第13話 魔法の裏ワザ
イェルクのいた魔法実験室を出て暫く歩き、教室に向かっていた。
「やっぱ来てねぇのな」
想像はできていた。
分かりきっていたことを確認しただけ。結果としてはそんな物。
「や、ガリガリくん」
職員室の前を平然と歩いていこうとしたガリウスの前にマリエルは現れた。
「げ……」
待ち伏せしていたかの様に彼女は両腕を組み不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「イェルク先生居たでしょ?」
「居ました。ありがとうございます……じゃ」
ガリウスは踵を返して来た道を戻ろうとする。出会って間もないが、ガリウスの本能は彼女を
「待て待て〜」
しかし、逃走は許されない。
彼女に肩を掴まれてしまった。
「全く、ガリガリくんは冷たいね」
「そんなことないと思いますけど、はい」
面識が浅い者同士などこんなものだ。
彼女の距離感がおかしいだけだとガリウスは考える。
「私から生徒に話しかけるなんてまずないんだよ?」
「はあ……」
心の底からは喜べない特別だ。
「まあ、そんな話はどうでもいいとして」
「どうでも良いんですね……」
「どうでも良くはないけど、ひとまず置いておくとして」
一言目が本音だろう。
マリエルの口から流れる様に出たのだから。人間の本音は大体が一言目に出るが、マリエルにとって『今は』どうでも良かったのだ。本音と言えば本音だが、揚げ足取りの様にも思えて少し面白くない。
「それで本題はなんですか? 止めたってことは何かあるんですかね……」
要件を急かすガリウスの言葉に気を取り直す、
「えー、寂しいとかじゃダメ?」
クスクスと揶揄う様に笑いながら問いかける。これは冗談でしかない。
「ガリガリくんさ、魔法ってあんまり使えないでしょ?」
「何で知ってるんですかねぇ」
「サイモン先生に聞いた!」
自信満々といった様子のマリエルにいじられるのではないかと思ったが、ガリウスは開き直ることにした。
「……だから、どうしたんですか」
現状、ガリウスは魔法が得意ではない。
実用的だとは言えないレベルだ。アルバのクラスの落ちこぼれといえばガリウスだと分かるレベルで。
「まあまあ、私から一つ裏ワザを教えてあげようと思ってね。それはね────」
『オーバーリミット』って言うんだけど。
彼女は秘密を教えるかの様な声量で囁いた。
「は?」
「方法がわからないよね。でも、これ手軽に出来ちゃうんだ」
何だか通販番組を見ているような気分だ。簡単にと言う言葉が特にこの認識を助長させる。
「術名の前にオーバーリミットを付けるだけ。これで誰でも簡単に魔法の威力を上げられる。私が居た所だとみんな使ってたんだけどね」
学校じゃ教えないみたい。
と呆れた様子で肩をすくめた。
教えないと言うのはどう言う事なのか。必要がないからなのか。
「何か言葉の響き的に怪しいんですけど、オーバーリミットって」
意味としては限界突破。
色々とまずい気がする。
「手軽に威力は上げれるよ」
手軽にと言うのは事実なのかもしれない。
「もっと効果について教えてください」
ただ、手軽だというだけではガリウスは信じられない。彼女はニヤニヤと笑っている。こうなるのも分かっていたようだ。
「仕方ないなぁ。じゃあ、放課後にまた来てよ」
会いたくない筈だと言うのに、何故かガリウスはまた会う約束を取り付けられてしまった。
「またね、ガリガリくん」
小さく右手を振る彼女の横をガリウスは通り過ぎていく。
*
「それで……ガリウス、授業をしっかりと聞いてください」
アルバは呆れた様にガリウスへと視線を向けて、溜息を吐きながら注意する。魔法の授業でもない現在の時間は、アルバにとっても専門性のある知識があるわけではない授業を行なっている。
「あ、すみません……」
算術はガリウスの知っているものと相違がない。金貨、銀貨、銅貨などと貨幣は変わっているが金貨1枚が10000円、銀貨1枚1000円、銅貨1枚100円と考える。
この変換ができれば他は問題ない。
