下の可愛い寝顔を毎日眺めることができて、役得でございましたわ」

「ははっ、おどけるな! 相変わらず、口の減らん奴だな」

「そのように私をお造りになられたのは、あなた様ですもの。造物主わがきみ?」

「これは一本とられた!」


 他愛のない談笑を楽しむ。

 この心地に、今の俺は飢えていた。ひどくを覚えていた。

 どうにも不思議な感覚である。

 俺が人としての生を終え、吸血鬼として転生するまでずっと、夢も見ないまどろみの中にいた。ゆえにアルに刺されたあの記憶が、つい先ほどのことにも、遠い昔のことにも思えるのだ。


「俺が死んで、どれくらいが経った、レレイシャ?」

「ぴたり十万日でございますわ、我が君」

「この俺といえど、さすがに多少の誤差は出るかと思ったが、一日もずれず、か」

「お健やかなるご転生、真におめでとうございます」


 レレイシャがまるで我がことのように、喜色を浮かべた。


 十万日――あれからおよそ二百七十四年の歳月が、経過したわけだ。

 実感はほとんどないがな。


 俺が転生するのに、それだけ途方もない時間かけ、大儀式としたのには理由がある。

 同じ吸血鬼に転生するのにも、劣等種レッサー通常種ノーマルに生まれ変わるのなど、論外。

 貴族種ノーブル王侯種ロードでもつまらん。

 永劫の寿命と全き不死性を持つ吸血鬼の真祖トゥルーブラッドにならねば、魔術の階梯の果ての果てまで登り詰めることなど、到底望めぬ。

 そして、真祖として生まれ変わるためには長い年月をかけて、天地にあまねく霊力を集積し、新たな肉体を構築する必要があったというわけだ。


「しかし、十万日か……。レレイシャよ、それだけの歳月、よくぞ俺の眠りを守り通してくれた。褒美をやろう。なんなりと言うがよい」

「あら? なんでもよろしいのですか?」

「カイ=レキウスに二言を言わせるか?」

「失礼をいたしました。それでは、御言葉に甘えて頂戴いたしますわ」


 レレイシャはそう言うなり、大胆な行動に出た。

 いきなり、跳びつくような勢いで俺に抱きついてきたのだ。

 幼子がしがみつくような必死さで、抱き締めてきたのだ。

 そして震える声で――嗚咽を押し殺した声で訴えた。


「我が君のお目覚めを、ずっと、ずっと一日千秋の想いで待ちわびておりましたわ……!」


 俺の体を、痛いくらいに抱き締めてくる、レレイシャ。

 震えの収まらない、彼女の華奢な肩。


「すまん。許せ」


 俺も彼女を抱き締めてやった。

 するとようやく、レレイシャの震えが止まる。

 とろけるように体重を預けてくる。


 人と寸分変わらぬ、柔らかくて温かい、レレイシャの肢体。抱き心地。

 ヴァンパイアとなっても、その快さをちゃんと感じることができる自分に、俺もまた深い安堵と満足を覚えた。

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