第14話 手合わせ
オーバーリミットは命を削り魔法を強化する技術だった。言葉にしてみれば命を削ると言う行為は軽く思えるかもしれないが、実際は凄絶な痛みが全身を襲うと注釈がつく。
思い出すだけで寒気がする。
「マリエル先生め……みんなやってるってどこのみんなだよ」
子供がゲームを強請るのとは全くもって違う。あんな危険な技術をみんなやっていて堪る物かとガリウスは毒吐く。
「あんなの使ってたら普通に死ぬっての」
まともな神経があればオーバーリミットなどという物は使おうとは思わないだろう。というか、生徒に教えようとも思わないだろう。
「……やっぱ関わるべきじゃなかったな」
厄介というよりも危険であると言うべきか。しっかりとケアをしてくれたのは分かるが、初めからオーバーリミットなどを伝授しなければ良かった話だ。
「やってみようでアレはトラウマになるし」
グチグチと文句を垂れながら通学路を歩く。流石に学院を出るのが遅かったからか今日は1人だ。空は茜色、学生服を着た姿はガリウス以外にはまず見当たらない。
「そりゃ、学校で教える訳ねーっての」
オーバーリミットは自殺と変わらない物だ。
確かにマリエルの様子を見て怪しさも感じたが、彼女は隠した。隠せてしまった。ガリウスには到底できそうにもない隠匿。
完全に騙された訳ではない。
ただ、ガリウスはオーバーリミットを確かめようとして踏み込んだだけ。
「……てか、あの人」
今更になって考えれば、ガリウスにはマリエルの異質さがよくわかった。
オーバーリミットの反動を少しの間でも隠せるような精神力、周りの皆が使っていたと言う環境。
どう考えてもおかしい。
マリエルはオーバーリミットを使う事に慣れている。あの受け入れ難い激痛を受け入れてしまえる程に。
「いや勘弁してくれ、本当」
一体、どれだけの生命力を削ったのか。
考えるほどに、マリエルという存在が余りにも危ういということが浮き彫りになっていく。教える為とは言え簡単に使ってはならない技術だ。それを目の前で実演して見せた、躊躇いもなく。
「…………はぁー」
溜息が出た。
考えれば考える程にマリエルが恐ろしく思える。ニコニコと笑っている彼女は何かを演じているように。
「考えすぎか」
どんな物であれ、ガリウスが探る必要性はない。ただ少しマリエルは常人とはかけ離れているだけだ。以上でも以下でもない。
「……家帰ったら今度は剣術か」
この後に控えている予定を思い出す。
身体の調子は先程死にかけたというのに悪くない。マリエルのゴッドブレスの効果が出ているのだろう。
ただ、光属性魔法での回復で肉体的には回復したが、気分の悪さは相変わらずだ。
「嫌だー! 帰りたくないー!」
目に見えている地獄がある。
目の前に分かりきっている地獄があるならば、人間であれば避けたいとは思うだろう。
仕方ないのだ。
ガリウスは勤勉な人間ではなく、少しばかり怠惰な一般人。自ら進もうとは思えないのも当然と言えば、当然だ。
「なんか今からこう、何かが起きて有耶無耶になんねーかな……」
具体性には欠けるが、今日の訓練がなくなる事にドミニクが納得できるような説得力がある何かが起きるなら。
異世界にまで、こんな事を考えるとは何も変わらない。
「──や、ないな」
首を横に振りながら否定する。
ありもしない希望を願ったところで、気持ちの落差が激しくなるだけだ。ガリウスは家に向かう速度を少しだけ早めた。
「ただいまー……って、親父は?」
恐る恐る家の扉を開けてもドミニクの姿は見当たらない。
「帰ってないわ」
ユリアが帰ってきたガリウスの疑問に答える。
「何で?」
ガリウスは何も聞いていないが。
仕事の関係でだろうか。少しくらいは事情を話してもいいだろう。
「さあ……?」
ユリアにも話をしていないらしい。
一体全体何があるというのか。仕事であるのなら仕方がないとは言え家族に心配をかける事になる事はわかっているのだろうか。
とは言え、ガリウスには心配以上に喜びもある訳だ。
今日の訓練はなしになったのだから。
「仕事があるんじゃない? ああ、そういえばパパから伝言があるみたいね」
「……は?」
気分はジェットコースターに乗ったように下がりきった。手紙、というより書き置き。伝言、それも悪魔の手紙。
無かったことにならないか。
ユリアがダイニングの椅子に座りながら右手に手紙を持ち差し出してくる。
「これ、何……?」
「さあ?」
