第13話 『介入③』

 少し、昔の話をしよう。

 “高道たかみち踏羽とうは”に両親はいない。

 正確に言えば多額の借金を抱えて、息子である踏羽を置いて雲隠れしてしまった。

 いつも通り朝起きたら両親の姿はなくあったのは置手紙のみ。高校はいつの間にか中退手続きがされて、家も差し押さえられてほぼ着の身着のまま追い出されてしまった。

 持てたのはバッグに入るだけの衣服やちょっとした貴重品。それ以外の物は全て売却又は処分された。

 親戚を頼れればまだ話は違っただろうが、残念な事に両親は共に駆け落ち同然で結婚した経緯があり血縁者からは縁が切られていた為に踏羽は親戚と関わった事すらない。

『詰み』。そんな言葉が頭の中を巡った。

 若干一七歳で家無しバイト経験無し保証人無し。社会経験なんて存在しなければどう生きていけばいいのかまだまだ分からない青二才。

 辿る道は何かしらの仕事に飛び込みでもして雇ってもらうか食に付かずホームレスかこのまま餓死か『裏社会』の人間となって犯罪行為で生きていくか等々幾つも存在している。

 そんな条件が提示されていた中で踏羽は運が良かったと言えるだろう。


『お前、家がないのか? 家出か何かは知らないが、行く当てがないのならウチに来ないかな?』


 ある大雨の日、鶴亀川に架かる大きな橋の下で飢えに衰弱しながら雨宿りをしていた時に偶然通りかかった老人にそう声を掛けられた。

 物腰が柔らかく優しい雰囲気を持つ老人に踏羽は警戒心を抱く事なくその誘いに乗った。

 老人の家は歴史を感じさせる日本家屋であり、その広さにバブル期に建てられた微妙に古い一軒家で過ごしてきていた踏羽はついポカーンと口を開けて固まってしまった。

 所謂『昔からそこに住んでいる地主(又は金持ち)』が住んでいるような建物。一般庶民かつどちらかと言えば貧困層に含まれる踏羽にとってそこの空気は異世界としか言い様がなかった。

 びくびくと借りてきた猫のように小さくなっている踏羽に対して老人は柔和に接した。

 老人が初めにしたのは風呂を沸かす事だった。雨で濡れて全身が冷えている踏羽の事を思っての事であった。

 踏羽は老人の厚意に甘え、冷えた体を湯で温めた。親に捨てられ、行く当てのなかった踏羽にとってその一風呂は何よりも温かかった。

 風呂を上がり居間に通されると老人は自己紹介を始めた。


 老人の名は“舞東むとう重満しげみつ”。

 数年前に妻に先立たれ一人寂しく余生を過ごしていた『武道家』である。

 重満に子供は居らず、付き合いのある親戚も皆無。踏羽と同じく『天涯孤独』の身であった。

 自身の事を語った重満は、改めて踏羽に事情を聴く。

 踏羽は親の事、負債の事、家の事、学校の事、行く当てがない事、それをゆっくりと話した。

 話をしている内に感情が高ぶってきたのか目からは涙がポロポロと溢れ、段々と円滑に話すこともできなくなった。それでも重満は静かに踏羽の言葉に耳を傾けた。

 踏羽の事情を聴いた重満は数秒の沈黙の後、静かに口を開いた。


『見た通りこの家は広い。余っている部屋なんて多くある。君が良ければウチに住まないか?』

『いや、それは・・・迷惑かけちゃいますし・・・』

『若いモンがそんな事を気にするんじゃあない。人からの厚意には甘えなさい。・・・もしも素直に受け取れないのなら私を助けると思えばいい。家がなく、行く当てもない子供をほっぽり出して路頭に迷わせるなんて老い先短い身としては変な後悔が残ってしまう。君は一人のジジイが後悔なく逝ける手伝いをしていると考えれば気が楽になるだろう?』


