第8話 詠唱完全省略
退屈な授業、学校での1日が終わりガリウスは帰路に着く。
今日から始まることになったガリウスの剣術の訓練。少しばかり憂鬱だ。父を憎む心はない。あったところで、家族に対する一般的な範囲の反抗心と言うものだ。
「……あー、いってぇ」
座学ばかりで身体が凝り固まる。
グイと背筋を伸ばせばポキポキと骨が鳴る。
「我が友、そんなに疲れたのか?」
少し先を歩くジョージは元気な物だ。
小さい頃から体を動かすのが嫌いではないからか、武術科の授業も苦にはならないのか。
「3分の1くらいが武術技練も辛いだろうけどな、こっちだって座ってばっかだし」
元気が余っている。
元々、ガリウスとて運動は嫌いではない。この世界に転生してからは特に。
「うげぇ……」
「ま、耐えれない訳じゃないから良いんだけど、な」
一度は経験したことのある事だ。
一般的な日本人として高校にはサボる事なく通っていた。自慢とするのもおかしいが、慶悟は学生時代全年皆勤賞を獲得している。とは言え成績には結び付かなかった。
今世でも問題はない。
学校が辛いのは変わらないが休もうと思う程ではない。
「あー、帰ったら帰ったで……」
この町で剣の腕が最も立つのは誰かという質問が住民にされたなら多くは騎士隊隊長と答えるだろう。住民からの信頼の厚い騎士隊長が剣術指南役として任命した前騎士隊長。
弱いはずがない。
可能性で考えるのであれば騎士隊長よりも剣技の冴えは上の可能性もある。
「パワータイプみたいな見た目のくせしやがって」
いや、パワータイプだからなのか。
身軽な剣士以上に鋭く重たく、なによりも速い剣戟を振るってくる。
最高速度はガリウスの目から逃れる程。カレン以上に頭のおかしな速度で剣を振るう。
「ガリウス。家で何かあるのか?」
「ああ、地獄だよ。地獄が俺を待っているんだ。武術科すら生ぬるい地獄がな……」
授業の一環としての技術指導とは比べ物にならない指導がドミニクからは課される。授業内では出来ない扱きを受けることになるのは、家族であり1対1の形式である事からも想像に容易い。
クツクツとガリウスの口から乾いた笑い声が漏れる。
「ご、ゴクリ……」
ジョージには中々想像がつかない。
ガリウスですら悲鳴を上げる様な地獄とは一体どんな物なのか。
例えばそれはグツグツと煮た釜で茹でられるような事なのか、あるいは雷に打たれる様な事なのか。
「死にはしないけど────」
ゴウッ!
炎が目の前を抜けていく。
火属性第4位界魔法、ファイアランス。
炎を槍の形に整えた高威力の魔法。街中で使う様な代物ではない。
「────な……って」
飛んできた方向にガリウスが目を向ける。不機嫌そうな銀髪の少年。髪は逆立ち、左のこめかみは刈り上げられている。
「ひ、ひぃっ!」
尻餅をついた小柄な男に向かって放ったようだ。
「…………」
ガリウスはいまいち状況が飲み込めない。
なぜ魔法を使う必要があったのか。
「が、ガリウス!」
「……分かってるよ」
止めに入った方が良いだろう。
迷っていても仕方がない。
「なあ、そこのアンタ」
「あァ? その制服、エーレの生徒かよ。……ハッ、奇妙な正義感でも振りかざすか?」
馬鹿にした様な態度。
年齢は変わらない。
銀髪の彼には朝に出会ったグレムリンの面影がチラつく。
「何言ってんのかわかんねーけど、町中で魔法なんざ使うもんじゃねーよ。しかも、そんな威力の魔法なんてのは……」
スッ、と右手の人差し指と中指だけを揃えて立てガリウスに向ける。
「──祈る、火の精霊よ。応え給え、我に炎の弾を。撃ち放つ赦しを与え給え……『ファイアバレット』」
「いきなりかよ!」
第3位界、詠唱省略による炎の弾丸。
だが、ガリウスの目は捉えられる。避けることなど容易い。
「…………チッ」
男の舌打ちが響く。
「詠唱省略程度、馬鹿みたいに撃っても当たらねぇぞ」
ファイアバレットの攻撃速度は遅くはない。相手が悪すぎる。準備もせずに魔法科の生徒がガリウスと戦えばこうなるのも当然。
「ファイアバレット!」
「は?」
