瞬速の刀遣いと壁の向こうの呪術遣い
雄哉
壁の向こうへ 1
市街戦にさらされ燃える家々。私は煤汚れた金色の髪を揺らしながら走っていた。握っているのは、一つ年下の男の子、ナオト・アオイの小さい手。彼の髪と瞳は東方の国出身らしい黒色で、他の街の子達とは違う雰囲気を醸し出している。
一年前、このローレンツの街で暮らし始めた私の、最初の友達だ。幼馴染のように気さくに話しかけてきて、よく街を一緒にめぐり、時には、父親から仕入れたらしい遠い東の国の文化や風習について教えてくれた。
私は硝煙のにおいが立ち込める街を逃げていく。この友達を安全な場所に連れていかないといけない。
私の母親も、ナオトの父親もついさっき殺された。ナオトはまだ、泣き腫らし、頬を涙で濡らしている。だがこの子を守らなければならない私には、泣いている暇がない。
でも、もう、走り続けて呼吸が苦しかった。
ナオトも息を荒くしている。だがナオトは左手で腰の刀――長さは彼の背丈ほどもある――の鞘を握り、親指を鍔にかけていた。泣きながらも、いつでも抜いて戦えるように。
通りの角を曲がったところで、私は足を止めた。
「ナオト、止まって」
「どうしたの? エリス」
ナオトが左手を刀から放し、その手の甲で涙を拭った。
「あの人……」
私は通りの中央に立つ一人の男を見ていた。街の人達が一目散にあの男から逃げている。おかしい。
男は逃げゆく人たちに向かって片手をかざした。一見すると無意味で不可解な動作だが、かざされた男の手が光を帯び始めた。
そしてその手から、炎を放った。
炎は街の通りを走る人達を飲み込み、人々の悲鳴が響いた。
戦いに無関係な民間人を殺して、男は不気味な笑い声を上げている。
「あいつ、面白がってる」
ナオトが恨み言を吐く。
――クランクハイトの罹患者。
十年前に発見された疫病、もとい特殊な力によって、人々から恐れられ、差別されて、隔離された者達。
男は炎を放ち、力を振るい続けていた。
「あれがレヴォルツィオンの……」
私は、その名を口にする。レヴォルツィオン、クランクハイト罹患者によって構成された、『革命』を標榜し、抑圧による鬱憤を晴らすために街を破壊していくテロリスト。
「ナオト、こっちに来て。あの男から逃げるよ」
「街の人を見捨てるの?」
ナオトが声を上げる。
男がその声に反応し、急に振り返ってきた。私達と目が合う。
男が目を見開いて、そして白い歯を見せた。笑みの裏に敵意と、殺気を感じる。
かちっ、と私のすぐ近くで金属音が響いた。見ると、ナオトが腰の刀に手を添え、鯉口を切っていた。黒い瞳を男に向けている。
「やるのか? 坊や。小さい体には不釣り合いな刀だな」
男の声に、ナオトの手が震え始める。怯えるのは、当然。この子はまだ十二歳だ。背だって、私の目元くらい。戦うには幼い。
「だめよ」
私はナオトの手を掴み、男に背を向けて走り出した。通りの脇のレストランに一緒に飛び込む。
私とナオトの背後を炎がよぎった。私はナオトを抱きかかえて、熱風から彼を守る。火の粉が頬に当たって熱い。
「袋小路だぞ、嬢ちゃん」
外から男の声が聞こえた。こちらに近づいてきている。
私はナオトの手を引いて、破壊されたテーブルや椅子をかわしながら奥へと向かった。荒らされ、割れた皿が散乱する厨房に入る。
その奥に、窓ガラスがあった。私はとっさにナオトを背負い上げる。
「何をするの?」
「つべこべ言わないで私にしっかり掴まっていて」
私はその窓に向かって駆けていく。「見つけたぞ」という甘ったるい男の声が、背後から響いた。
私は窓ガラスに体をぶつけた。ガラスが割れ、私は外に飛び出して、勢い余ってナオトともども煉瓦敷きの地面に転がる。私は立ち上がり、ナオトに手を伸ばした。
「ごめんナオト、擦りむいた?」
「いいや」
ナオトが私の手を掴む。
直後、背後の窓の中から不穏な気配を感じた。私はナオトの頭を押さえ、地に伏せる。
窓から火と煙が吐き出された。男がレストランの中に炎を放ったのだ。
「またあの男が来る」
攻撃がやんだところで、私はナオトを立たせる。子供の私達にすら、しつこく炎を放ってくる男だ。私達が焼け死んでいないとわかれば、また追いかけてくる。
とにかく距離をとらないと……
焦るまま、私はナオトの手を引き、通りを走る。交差点にさしかかり、何も考えないまま右に曲がる。
その先にいたのは、他の男の群れだった。五人ほど。さっきの男と同じ、所々がほつれた粗末な黒色の服を着ている。レヴォルツィオンの構成員だ。
彼らが手に持っているのは機関銃だった。私は、あの機関銃を見たことがある。共和国の軍人が持っているのと同じものだ。そこらの者がたやすく手に入れられる代物ではなく、ましてテロリストが持っているはずがない。
――どうして、彼らがあんなものを?
戸惑っている間にも、男たちは私とナオトに気づいた。彼らの視線が、こちらに集まってくる。
「怯える子猫二匹、見つけたぞ」
彼らのうちの一人が、醜い笑みを浮かべた。私の全身が硬く凍りついていく。視界が涙でぼやけた。
――失敗した。
目の前には機関銃を持った男達、背後には炎を操る男。命乞いが通じる相手ではない。私もナオトも確実に殺される。ついさっき殺された、私の母とナオトの父のように。
もう、ここまでだ。
――クランクハイトの罹患者を、人間扱いしてはいけない。
一年も会っていない兄の声が、ふと頭の中に響く。目の前にいるのは、文字どおりの化け物。兄の言葉は本当だった。彼らは危険な力をふるって、享楽的に人を殺める。
ふと、怒りが込み上がった。
――母さんやナオトの父さんだけでなく、私達まで殺そうとする。
――私もナオトも、何もしていないのに……!
私はナオトから手を放した。両手を広げて、ナオトの前に立ち塞がり、盾になる。無駄だとわかった上での、せめてもの抵抗。
体中の傷が熱を帯びてくる。
――私やナオトの仇は、きっと兄さんがとってくれる。
私は涙を散らし、怒りに任せて叫んだ。
「この、呪術遣いが!」
男達が機関銃を向けてくる。五丁の暗い銃口が私を捉えた。背後にナオトがいるから、逃げることはしない。男達がトリガーに指をかけ、引く。
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