 強引だった。強引だったがそれが良かった。

 重満の言葉は踏羽にとって何よりも温かく感じられたから。

 そうして、何の巡り会わせか祖父と孫ほど年齢の離れた二人の生活が始まった。

 二人の日常は案外快適に過ぎて行った。

 お互いに掃除好きであったし、料理も人並みにはできた。

 住所を得た踏羽はアルバイトを始め、給料は全て重満に渡そうとしたが断られてしまい、押し問答の末に半分を渡す事で決着がついた。

 仕事もなく行くところもない暇な休日は(仮にも武道家である)重満にみっちりとしごかれて一年も経つ頃には見違えるほど引き締まった筋肉質の体になっていた。

 なんやかんや言って楽しく、幸せな時間が流れていた。そして、それがずっと続く物であると錯覚してしまったのだ。

 踏羽が拾われてから気づけば五年の歳月が経過していた。敬語は抜け、呼び方も「重満さん」から「ジジイ」に変わり、二人は本当の家族のように生活をしていた。

 自分を捨てた両親の行方や生死なんて、踏羽にとっては心底どうでもいい物になっており、男二人のむさっ苦しい生活は踏羽を自然と笑顔にさせていた。

 そんなある日の事だった。


『踏羽、道着をどこにしまったかな?』

『ん? なんだよ、さっき自分でタンスにしまっていただろ?』

『・・・・・・あぁ、そうだったな。うん、そうだそうだ』

『なんだよ、ジジイ。ついにボケたか?』

『おお~、そうかもしれんなぁ~。もうお前の世話にならないと行けなくなってしまったかぁ』

『ははっ、そんな冗談言えるならまだまだ余裕じゃあねぇか。ま、そうなった時は甲斐甲斐しく介護してやるさ』

『ふん、その時はお前の背中に捕まり続けるからな。後悔するんじゃあないぞ』


 そう言って笑う重満の姿に踏羽は同じように笑って返す。踏羽からしたら重満の介護をする事はとっくに決めていたし、何なら手元に残る給料のほとんどを貯金に回して少しでも先々の余裕を作れるようにもしていた。

 それでもこの楽しい日々が続けばどれほど幸せか、これがずっと続いて欲しい。そんな考えが見逃してはいけなかった変化を見逃させた。


 数ヶ月後、踏羽は痴呆を発症した重満の介護をしていた。

 覚悟はしていた。いつかそうなっても大丈夫にしようとしていた。

 それでも、日の経過と共に生気の抜けていく重満の姿を常に隣で見続ける生活は辛かった。今までが幸せであった分、その辛さは倍増していた。

 血の繋がり何てない。年齢差だって親子どころの話ではない。だけど、踏羽にとっては自分の人生を照らしてくれた恩人なのだ。辛さがなんだ。悲しさがなんだ。拾ってもらった命を使う、それだけの事だ。

 来る日も来る日も、介護は続き、家事や買い物に行く以外はずっと重満の隣に居続けた。

 そうして、介護の生活でさらに五年が経過したある日、重満は静かに息を引き取った。

 特に苦しむ事もなく、何時ものように昼食を取った後に眠って―――そのまま目覚める事はなかった。


 痴呆になると人は攻撃的になると言う。だけど、重満はずっと物腰が柔らかいままだった。

 初めてであったあの日と同じく優しいままだった。

 悲しかった、いなくなってしまって、もう二度とその声を聴けなくて、自然と涙も零れた。

 ただ、それ以上に「苦しむ事が無くてよかった」、そんな気持ちでいっぱいだった。


 だけど、運命という物は容赦という物を知らない。


 遺産整理をしていた時に見つけたのは一つの借用書。

 簡潔に言えば莫大な『借金』であった。担保は家と土地。

 慌てて預金口座やら貸金庫にある現金を確認したが、借用書に書かれている大金を受け取った形跡はなく、また、借用書が書かれた日付は重満が痴呆を患い踏羽が介護に明け暮れていた時期と一致した。

 これは痴呆老人を狙った詐欺であり、法的に対処すれば何とかなるハズの事柄なのだが、踏羽がどう対処するか判断をするよりも前に『業者』が現れた。

 やれ『金返せ』だの、やれ『家を明け渡せ』だの騒ぎ、無理矢理押し入ってくる事すらあった。挙句に『差し押さえ』と称して重満の遺品を奪っていこうとしたりとやりたい放題。

 踏羽の貯金では払いきれる額面ではなく、取れた手は闇金から金を借りてそれを使っての返済であった。

 そもそも、家族関係のない踏羽に返済義務なんてないし、借金自体も違法、つまりは返済する必要はどこにもないのだ。

 それでも踏羽が借金をしてまで返済をしたのは、やはり『業者』による嫌がらせで重満の家を傷つけられたくなかった気持ちが強かったからだろうか。

 借金返済のための借金、最終的にはそれを返済するために転がり落ちていつしか裏社会で雇われ用心棒をしていた。

 そんなある日、一人の男に声を掛けられた。


『やあ、初めまして。俺は「柵詩」という組織で一応ボスをしている者だ』


 唐突な自己紹介に踏羽はジト目で返す。


『・・・で?』

『ちょっとこれから人手が欲しくってね。君を雇わせて欲しいんだ』

『・・・・・・』

『その怪しい人間を見る目はやめて欲しいなぁ・・・』

『「柵詩」ってのは裏社会のさらに裏方でこそこそと小銭稼ぎをしている組織じゃなかったか? 手前らで何か動くような事はしないんじゃあないのか?』

『実績は積めた。ここからは動き出すときって訳さ。無論、報酬は言い値で払おう。何なら君の抱えている借金を一括返済できる額を前金で渡す準備もあるけど・・・どうかな?』


 目の前の男が一体どこまで調べているのかが気になりはしたが踏羽にとってあまり魅力のある提案ではなかった。そもそも、何をしでかすかは知らないが大きい事をするというのはそれ以上のリスクが付き纏うという事に他ならない。