「……寝てないで起きてください。算術もテストに出ますよ」
生徒からは「えー」という声が響く。
「算術は教養科目です」
これまたどうしようもない。
仕方がない。
魔法は魔法科である以上、最重要科目である。ただ算術は文化人である以上、必用とされるのは不自然な事ではない。
「ここで怠けてテストで答えられなかったら、損をするのはあなたたちですよ」
もっともな事を言う。
アルバは正論を突いてくるが、いや、だからこそ生徒からの人気はあまりない。
「マリーさん。黒板に書かれた問題は解けますか?」
マリーは指名され「はい」と返事をして立ち上がる。
問題は簡単で『あなたは銀貨を1枚持っています。リンゴは1つ銅貨3枚、オレンジが銅貨2枚で売られています。あなたはリンゴを1つとオレンジを2つ買いました。残りはいくらですか』と言うものだ。
「えーと……銅貨3枚です」
何でも卒なくこなす。
授業態度もガリウスと比べて真面目だ。まず姿勢からして優等生。ガリウスは分かりきっていることに退屈だと感じ、態度に出てしまうことがある。
「ありがとうございます、マリーさん。他の皆さんも算術の授業は始まったばかりですので、しっかりとこれから頑張ってください」
苦手でも覚えようと思えば覚えられる。
大切なのは姿勢である。
ともかく、テストがあるのだから直前になれば嫌でも覚えようとするだろう。
「では、これで終わります」
算術の授業が終わる。
そのままの流れでホームルームに。特にアルバからは連絡事項もなかった様で数学の授業から物の数分で放課後になった。
放課後になったことを理解してガリウスは教室から出て、背筋を伸ばす。
「あ〜……マリエル先生のとこ行くかぁ」
若干、遠慮したい気持ちもあるがオーバーリミットについて聞いておかなければ落ち着かない。
渋々と職員室に向けて歩き出す。
職員室近くの通路で声をかけられた。
「お、ガリウス君」
ニコニコと年上の青年が近寄ってくる。
「あ、グレムリンさん」
そういえば聞きたいことがあるのだ。
ガリウスはグレムリンに質問を投げかける。
「リースと会いましたよ」
「驚いた。学校には来てない筈だけど」
「来てないんですよね。……昨日、町中であったんですけど」
「あっはっは。それで仲良くやっていけそうかな?」
「なら、まず学校に来るように言ってくださいよ」
学校に来なければ話は始まらない。町中を彷徨きエンカウントするのを待たなければならないなど面倒にも程がある。
「僕も頑張ってみるよ。僕も頑張ってみるけど……ガリウス君、今日ウチに来てリースに会って行かないかい?」
ガリウスは提案を受け入れようとしたがマリエルとの用事に一体どれだけの時間を使うかもわからない。
「今日は遠慮しておきます」
「そうか、残念……また今度だ」
グレムリンはガリウスの横を抜けていった。
「……そういや、あの人勇者部隊の話があるんだったな」
もしかしたら勇者部隊に関する事で職員室にいたのかもしれない。単なる考えすぎだろうか。考えても答えは出ない事だ。
死亡率9割超えの、勇者部隊。
「…………」
去っていく背中には死が絡みついて見える。こういうのは良くない。決まったわけではない。考えるのはやめよう。
「失礼します」
振り払って職員室の扉を開いた。
「待ってたよー、ガリガリくん」
*
校庭の外れに2人はいた。
「さ、ガリガリくん。私との個人授業を始めよう」
担任でもない、本来であれば関わりが中々に生まれないであろう教師との1対1の課外授業。
しかも成績に直結しないものと来た。
「あー、それでオーバーリミットでしたっけ?」
「そそ、オーバーリミット。学校じゃ習わないけどね」
「んー、結局どんな物なんですか?」
「まあ、聞くより見た方が威力の差は分かりやすいかな」
マリエルは正面に右手を翳してゆっくりと詠唱を始めた。
「──祈る、祈る。風の精霊よ。我は大いなる風の精霊の加護を願う。我が祈りに応え給え、与え給え。欲するは突風……ウィンド」
ビュウッ!
