第35話 リリンの消滅

「はっ……はっ……」


 慄いたような顔をして、先ほどよりも傷の深いリリンがガリウスの中から外へと。

 

「…………?」

 

 逃げ出した筈の悪魔が再び顕現したと言う事実に、カレンは一瞬の戸惑いを見せるが直ぐに持ち直す。

 リリンは未だに動けない。

 一体全体何があったと言うのか。


「いや」


 考えたところで意味がない。


「どうでもいい」


 答えがわかる者がこの場にいても、答えを吐く理由にはならないのだから。

 

「ここで終わらせる」

 

 リリンは虫の息だ。

 次の一撃でリリンを終わらせる。

 斬殺に程遠く、だが撲殺は可能。悪魔と言えど生命ならばダメージの許容制限が存在する。謂わば、デッドラインと呼ばれるものだ。

 今、求められるのは必殺の一撃。

 決定力が必要なのだとしたら。

 思い浮かぶのは1つの選択肢。

 

「外さない」

 

 木剣を両手で握り肩の高さ程に、左足を前に出して構えを取る。

 ガリウスとの戦いで見せた最速最大の攻撃手段。これが今のカレンの放つことのできる最大の一撃。

 

「すーっ……」

 

 息を深く吸い込んで、1秒にも満たない高速運動へ。ゼロコンマ数秒の世界に彼女はいる。踏み込みは力強く、より疾く。教室の中で発生した一際大きな音にリリンが気がつくが余りにも遅い。


「は、やっ……!」


 剣を握る右腕は振り下ろしの動作に入り始めている。

 

「破ァアアアアッッッ!!!」

 

 リリンの脳天に木剣が食い込む。


「あ」


 ミシリと音が教室に響く。

 木剣の音か、それともリリンの骨が砕ける音か。


「がっ」


 否。

 どちらもだ。


 メキメキメキメキィィッッッ!!


 グロテスクにリリンの頭部が陥没する。両目が飛び出して血が噴き出る。脳はぐちゃぐちゃにつぶれてしまっている筈だ。

 

「ぎゅ、え……ぎぃっ」

 

 木剣が砕け散りカレンの手元に残るのは持ち手の部分のみとなる。


「まっ、だぁ!」


 目の前の女は人間ではない。

 悪魔だ。

 分かっているからこそカレンは容赦なく命を奪い取る最善の行動を選択する。

 

「ふっ!」

 

 折れた木剣をリリンの胸に突き刺した。

 

「ぐぇっ……、ぺゎ」

 

 思考がない。

 動かない。

 呂律など回るわけもない。

 終わる。

 生命が途絶える。

 

「あ……ぁ、あ」

 

 悪魔は塵のようになって消えていく。

 世界に溶けゆくように。

 彼女は何者でもなくなる。


「ゃ、ぎ……ゃぁ」


 喪失感を覚えながら為す術なく、当然のように死んでいく。

 

「ガリウス!」

 

 リリンの消滅により戦いは終わりを迎えた。カレンは倒れたままのガリウスに駆け寄る。

 

「汗が……」

 

 尋常ではない量の汗をかき、息も浅く、顔は青白い。見ているだけでも苦しさが伝わってくる。どうにかして助けなければ。職員室に連れて行けばもしかすれば。

 

「ディアナ!」

 

 呆然としていたディアナは名前を呼ばれて、カレンに顔を向ける。

 

「ごめん、なさい……」


 ディアナの口から1番初めに謝罪の言葉が出た。他の言葉が見つからなかった。


「今はそんなこといいから!」

 

 カレンは結局無事だ。

 だが、ガリウスの体が不味い。

 

「彼を死なせたら私は一生あなたを恨むわ、ディアナ・ダンメンハイン」

 

 彼女の言葉は本当だろう。

 ディアナは彼女に、想いを寄せる人に嫌われたくないのだ。


「ごめん、なさい」


 ガリウスの身体をゆっくりと優しく持ち上げた。

 カレンに嫌われたくないと言う気持ち以外にも、ガリウスへの感謝もあった。



「魔法科らしい活躍したじゃん」

 

 目を覚まして突然に声をかけられてガリウスは上体をゆっくりと起こした。

 

「あー……?」

 

 寝惚けているからか思考も何も判然としない。

 

「あー」

 

 思い出した。

 オーバーリミットを使って気絶したのだった。それにしてもここはどこか。辺りを見回してマリエルの姿が目に飛び込んだ。

 

「ども、マリエル先生……」

 

 経過は分からないが、こうしてマリエルと話していることからも事態は片付いたと考えてもいいのだろう。

 

「役に立ったでしょ、光魔法」

「ですね」

 

 ガリウスはディアナの身体から悪魔を引き剥がしたことまでは覚えている。

 

