二人だけの仮の家族 4
「何をするんだ」
俺は石を投げた者に声を飛ばす。若い、面識のない男だった。
「この先の学校の教師、後ろにいる女のことだよな。クランクハイトに罹患していないのに、この隔離街第一区にいる」
「私?」
エリスが声を漏らす。
「そうだ。健常者が俺らのような罹患者を憐れんで教師の真似事とは、目障りだ」
どうして、この男はエリスがクランクハイトに罹患していないことを知っている?
どこでエリスのことを聞きつけたのだろう。
男の目には、エリスに対してあからさまな敵意があった。 自らと違う者を拒絶するときの目。
「彼女は、石を投げられるようなことはしていないが」
俺は声を低くする。
「しているさ。その娘の仲間は、壁の向こうで俺達に石を投げつけた。呪術遣いなどと呼び、差別してごみ箱に放るように壁の内側に押し込んだ。その恨み、お前も忘れていないだろう」
俺も石を投げられたから、この男の言わんとしていることはわかる。
まして、多くの人たちが貧困にあえいでいる状況だ。鬱憤や不満が、健常者であるエリスに向けられるのも無理はない。この男の言うとおり、エリスは自分たちをこの状況に追いやった、防疫壁の外の人達と同じなのだから。
だが俺には、この男の無礼が許せなかった。
「彼女は俺達を差別したり石を投げたりしない。もし許せないのなら、一緒にいる俺も同類だ。話があるなら、俺が聞くが」
俺はこっそりと、腰の刀に手を添える。しつこく攻撃するべきではないと思ったのかもしれない。男は舌打ちをすると、こちらに背を向けて走り出した。
「何だよ、あいつ」
俺は刀から手を放し、男の背を見送る。
防疫壁内部にも、クランクハイトに罹患者していない健常者は少数だがいる。 もちろん、彼らは無用なトラブルを避けるため、同じ罹患者のふりをするのが普通だ。エリスも、健常者であることは街の人達には伏せて暮らしていた。
どこか街の噂話で、エリスが健常者であることが知られたか。
だがそれよりも。
「大丈夫だよな、エリス」
俺はエリスのほうを振り返る。
「大丈夫だけど……使ってないよね、あれ」
「使ってなんかいない。ただの石だ」
投げられた石の速さなど、銃弾の何十分の一だ。クランクハイトの能力を使うほどではない。
「そう、よかった。ナオト、手を見せて」
俺は言われるまま、石を受け止めた手を出す。
「血も出てない。でも、痛かったよね。ごめんね、私なんかのために」
エリスは照れ笑いを浮かべながら謝ってくる。
「怒ってないのか、あんな一方的に石を投げられて」
「あれくらい何ともないよ。行きましょう。あと、あまり深刻な顔はしないの。子供達の前で怖い顔されたら困るわ」
「あ、ああ」
数分歩いたところで、こぢんまりとした三角屋根が特徴的な建物が見えてくる。孤児院も兼ねた学校。校門の脇には、ハナミズキ。三年前に植えられて、高さはまだ俺の背丈くらいだが、白い花が満開に咲き誇っている。
「さて到着。今日もよろしく」
「ああ」
エリスと俺は学校の門を通り抜けると、そのまま三角屋根の建物の中に入っていく。廊下を歩いていると、教室から子供達のざわついた声が聞こえてきた。教室のドアがわずかに開いているから、なおのこと声がよく聞こえてくる。
今日もみんなは元気そうだ。俺はどことなく落ち着く。
ここに集められている子供達は、クランクハイトの罹患者として親や友達と永久に隔離された過去を持つのに。
だが俺は、教室のドアの上部に、黒板消しが挟まっているのを見た。
典型的な子供のイタズラ……
「おいエリス、危な……」
俺はエリスに警告しようとするが、すでに彼女はドアノブに手を掛けていた。思いっきり開け、黒板消しがエリスの頭に落ちる。
俺の背筋に冷たいものが走ったが、エリスは軽やかに黒板消しを受け止めた。
「みんな、おはよう!」
教室にエリスの声が響き渡る。おしゃべりに興じていた子供達も、一気に静まり返った。
「昨日の日直はロイくんだったかな、日付が書き変わってないわよ。意外と抜けたところがあるのね。ちょうど黒板消しがあって便利だわ」
エリスは受け止めた黒板消しで、黒板の昨日の日付を消そうとする。だが、そのとき、
「待って待って、私がやるから」
とっさに立ち上がって近づいてきた子供の手が、エリスの手を止めた。
「ミア、いいの?」
秋の木の実みたいな栗色の瞳と髪の、この教室で最年長の子だ。ミアはエリスの手から黒板消しを取った。
「もちろん、生徒の仕事だから。にしてもすごかったー。あれ受け止めるなんて」
エリスは、きょとんとした。
「ひょっとしてさっきの、ミアがやったの?」
ミアが字を消しながら、悪びれもない笑顔を浮かべた。
「うん」
――なんてことをするんだ。
「もー、このいたずらっ子め」
エリスはわしゃわしゃとミアの髪を撫でまわす。
「ごめんなさいごめんなさいやめてー、日付書かせてー」
ミアは甘えた声を出した。「いいぞー、もっとやれー」「イタズラしたバツだー」と他の子供達も囃し立てる。
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