第34話 顕現

 

 ガリウスは焦っていた。

 と言うのもディアナがカレンの手を引いて教室に入ったまではいい。問題はその後の行動にあった。

 

 カチャン。

 

 と、鍵が閉まったのだ。

 

「は? いやいや待て待て待て!」

 

 何度か開けてみようとしてみるが本当に鍵を閉められた事が明らかになるばかり。教室の外からわかるのはディアナにカレンが押し倒されている事。

 2人の用事が済んだならその後にでも確かめればいい。

 

「これが……」

 

 ジョージの言う通り悪い予感なのだとして、実際に当たっていると考えたなら状況によってはまずい事になる。

 考えついた悪魔という解。

 マリエルの話と照合すればリリンという存在が鮮明になる。

 

「もし悪魔なら」

 

 待っているのは破滅だと、マリエルは言ったのだ。

 

「失礼します……っ!」

 

 緊急事態、迷う時間が勿体無い。

 これが早とちりだとかという考えはない。ガリウスは一も二もなく扉を力任せに蹴り飛ばす。

 扉が外れた。

 

「悪いな……お取込み中」

 

 ガリウスとしても気が気ではないから。

 息を整えて2人を見遣る。

 乱れた服装のカレンは目に毒だ。元々の目的のディアナは頬を上気させている。

 2人の口には透明な細い橋がかかっている。繋がりを示すように。

 

「ガ……リ、ウス」

 

 カレンが途絶え途絶えに名前を呼ぶ。

 短距離走を走り終えた後のような疲労感の中での発声。

 

「これは合意の上で?」

 

 ガリウスが聞いてもディアナは答えないが、カレンは少しだけ考えるような素振りを見せてから小さく首を横に振る。

 

「……なあ、ディアナさん」

 

 ガリウスが2人きりの空間を壊した。

 理性がほんの少し戻る。夢とは違う環境、この教室にはガリウス・ガスターがいる。

 

「あ」

 

 何をした。

 一体、自分は何をしたのか。

 馬乗りになっている少女に恐る恐る目を向けて湧き上がる劣情に死にたくなる。

 

「ご……めん、なさい」

 

 フラフラとディアナが立ち上がってカレンから離れた。

 犯そうとしたのだ、彼女を。

 欲望に忠実に獣のように。愛を押し付けるがままに。

 

「ごめんなさい」

 

 愚かだ。

 愚かで。

 それでも未だに完全には湧き上がる色情が抑えられない。また、すぐにでもディアナの理性を食い殺す。

 

『ディアナ……2人きりに』

「やめ……ろ」

 

 声は告げる。

 

『2人だけで』

 

 甘美な言葉。

 リリンの声はディアナにだけ響く。

 

『愛を確かめ合えたら、幸せよ』

 

 思い出すな。

 あの夢は。

 あれは下らない妄想だ。

 カレンは、カレンは、カレンは。

 

「カレンは……私を……」

 

 受け入れるはずがないと言うつもりだった。だと言うのに、先程抱きしめられた事を思い出した。

 

「あ、ああ……」

 

 否定が弱まった。

 受け入れてしまった。カレンは彼女の抱擁に応えてしまったのだ。

 

「ディアナさん! 誰と話してる!」

 

 ガリウスが問う。

 明らかな様子の変質にガリウスが気がついた。何かがいる。姿を隠した何かがディアナに語りかけている。

 

「私、は……」

「誰が居るんだ」

「カレン……私は」

「答えろ、ディアナ・ダンメンハイン!」

「君が……求めるなら」

 

 確実に何かがいるのなら、きっと悪魔なのだろう。ならば、これはやるべきことだ。やってみる価値のある事だ。

 

「あー……まあ、やってやるさ。そこに何かが居るのは確かなんだ」

 

 悪態を吐きながらガリウスは右の掌をディアナに向けて突き出す。

 

「俺じゃ完全に戦いで使える物にはならなかったんだよなー。マジで魔法の才能がねーからな……。だけど、コイツがありゃあな」

 

 唱えるは光属性魔法。

 

「祈る、祈る。光の精霊よ。我は大いなる光の精霊の加護を願う。我が祈りに応え給え、与え給え。欲するは清浄の光!」

 

 それは強力とは言い難く、ガリウスが覚えることのできた精一杯の光魔法。

 

「──オーバーリミット」

 

 さらに生命力を魔力へと置き換えて、効果を引き上げる。

 

「ホーリー!」

 

 第2位階光属性魔法ホーリー。

 人体への害は少なく、眩い光を放つ程度の聖なる魔法。本来、ガリウスが行使したところで小さな光を放つ程度の物でしかない。

 だがオーバーリミットにより威力は数段引き上げられる。

 光の柱がディアナを包む。

 

『あ、ああああああああああああああああああああああああああ!!!! 眩しい! 熱い! 熱い! 苦しい!』

 

 ディアナの内側で絶叫が響き、黒色のモヤが吹き出して人の形を象る。現れたのは黒い髪、黒い目の女。衣服を纏っている様子はなく黒のボディペイントのような物が部分的に肌を隠している。

 

「儂を……儂をぉおおおおお! クソガキがああああああ!!!!」

 

 激昂するリリンの身体には少しばかり傷が見える。よほどホーリーが効いたのか。

 

「あ……」

 

 ディアナの視線の先で無抵抗に倒れていくガリウスの姿が見える。オーバーリミットの反動が来たのだ。

 

「何、と……かっ、はっ……はっ……ひゅっ、く」

 

 意識を保てないほどの激痛。強がりの1つも言えない。

 動く事ができない。

 

「小僧! 小僧……そこか、そこに……殺す。貴様は儂が必ず殺す」

 

 未だにリリンは視力も回復していない為に正確な位置を掴めていない。

 

「──はぁあっ!!」

 

 瞬間に動き出したのは自由になったカレンだった。自らの木剣を手にリリンへと飛びかかり1撃を入れる。


 ガンッ!