対して男が次にとった手段は詠唱文の完全省略。
これが魔法として意味を成すのならば、ガリウスの目の前にいる男は単なる不良ではない。才能に恵まれた傑物だ。
「ま、マジかよ!」
慌ててガリウスは物陰に隠れた。
「アイツ、ふざけんなよっ!」
詠唱完全省略など授業で習った覚えもない。この世界でそんな事ができるなどという知識もなかった。
これは少しばかり本気にならねばならないかもしれない。
「はあ〜……無詠唱はさっき見た。確かに詠唱はない……けど、流石に身体が向いてる方向にだけだろ」
ならば。
「照準が定まんない速度で動くだけだ」
再びガリウスは銀髪の少年の前に飛び出して、全速力で距離を詰めにかかった。
ガリウスの速度はカレンには及ばない。
だが、幾ら目が追いついた所で動きが追いつくとは限らない。よく聞く話だ。見えてはいても反応ができないというのは。
現実においても銃で動く標的を仕留めるのは至難の業。魔法に置いても変わらない。銀髪の少年の2本の指先はガリウスを追いかける。
「ファイアバレット!」
速度は申し分ない。
しかし、照準を合わせることができない。出来たと思った時には、ガリウスは既に先にいる。
捉えられない。
もし、彼が水の第5位界魔法を使用できたのなら話は変わったのかもしれない。だが、彼が使用できるのは火属性の第3位界までの詠唱完全省略と第4位界の詠唱短縮までだ。
他の属性も使えない事はないが彼の波長は火属性が最もあっている。
「来たぞ、ここまで」
すぐ近く。
懐に潜り込まれる。
「ファイア────ッ」
ガリウスは伸びた右腕を掴み勢いよく地面に向けて背負い投げする。
「────バレッ、ト……!!」
最後の足掻き。
地面に叩きつけられる寸前に魔法が発動する。何度も何度も見た魔法。
「…………」
ガリウスの顔の左スレスレを通り抜けた。
「何であんな事してたんだ」
「……関係ねェだろ」
ガリウスの問いに答えるつもりはないようだ。押さえつけられていると言うのに態度の変化は見られない。
「ったく、魔法の才能をこんなことに使いやがって」
「才能……? 才能なんかねぇよ、俺なんかにはな」
卑屈な物言いにガリウスは疑問を覚える。第3位界のファイアバレットまで詠唱無しで発動させたと言うのに。
「お前なんかに取り押さえられた俺に才能なんかあると思うかよ」
「……あるだろ」
ガリウスの知る中でこの年齢でここまでの魔法を行使できる存在はいない。
「お前が才能ないなんて言い出したら、誰が才能あるんだよ」
「…………」
「で、何でこんな事したのか教えてくれ。理由もなしに八つ当たりか?」
「んな訳ねぇだろ……。金盗られたんだよ」
「……あー、成る程」
不機嫌そうな少年を押さえつけるのをやめてガリウスは立ち上がる。
銀髪の少年も土埃を払いながら立ち上がり、即座に指先をガリウスに向ける。
「まだやんのか?」
「──いつかブチのめす」
しかし、彼はすぐに大人しく右腕を下げた。
「名前」
今の自身の実力では、これ以上はどうにもならないと彼は悟ったのだ。
「名前教えろ。俺はリース・ファーバーだ」
「リース……グレムリンさんの弟?」
「兄さ……兄貴がどうした」
「ああ、まあ。俺はガリウス。ガリウス・ガスター。仲良くしようぜ」
「……ガリウスか。覚えとくぜ。俺がテメェを倒すまでな」
リースの目は曇らない。目の前の敵をいつかは越えようと言う確かな決意がある。
「今回は俺も事情知らなかったから財布取り返すの手伝うな」
「……勝手にしろ」
先程の路地に出れば居たのはジョージだけ。
「ジョージ……小太りのおっさん何処に行ったか見てたか?」
「え、あれ? いや、見てないが。そういえばどさくさに紛れて居なくなって……」
ガリウスとリースの勝負の最中、トンズラをこいたようだ。ブチリとリースの中で何かが切れた。
「コロス……!」
怒りに支配されたリースは止まらない。
盗人の宿命は決まったも同然だ。
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