いつの間に用意したのか。
朝、ガリウスが家を出た時にこんな物はなかった。何だ。まさか、今日家に帰れないことが確定した段階で用意したのか。
プルプルと震える腕でユリアから紙を受け取り、内容に目を通す。
『学校が終わったら騎士駐屯地に来い』
シンプル過ぎる。
何故なのかと聞きたいが、答えられる人間がいない。
「……はは」
乾いた笑いが虚しく響く。
有無を言わせないこの感覚、これが家族の絆という強制命令。
許せない。
なによりも、ガリウスは一瞬でも訓練が休みになると思い込んでしまった自身が一番許せない。
「行ってきます」
諦観の表情で先程閉めたばかりの扉をまた開けて、再び外に出る。
「許さねー……親父だからと言って許せねぇ」
ブツブツと恨みを隠しもせずにぼやきながら夕日の暮れていく中をトボトボと歩く。
「なーにが訓練だ。休みをよこせぇ……俺はまだ13だ。これから身体ができてくんだ」
剣術の訓練は完全に前世の部活動以上の肉体酷使。信じられない。なによりもこれで若干にも効果が出てしまっていることが信じたくない。
まだ始まって1日だというのに既に身体が休養を欲している。
「…………着いてしまった」
ガリウスはできる限りゆっくり歩いたはずなのだが、どうしてか10分ほどで騎士駐屯地が目の前に見える。
「すみませーん」
入り口の近くから駐屯地内に向けて覚悟を決めて声をかける。
「学生か。何用で駐屯地に来た」
身軽そうな鎧を纏った兵士然とした男が出迎える。腰に帯びた剣の長さは1メートル弱、鞘にしっかりと収まっている。
「……ええと、ドミニク・ガスターに呼ばれたんですけど」
「ドミニクさんが?」
「はい」
ガリウスの精神は叫び出してしまいそうだ。剣は無理だと言ったのに。なぜ、こんな場所に呼び出されたのか。
「……少し待っていなさい。確認してくる」
「あ、はい」
兵士の男は駐屯地の奥へと走っていき、数分ほどで戻ってきた。
「君、名前は?」
「ガリウス・ガスターです」
「……付いてきなさい」
確認ができ、駐屯地内への入場が許可された。ガリウスは大人しく彼の背中を追いかけて歩く。
「あのー、親父は何て……?」
「ドミニクさんからは私も何も聞かされていない」
納得だ。
何せ関係はないのだから。
カチャカチャと鎧が揺れる音が響く。2人の間は会話がない。ガリウスからも声をかけることができない。
「ここだ」
扉は開いている。
開いた場所に出た。
足元はグラウンドのような地面。騎士訓練所と呼ばれるこの空間は広いだけの空間だ。
ガリウスが視線を上げればドミニクともう1人、青年が立っていた。
「来たか、ガリウス」
「……何のつもりだよ。俺、剣は無理だって言ったのによ」
騎士駐屯地ほど町の中でギラついた空間はないだろう。騎士だって鞘にこそ収めているが剣を持っている。
抜剣されてしまったらどうしようと不安で仕方なかった。
「悪い悪い。まあ、剣は使わんから安心しろ。木剣だ、ほれ」
ドミニクが投げ渡した木剣を掴む。
「それで、そちらはどなた様?」
「ああ、こいつか。こいつは……」
赤い髪の少女、であっているか。
ガリウスにはよくわからない。というのも女性的な特徴が外見では見当たらないからだ。精々が顔からしか判断ができない。
「どうも、はじめまして! 私はコルネリア・フランツ。今年から騎士隊に入隊になりました!」
「……と、まあ。新人って訳だ」
コルネリアは溌剌とした声で自己紹介をする。
「ガリウス。お前は今日、コイツと手合わせしてもらう」
「……騎士かぁ。いや、勝ち目ないだろ」
そもそも必要なのか、これは。
「何事も経験だろ?」
ドミニクも特に考えていないのだろう。
とは言え、ドミニクとだけ剣術の訓練をしても仕方がないのは確かだ。他の相手とも一緒に訓練した方が力は付きやすい。
「ガリウスくん、私も負けるつもりはありません! 君も全力で来てください!」
「あ、あはは……んじゃ、胸を借りるつもりで」
ガリウスの勝ち目は薄いと考えるのが普通だ。
コルネリアは武術科で6年学習した後に騎士隊に入隊した筈だ。
経験の差も開きが大きい。
「んじゃ……始めぇ!!」
ドミニクの開始の合図と共にコルネリアが勢いよくガリウスに向かって突っ込む。
「やぁああああああっっ!!!!」
雄叫びを上げながら。
速度は緩慢。
何もかもが目で追えている。
コルネリアの速度はカレンに比べて幾分も遅い。
ブゥンッッ!!!