 踏羽はあくまでも『雇われ用心棒』であって『破壊工作員』でも『戦闘要員』でもない。

 借金の早期返済をしなくても今の稼ぎで行けば一〇年もあれば返せる額でもある。それならわざわざ大きなリスクがある選択をする理由がないのだ。

 ・・・だが、踏羽のその考えを分かっているのか、目の前の男は言葉を続ける。


『色々な組織を潰して場合によっては傘下に入れるつもりなんだけど、最初の目標は「酒軸しゅじく」を狙っているんだ』

『・・・・・・作戦は?』

『おっと、興味が出たようだね。作戦を聞くって事はこの話に乗ってくれるって考えていい?』

『ああ。乗ってやる、だから説明をしろ』

『ここでするのもアレだろう。今の隠れ家に案内しよう』


 たった一つの提案、その提案で踏羽は『柵詩』の作戦に参加した。

『酒軸』は、痴呆を患った重満を騙して莫大な借金を押し付けた挙句に重満の家を荒した組織であり、ある種、仇とも言える組織なのだ。

 踏羽にとって潰してしまいたい相手であるのは火を見るより明らかであり、『柵詩』のボス―――『乱裂』は踏羽という戦力を確保するために狙いを定めたと言っても過言ではないだろう。


『・・・それで、なんで俺なんだ?』

『決まっているだろう。次期「単体戦最強の男」の候補の一人である君を引き入れる事は戦力増強以上の価値がある・・・と言えば納得してもらえるかな?』

『・・・? 初耳なんだが・・・』

『え?』






 そうして、現在。


「オラァ!!!」

「なっ、くぁっ・・・!!」

「テメェの弱点は見切ったぞぉ! ここだぁぁぁああああああ!!」

「股間は、男なら、誰だって、弱点だっ!!」


 踏羽は唐突に横から介入してきた少年との戦闘をしていた。

 身長的にも体格的にも差がある中、ヒットアンドアウェイ戦法で有利とは言わなくても拮抗した戦闘を繰り広げていた。

 殴る、逃げる、蹴る、距離を取る、常に駆け回る事によって捕らわれないようにしているのだ。

 もしも捕まれば最後、少年は一方的に攻撃を食らうしかないという事は簡単に見て取れる。


「・・・くっ! この動き、戦闘慣れしているね。やっぱりどこかの組織・・・・・・いや、この状況から見て『不将協会』の関係者だろ?」

「残念。関係者じゃあないな! ・・・いや、一応何もなければ中立だって宣言したからある意味関係者か・・・?」


 少年は踏羽の問いにそう返しながら、距離を詰めて拳を振るう。だが、何度も同じような動きをしていれば簡単に行動を予測されてしまう。

 振るわれた拳を踏羽は左手の前腕部で受け止めると少年の胴体に向けて右の拳を振るう。対する少年は拳が胴体に触れると同時に接地面を起点に体を回転させて踏羽の横に回り込むと、その脇腹に右肘を食らわせた。


「くっ・・・!」


 打たれた脇腹を抑えて数歩下がる。

 少年は地面を蹴ると大きく飛び上がり下がった頭目掛けて一撃を食らわせようとして――――、


「ッッッ!!?」


 ズドンッ! と少年が後方へ大きく吹き飛ぶ。

 その小さな体が二度、三度と床をバウンドして壁に叩き付けられる。


「・・・・・・は?」


 その光景を見ていた琴之刃の口からそんな声が零れる。

 少年を殴り飛ばした踏羽が何をしたのか、何ていちいち長く語る事でもない。

 一発、たった一発殴った、それだけである。

 横で見ていた琴之刃の目には少年が拳を振るう一瞬前に胴体に叩き込まれた瞬間がしっかりと映っていた。―――映っていたが故に分からないのだ。

 何故一発のパンチでそこまでの威力が出せるのか、その仕掛けも仕組みも、何一つ。

 混乱する頭は自身に危険を知らせ、複数の逃走ルートを組み立てていく。だが、


「が、ぁあッ・・・。痛ェなぁ・・・」


 ゆっくりと、少年が立ち上がった。

 殴られた腹部を抑えながら、苦痛に顔を歪ませて、肩で大きく息をしながら、それでも確実にその足で地を踏む。


「・・・まさか、立ち上がってくるとは思わなかったよ」

「オエェ・・・。気持ち悪ィ。吐きそう・・・ってか吐きたい気分だ。とんでもない威力のパンチだったよ」


 少年はそう言いながらも深呼吸をして構える。それに合わせて踏羽も構える。

 先ほどまでとは確実に雰囲気が違う。

 重く、息が詰まりそうなほどのプレッシャーは、今までの戦闘があくまでも前座でありここからが本番である事を現していた。

 少年が再度深呼吸をする。大きく酸素を取り込み、不要になった二酸化炭素を吐き出しながら腰を落とした。――――瞬間、


限界突破リミットブレイク・・・」


 ボンッ! と少年と踏羽の足元が爆発したのではないかと錯覚する程の音を鳴らした。

 そして、一瞬のうちにお互いが距離を詰めると戦闘が再開された。

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