二人だけの仮の家族 2
「うん、何も」
エリスは、クランクハイトの罹患者ではない。四年前に防疫壁の内側に入った彼女だが、今まで一度も火や氷を操ったりすることはなかった。
考え事にふけってぼんやりする。
そんなとき、いきなりエリスが俺の頬をつねってきた。
「お、おひ……?」
変な声が出てしまう。
「ナオト君、キミはマジメだねぇ」
ふふ、とエリスは笑みをこぼす。
「キミにあんまり深刻な顔は似合わないよ。早く帰っているといっても、最近は疲れたりしてない? とりあえず今日は早く寝てね」
俺はエリスの手を振り払った。
「子供扱いするなよ」
「実際子供でしょ、少なくとも私よりは」
これ見よがしにエリスは胸をそらしてくる。
「はいはいそうですか。確かにそうですねー」
俺は適当な返事を返す。
俺とエリスは、そのままオムライスを食べ終えた。
「ごちそうさま。洗い物は任せて」
エリスが空の二枚の皿を持ち上げた。キッチンに向かおうとしたが、すぐに足を止める。
「そうだ。今日はちょっとナオトにお願いがあるの」
「何?」
「明日研究所はお休みだよね。なら学校に来てくれない?」
「突然の授業参観だな」
「いいでしょー? 来なかったら怒るよ」
「断ったら?」
「実はもう、子供達にはナオトが来ることを伝えているの。楽しみにしているよ。もし明日来てくれないってなったら、どれだけ失望するかしらね。家に押しかけてブーブー言ったりして」
強引なことをする。子供達を巻き込むなんて。
「しょうがないな、行けばいいんだろう」
「やった」
エリスは拳を上げる。
「じゃあ明日、私と一緒に行こうか。あとナオト、授業参観って言ったけどちょっと違うよ。お願いするのは体育の臨時講師」
エリスは、リビングの奥に目を向けた。視線につられて、俺は棚の上に飾られている、黒い鞘に収まった刀を見る。ここらでは珍しい、東方風情の漂うもの。
「あれ持って行かないとだめか?」
「子供達が楽しみにしてるんだから。ナオトが刀を振るの、また見たいって言ってるよ」
俺は視線をエリスに戻して、軽く笑みを浮かべた。
「愛刀の出番だな。今夜は手入れしないと」
「うん、そうして。じゃあごゆっくり」
エリスは、そのまま皿を持って行った。俺はテーブルから立ち上がり、棚のほうへと向かう。そして棚の上の刀を手に取った。鞘から刀を抜く。
白色に輝く刀身、緩やかな反り。四年前、防疫壁の外にいた頃の内戦で、死地を共に生き抜いた。
レヴォルツィオンの戦火の中、父が殺される間際にナオトに託したものだ。子供の頃は自分の背丈ほどの長さがあり、ずしりと重かったが、成長した今ではすっかりと手になじんでいる。
「また世話になるぜ」
ナオトはそう言って、刀を持ったままソファーに腰掛けた。柔らかい布で刀身を拭っていく。
入念に手入れをしているから、エリスのほうがさっさと皿を洗い終えてしまった。エリスは濡れた手を拭うと、リビングに戻ってきて、俺の隣に腰掛けた。刀を眺める。
「こんなの見ていて嫌になったりしないのか?」
俺はちょっとばかり心配して、エリスに問いかけた。
「どうして? どういうこと? ここらじゃ見かけないし、かっこいいよ」
エリスは陽気に振舞っているが、固く手を握っている。
「だってこれ、俺が四年前に……」
「私なら大丈夫だわ。怖いとしたら、ナオトがまた四年前みたいに戦場でこれを振ること、くらいかな」
俺の手元の刀は、何か所か刃が欠けている。飛んでいる金属の銃弾を斬り落した跡だ。背中に傷跡を持つ俺と、ちょっとだけ似ていた。レヴォルツィオンを生き抜いたという証。
「あんな無茶、しないよね」
エリスが、俺の腕を掴んでくる。さっきまで自分が年上だと意地を張っていたのに、急に頼りなくなった。
「しないよ、もう。クランクハイトがもたらす痛みなんて、こりごりだ」
確信の持てないことを、俺は口にした。
四年前、クランクハイトの能力に目覚めた俺の目には、周囲の人やものが動きを止めていた。いや、厳密には、動きが極端にゆっくりと見えるようになった。時間が引き延ばされた、といってもいいだろう。レヴォルツィオンの構成員が機関銃を発砲したが、放たれた銃弾は空中を人が歩くほどの速さで飛んでいて、俺はそれらの銃弾をすべて空中で斬り落とした。
もちろん、敵も機関銃を構えたまま動きを止めていた。刀を振り下ろすと、機関銃の銃身はあっけなく両断された。
あの男達を殺すことだって、簡単にできた。
殺さなかったのは、エリスの前で殺人を犯すのが、子供心にも恐ろしかったからだ。
だがすぐに、俺はクランクハイトの代償を払わされた。
クランクハイトのために、俺は人の目で追えないほどの動きが可能となったが、その分、体への負担はすさまじい。あのとき俺は全身が急に痛み、敵のすぐ目の前で倒れ込んだ。
体のいたるところで肉離れを起こし、手足の骨にひびが入っていたことが、壁の内側に入ってからわかった。
――小さい、未発達だった体は、クランクハイトの代償にあっけなく壊された。
もしまた戦うことがあって、クランクハイトの能力を使う必要に迫られたとき、俺はこの代償を常に意識しなければならないのだ。
四年前のような内戦は、今は起きていない。防疫壁の内側に入って四年、平穏な日々は一応、続いている。だが壁の内側では、貧困や食料不足にさいなまれすぎた。クランクハイトの罹患者達は、共和国への不満を溜め込んでいる。自分たちを壁の内側に閉じ込め、支援の手を差し伸べず、弱り果てて餓死するのを待つだけの共和国。自分達がいつまでも静かに穏やかに暮らしていけるとは、とても思えなかった。
「エリスも、もしものことがあったらちゃんと逃げる。わかっているだろうな」
エリスは、すぐにはうなずかなかった。
青色の瞳がどこか冷たい。いつもの明るくて勝気な彼女とは少し違う。何を言っても拒絶するような雰囲気……。
「……どうかしたのか?」
エリスの青色の瞳の焦点がこちらに合った。
「ごめん、考え事。ぼんやりしていた」
エリスがてへへと笑ってみせた。
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