一撃目を余裕でガリウスは避ける。
ガリウスから外れた剣は地面にぶつかり土煙を巻き上げる。
「?」
変な感覚だ。
コルネリアの実力がガリウスの予想した物ではない。
*
予想以上にガリウスが強い。
これはドミニクにとっても予想外だ。
もう少しだけガリウスとコルネリアでいい勝負になる予定だったのだ。あわよくば実力の拮抗した者同士でのライバルとして。
「…………ふっ!」
コルネリアの剣はガリウスに掠りもしない。剣の軌跡が全てガリウスには見えている。
コルネリアの攻撃には速度が足りていない。
ドミニクの剣を目で少しでも追える以上、並大抵の攻撃は遅く見える。
「んーむ、俺の予想とは違うな……」
1日しか本格的な訓練をつけていないというのに。
やはり剣の才能があるというのは間違いない。本能的な剣への嫌悪さえなければ良かったのだが、仕方のない話だ。
「なん、で……!」
剣が当たらない事にコルネリアは焦りを覚えていた。エーレ総合学院においてコルネリアの成績は中の上。年下には負けないという自負があった。
だというのに、13歳の少年に剣を当てられる気がしない。
「りゃああああああっ!!!」
真っ直ぐな縦切り。
「ふっ……!」
ガリウスは木剣を下から上に振るって、迫り来る木剣を正面から弾き上げた。
ガァン!
鈍い音と共にコルネリアの身体が仰反る。好きだらけだ。ガリウスは懐に潜りこみ喉元に木剣の先を突きつける。
「あっ……わ、わっ」
ヘタリとコルネリアが尻餅をつく。
「勝負あり! ガリウスの勝ちだな」
相手が悪い。
ガリウスの目は既にドミニクに追いつきかけている。
「……どういう事?」
結局、こうなってしまってはこの試合に意味はあったのだろうか。ガリウスはドミニクに視線を移すが、彼も困った様な顔をして目を伏せた。
「何つーか……俺が思ったよりも、こう」
目の前に試合の相手だったコルネリアがいる以上、言葉に出すのが憚られる。
「……それは、だな」
ドミニクも息子が武術科の成績トップといい勝負をするほどの実力があるとは思わない。コルネリアも決して弱い訳ではない。騎士としては一般以上の実力がある。
「あー、まあ……今日はここまでにしよう。コルネリア、ご苦労。今日はゆっくり休んでくれ」
微妙な空気感だ。
落ち込んだ様に去っていくコルネリアを見送ってからドミニクは深呼吸をして話を始めた。
「──ガリウス。俺は今回、お前と実力が近いと思ってコルネリアと手合わせをさせた」
結果はガリウスの圧勝になってしまった訳だが。
「……なるほど?」
「まー、なんだ。予定とは全然違うが実力はわかっただろ?」
「…………」
騎士も学生も実力は様々だ。
コルネリアが騎士だからと言ってやたらめったらに強いわけではなかったが、学生でも騎士以上の実力を持つ者もいる。例えばカレンの様な武術科の主席レベルであるなどだ。
「……そうだな、人それぞれって事か」
「違う、お前の実力の話だ」
「あー……まあ、なんとなく?」
ガリウスは騎士でも通用する程の実力があるのは明らかになった。
ガリウス自体は騎士隊の入隊を拒むだろうが。
「明日からは普通にまた俺とやり合うぞ」
「……うっす」
今日は一体何だったのか。
ガリウスは相手をしてもらったコルネリアに対する罪悪感を抱えながらドミニクと一緒に駐屯地を出た。
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