風が吹き抜けた。
先日に見たリースの使ったウィンドよりも数段強力な物。流石は教師と言うべきか。
「これが普通のウィンドね。で、次に」
彼女は伸ばしたままの右腕の先に視線を戻して、再び詠唱を開始する。
「──祈る、祈る。風の精霊よ。我は大いなる風の精霊の加護を願う。我が祈りに応え給え、与え給え。欲するは突風」
そっくり先程と同じ。
詠唱に変化はない。
「……オーバーリミット・ウィンド」
たった一言だけが加えられた術名。
瞬間に巻き上がった風は第2位階とは到底思えないほどの風を巻き起こし前進する。第3位界の通常のウィンドショットを凌駕する破壊力。
「ね、手軽でしょ?」
確かに手軽に魔法の威力を上げられている。彼女に変わった様子はない。
本当か。
本当にマリエルに変化はないのか。
「……これ、本当に手軽なだけなんですか?」
どうしてか、彼女の言葉に疑念を覚えてしまう。
「じゃあ、やってみる?」
彼女は平然と提案する。
やってみないことには分からない。
「……やらなきゃ分かんないですよね、自分の感覚で」
「やりたくないならそれでも良いけど」
「…………」
正直、ガリウスはやりたくない。
嫌な予感がする。
彼女の平然とした様子が嘘の様な気がする。何だか手軽ではあるのだが、気軽に踏み込んではならない技術の様な感覚がする。
「やりますよ」
「うんうん。何かあったらちゃんと助けてあげる」
「何かはあるんですね」
これはもう避けられない。
「で、何をやれば良いんですか?」
「風魔法だね。……はい、詠唱文書いてきたから」
手渡された紙を受け取る。
それはどこか少しだけ湿っているような手触りがする。ガリウスは大して気にも止めずに紙に視線を下ろす。
「手始めに普通のやつから行こっか」
促され、言われるがままに詠唱を始める。
「──祈る、祈る。風の精霊よ。我は大いなる風の精霊の加護を願う。我が祈りに応え給え、与え給え。欲するは突風……ウィンド」
ヒューウ。
そんな少し強い風が吹いた様な威力。
「あっはっはっはっは!!! 何それー! よっわ〜!」
「……笑わんでくださいよ!」
わざと言っているのだと分かっても、ガリウスも恥ずかしい気持ちはある。
「じゃあ、次ね」
また、同じように。
「──祈る、祈る。風の精霊よ。我は大いなる風の精霊の加護を願う。我が祈りに応え給え、与え給え。欲するは突風」
詠唱をして。
最後に一つ。
「オーバーリミット……」
付け加え。
「ウィンド!」
魔法を放つ。
──ドクン。
──ドクン、ドクン。
視界が真っ白に染まる。脳が絞られ、心臓が握られ、皮膚が張り裂けるような、そんな、そんな────錯覚。全身に万遍のない痛覚が走る。
脳が訴える。
心臓が叫ぶ。
壊れてしマウ、と。
「あ、ぐぁっ……ひゅっ、かっ……は」
確かにガリウスの放った魔法はマリエルの最初に放った物と遜色のない威力を持っていた。
だが、威力に対しての代償が重すぎる。
立っていることすら出来なくなり無防備にガリウスは倒れた。
「──祈る、祈る。光の精霊よ。我は大いなる光の精霊の加護を願う。我が祈りに応え給え、与え給え。欲するは至上の癒し……ゴッドブレス」
光属性は癒しを施す。
第5位界のゴッドブレスは致命傷でさえなければ生命維持が可能なレベルにまで回復ができる。
「大丈夫?」
視界が戻った。
夕日だ。
ガリウスの視界をマリエルの顔が塞いだ。
「大丈夫に……見えます、か」
彼女の顔はガリウスから見て真上にある。
ガリウスの頭の後ろには柔らかな太ももがあると言うのに彼には感触が理解できない。会話するのがやっとだ。
「全然」
彼女の顔からポタリと粒が垂れた。
「あ、汗垂れちゃった。ごめんね」
彼女もガリウスが打つまで我慢していたのだろう。
「はい、これで分かったと思うけどオーバーリミットは手軽に魔法を強化できます!」
「だけじゃ……ないっ、でしょ……!」
事前説明と同じではない。
完全に認識が変わった。
「……まあ、お察しの通り反動が大きいんだよね。何でこんな事になるかって言ったらなんだけど……魔力とは別に生き物には生命力があるのはわかる?」
「そうなんですね」
「そうなの。で、このオーバーリミットは生命力を魔力に置き換えて無理矢理精霊にあげちゃうから途轍もない痛みを伴うの。あと下手したら死ぬ可能性もある」
簡単な話、マリエルはガリウスにとんでもない物を伝授したと言うわけだ。
「……本気で授業程度に使えねぇ」
ジロっとガリウスは半目でマリエルの顔を見上げれば彼女は「てへっ」と笑って誤魔化した。
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