壁の向こうへ 2
機関銃の銃声が響いた。
殺された、と私は思った。
だが、私は立ったままだった。一斉に撃たれたはずなのに、体には一発の銃弾も当たっていない。彼らはわざと外したのか?
異変はもう一つ。私の背後にいたはずのナオトが、今は私の目の前にいて、刀を抜いていたこと。 振り抜いた後のようで、その刀の切っ先は煙にまみれた空を向いている。この一瞬で、この子は何をした?
「至近距離だぞ、ちゃんと狙え」
レヴォルツィオンの構成員の一人がわめき、もう一度機関銃を構えた。五丁の機関銃が再び火を噴く。
だがその銃弾も、私には当たらなかった。
そして私の目の前にいるナオトが、いつの間にか刀を振り下ろしていた。
そんな動作、目で追いかけることもできなかったのに。
私は後ずさりして、何かを踏んだ。地面に転がっているのは黄金色に鈍く輝く、 二つに両断された、銃弾。それも無数にある。何に断ち切られたのかは、ナオトが持っているものを見れば明確だ。
刀で銃弾を空中で斬り落とした。子供には長く、重い刀で。
目では追いかけきれない速さで。
――まさかナオトが、クランクハイトに?
ナオトが、目の前から姿を消した。
どこに、と私が彼の姿を探そうとした刹那。
「な、何が起こった!」
目の前の五人の男達が戸惑ってわめいた。
見ると、彼らの手元にある機関銃の銃身がすべて両断されていた。
途中で断ち切られた砲身が、地面に転がって重たい音を立てる。
ナオトは、私から見て一番右の男のそばにいた。刀の間合いの中だ。男を斬ろうと思えば斬れる距離。
「お前……」
ナオトが肘をその男の鳩尾に当てていた。男は両断された機関銃を放り投げ、膝を地面について倒れる。
ナオトは、優しい。
殺そうと思えばできたのに、ナオトは殺さなかった。
殺さなければ、自分や私が殺されるのに。
「こいつ、いつの間に……!」
「さっきまで娘のそばにいたはずだぞ」
レヴォルツィオンの男達の間に動揺が広がっていく。
「ひるむな!」
中央の男が機関銃を放り投げた。何かするつもりだ。
「危ない」
私が警告を発したとき、中央の男は手をかざした。周囲の気温が一気に下がり、私は不吉な寒さに身を震わせた。
男の手の近くの空中に、白色の物体が現れる。氷でできた、鋭い刃物だった。男が物を投げる要領で手を振ると、氷の刃物はナオトに向かって飛んでいく。
だが、ナオトはその場から消えていた。
氷の刃物が空中で砕ける。
ナオトは、氷の刃物を放った男の背後にいた。男の足を蹴り払うと、虚を突かれた男はあっけなく煉瓦で舗装された路上に倒れた。
「追いついたぞ、お前」
背後から声が聞こえて、私は我に返った。振り返ると、さっき私とナオトを焼き殺そうと炎を放ってきた男がいた。すでに手をかざしている。手が光を帯び始めた。
――しまった。
この距離からだと、この男の炎を避けることはできない。焼かれる。
だが次の瞬間には、ナオトが炎を放たんとする男の前に現れていた。すでに刀の柄頭を男の鳩尾に食い込ませている。男は腰を曲げ、地面に倒れる。
そして、ナオトは地面に片膝をついた。
力を使い果たしたかのように。
「ナオト、どうしたの!」
私は叫ぶ。
ナオトは立ち直ろうと上を向くが、足は彼の体を支えることができなかった。そのまま地面に倒れ込む。
私はナオトの元へと走る。彼は敵の男のすぐ真横にいて、危ない。
さらなる異変は、そのときに起きた。
「うぐ……、な、何だ?」
炎を放っていた男が、倒れたまま自らの右手を見つめた。さっきまで異常はなかったその右手が、赤黒く腫れていた。
炎の中に突っ込んだように。
男はその右手から炎を放ったのであって、触れたわけでもないのに。
だがその男は、火傷していない左手でベルトからナイフを引き抜いた。自分の身に起きた異変よりも、すぐ近くの小さな敵を排除するのが重要とばかりに。
「こ、この、化け物が……!」
男はナオトの背中にナイフを振り下ろす。背中を裂かれて、ナオトが痛みに叫ぶ。
――私の目の前で。
男がもう一度ナイフを振り上げたとき、私はナオトを抱えた。男のそばから引きずり離していく。
「ナオト」
私は呼びかけるが、ナオトは荒い呼吸を繰り返すだけだ。背中の傷から血の染みが服に広がっていく。
迂闊だった。私がもっと気をつけていれば。
だがここにいるわけにはいかない。私はナオトの刀を持ち上げた。子供の私にはあまりにも重たい。私より背の低いナオトは、こんなものを振っていたのか。
私は何とか刀をナオトの腰の鞘にしまうと、彼の体を抱え上げた。
「逃げるよ」
「逃すか」
右手を火傷した男が、横になったままこちらに左手を向けていた。男の手元が輝き始める。そして炎が広がり、私に迫ってくる。
私達を焼こうとした炎は、しかし突如として現れた大量の水に阻まれた。水蒸気が発生し、視界が真っ白になる。
「うあっ! これはあいつの」
「なぜ邪魔をする!」
どう考えても、クランクハイトの能力。誰かが、大量の水を生み出して、あの男の炎を防いだのだ。
誰がどんな理由でこんなことをしたのかはわからない。
だが、逃げやすくなった。いい目くらましだ。
私はナオトを抱えたまま走った。
水蒸気を抜ける。私は背後を警戒していたが、レヴォルツィオンの構成員達は追いかけてこなかった。
走るほど、ナオトの体が重たく感じてくる。彼の黒髪から漂うひなたの香りに、血のにおいが混じってきた。血が、私の手の平を濡らしていく。
「あと少し、もうちょっとでお医者さんのところだから、ナオト」
自分も息が苦しい中で、私はナオトを励ます。
私は通りの角を曲がった。かつては家だった瓦礫の山をかわし、いまだに燃えている何かの木材をまたぎ、殺されて放置された人達の脇を駆け抜けていく。何度か、共和国の灰色の軍服をまとった、機関銃を携えた兵ともすれ違った。街からレヴォルツィオンの構成員を一掃しようとしている。
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