「がっ、は……!」

 

 背中を力強く叩かれてリリンの口からは大きく息が漏れた。

 敵がいるのなら、迷わなくともいい。

 

「ガリウス、ありがとう」

 

 倒れ込んだガリウスに礼を告げ、カレンは直ぐにリリンに向き直り。

 

「……私がお前を倒す」

 

 真っ直ぐな瞳で宣言した。


 生物には強さと弱さがある。

 例えばライオンのような肉食動物であれば鋭い牙や爪、目の間隔であったりと狩りに適した強みがある。

 そして草食動物もまた肉食動物にはない強みがある。そんな中で自らの身体を隠す術に特化し進化した生物も少なくない。

 リリンは人の夢の中に潜む事が可能な悪魔ではあるが戦闘能力は高くない。完全にないわけではないが低い物であると考えて構わない。

 こうしてリリンが現実に晒された今、為す術もなく殴られ続けるだけなのだ。

 

「ぐ、ふっ……!」

 

 何度目かになる木剣による攻撃。

 リリンの目にはカレンの姿が映らない。追いきれない。攻撃を受けて、初めてどこから攻撃が振るわれたのかが分かる。

 

「こ、の……死……」

 

 リリンは焦る。

 痛みに。

 フラフラと揺れる視界に。

 死んでしまう。

 魔法の詠唱が間に合わない。まだ生きているのはカレンが振るう武器が木剣であるから。だが、木剣であったとしても。リリンという種族が打たれ強い訳がない。強いのであれば夢の中に隠れもしない。

 何より、夢の中であれば光属性魔法以外の攻撃は届くはずもなかったが、引き摺り出されてしまった現状、ただの攻撃も有効なのだ。

 

「小僧! 小僧が……!」

 

 倒れ込んでいるガリウスに恨みがましそうな視線をぶつける。邪魔だったのはあの男だ。あの子供さえいなければ。


 リリンはここではたと気づく。


 さて、あの男は意識を失っているではないか。

 

「……ひ、とまず、は!」

 

 勝ち誇ったような顔でリリンはガリウスの身体に入り込もうとする。眠っているのなら、夢に入り込んでしまえばいい。

 

「な!?」

 

 カレンが振るった木剣はリリンの身体をすり抜けた。まるで煙に剣を振るったように手応えがない。

 

『ははは……もう、儂を甚振いたぶる事はできんぞ』

 

 これで死ぬ事はない。

 安心しきってリリンはガリウスの夢の中に沈んでいく。

 

「ついでに小僧、貴様も壊そう」

 

 夢を見せてやろう。

 溺れたくなるほどの快楽を。

 強烈に印象に残っている女の姿を。

 人は印象強く覚えている女を好いているはずだ。

 確かに多くはその通りだ。好きな人間のことで考えが埋め尽くされる事があるなどと言う程に、愛という物は強い。

 

「ねえ」

 

 女を模り、リリンが夢の中にいるガリウスに語りかける。

 ほら、夢に堕落しろ。寄りかかってしまえ。

 リリンがほくそ笑む。

 

「……気持ち悪い。寄るな、そこから動くな」

 

 酷く冷たい言葉が吐きかけられた。

 

「ど、どうして……!?」

 

 困惑してしまう。

 この男の記憶に強く残っている姿だ。

 

「私だよ? ねぇ、分からないの?」

「……ふざけんなよ」

 

 ガリウスは俯きながら拳を強く握りしめた。

 

「お前が……お前のせいで」


 ゆっくりと歩いてくる。

 空気が重々しい。


「何のつもりで! ふざけんな!」


 叫び、リリンを殴り飛ばす。


「死ね! 死ね!」

 

 馬乗りになってガリウスはリリンを殴り続ける。リリンは夢に干渉できるが、夢からも干渉されてしまう。


「死ね! 死ねよ! クソがァアアアア!!!」


 ならばガリウスの逆鱗に触れ、殴られてダメージを受けるのも当然。

 

「分からないの、だって。………ははは。ハハハハハハ!!! ……知らねーのは、そっちだろうがァアアアア!!!」

 

 全力で顔面に右の拳が振り抜かれた。

 

「が……っは……」

 

 ダメだ。

 この男は理解できない。何故、ここまでこの姿が恨まれる。分からない。分からないが、抜け出さなければ。

 死んでしまう。

 鬼気迫るガリウスの顔にリリンは夢から逃げ出す。咄嗟の判断だった。

 後の思考が回らないほどに、悪魔は人間に恐怖したのだ。


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