「それでここは?」

「医務室……って言っても医務室の先生はもう帰っちゃったんだけどね」

「はあ……」

「まあ、2人ももう帰らせたよ」

 

 いつ目が覚めるか分からないから、とマリエルは説明したらしい。

 

「そうですか」

「とは言ったけど、2人を帰らせて直ぐに光魔法使ったから全然時間経ってないけど」

 

 なるほど、だから窓の外は未だに茜色をしているのか。ガリウスは納得の表情を浮かべる。

 

「それでリリン……でしたっけ?」

「悪魔の事? そうだね、多分今回の件は話を聞く限りリリンだと思うけど」

「まー、無事に終わったと思いますけど」

 

 ただ1つ気になった。

 

「どうなったか聞きました?」

 

 全員無事だが逃げられたと言う可能性も否めない。ウィスパーの例もある。リリンも逃げてしまったのかもしれない。

 

「リリンは消滅したって」

「消滅……」

「悪魔は死体が残らないからね。だからこれ以上の被害は出ないと思うよ〜」

 

 死んだと言う事は誰かが殺したと言う事だ。マリエルではないだろう。彼女がリリンを殺したのなら伝聞のように話す必要がない。

 

「そうだ」

「はい?」

「意識を失っている間に1回だけリリンがガリガリくんの中に入ったらしいけど……」

「へ?」

「誰が対象だったの〜?」

 

 ニヤニヤと揶揄うように笑うマリエルにガリウスは戸惑う。

 

「あの、リリンって快楽とか何とか言ってましたよね?」

「そうだよ」


 当たり前の常識の確認のようなやりとり。


「もぅ、気になるな〜。ガリガリくんの好きな娘」

「……俺、そんな夢見てないんですけど」

 

 そもそも夢の内容をほとんど覚えていないのだから、リリンが入ってきたという感覚がない。

 

「え〜……カレンちゃんになると思ってたのに」

「接点、まだあんまりないですよ……」

「なるほど。つまり接点が多い女の子ね」

「いねーよ」

 

 悲しくなるが現時点で最も接点がある女性となればマリエルだろう。

 

「何で他クラスの教師のマリエル先生との交流が1番多いんでしょうね」

 

 なんとも言い難い気持ちだ。

 別に彼女に対して恋愛的な感情があるわけではない、と思いたい。マリエルのことは嫌いではないが、好きというわけでもない。

 

「へ〜、私との交流が1番多いんだ」

「……何ですか」

「いや、これからもっとちょっかいかけて他の子との交流を減らしてやろうかな〜……と」

「アンタは俺の青春を破壊する気か!」

 

 何が悲しくて同世代の友達と過ごす青春ではなく教師に弄られ続ける学生時代を過ごさねばならないのか。

 こう言うところが苦手なのだ。

 

「はあー……取り敢えず、ありがとうございました」

 

 ガリウスはペコリと頭を下げた。

 

「おお」

 

 突然にマリエルがベッドに座るガリウスの頭を撫でる。

 

「よ〜しよしよし、よ〜し! ありがとうって言えたね! 偉いね!」

「普通にしてくれません?」

 

 頭を撫でられて喜ぶなど子供でもあるまいし。

 

「どういたしましてとかで充分なんで。てかそっちのが良いんで」

「え〜、それじゃつまんない。ガリガリくんの反応が見れないじゃん」

「こ、このっ……!」

 

 怒るに怒れない。

 助けられた手前、怒ってはならないというモラルがガリウスの中にはある。

 

「ふふっ、怒るの? 怒るの?」

「〜っ!」

 

 ガリウスはからかってくるマリエルから視線を逸らした。

 

「もう大丈夫なんで帰りますね!」

 

 ガリウスはベッドから起き上がりさっさと医務室を出ようとする。

 

「え〜、ちょっと待ってよ。医務室の戸締まり頼まれたんだからさ」

 

 ベッド横に座っていたマリエルが立ち上がり急いでガリウスに駆け寄ろうとして体勢を崩す。

 

「わっ……わ!」

 

 彼女も予想外だったのだ。

 ガリウスは咄嗟にマリエルの身体を受け止めた。

 

「やぁ、どうもね」

「あの……分かったんで早く離れてくれません?」

 

 ガリウスの腕に彼女の胸が当たってしまっている。

 

「いや〜、疲れるんだよね。教師ってさ」

「はい、分かったんで。それよりも……」

 

 体勢を変える事なくマリエルは話し始める。ガリウスの腕には女性の中でも大きく綺麗で柔らかな乳房が乗っている。

 

「ガリガリくん、分かるかな?」

「離れろって言ってんでしょうが!」


 医務室に少年の叫びが響いた。

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