第11話 『介入①』

 廃ビルの中はより生臭い血の臭いで充満しており、その濃さに少年はつい鼻を摘まむ。

 流石の弧乃葉もあまりの臭いの濃さ強さに眉を顰めてより辺りへの警戒を強める。

 臭いの濃さ、それは多くの血が流れた証拠であり闇討ちではなく激しい抗争があったという事が伺えた。


「上、だな・・・」

「そうね。人の気配は、ないわね・・・」

「・・・」


 人の気配がない、と言う言葉に少年の緊張感が高まる。

 頭の中を嫌なイメージが駆け巡り息を殺さなければいけない事を分かっていながら過呼吸のように早く荒くなっている。

 それでも少年は上の階へと続く階段へと足を向け、ゆっくりと上っていく。一段、一段と上る度に臭いは濃くなりそれが吐き気を少年に与える。


 そして、そこに地獄が広がっていた。


 ごろりと乱雑に倒れているのは躰の部位を一部失った人間、いや、もはや肉塊と表した方が正しいかもしれない。腕、足、頭、中には上半身と下半身が離れている者すらいた。

 傷口から流れている血は床に不快な水たまりを作っている。

 その光景に少年の口から胃の内容物が吐き出された。びちゃびちゃと血で汚れた床を少年の吐しゃ物がさらに汚した。


「ぅおぇぇええええっ! げぇええ! うげ、がはっ・・・はっっ・・・・・・」


 胃の内容物を吐き出してもなおも胃は何かを吐き出そうと動く。


「はっ、ぅ・・・」

「ちょ、ちょっと、大丈夫!?」

「すまねぇ。・・・覚悟はしていたつもりだがちょっと耐えられなかった」

「・・・もしかして、こういうの見るのは初めてなの?」

「ああ、生の死体を見るのは初めてだな。やっぱり、写真とは全然違うな」


 少年は口の中を支配する酸っぱい味に不快感を覚えながら血の水たまりを触る。


「冷たい・・・が、まだ固まっていないな。この惨劇が起こってから少し経っているって考えて良さそうだな」

「そうね。だからと言って油断はできないけど・・・。っと、この傷から見るにチェーンソーじゃないわね。すぱっと簡単に行っているから恐らくは日本刀のように鋭く切れ味のある凶器・・・というか日本刀で確定かしらね」

「ここは日本だぞ」

「死体に紛れて拳銃が転がっている光景を見ながら言うセリフではないと思うけどね」

「あ゛~、今月に入ってから今までの俺の日常がガラガラと崩れていく感じがするぜ・・・。テンプレ忍者は出るは発砲されるはテンプレ転校生が来るわ・・・」

「全部私の事じゃない!!」


 ぷんすかと怒る弧乃葉を余所に少年は死体に近づいていく。

 そして、目を開いたままで絶命している者は瞼を閉じさせ、体の一部を失っている者へその失った部位をそっと近くへと置いてやる。

 静かに、無言で、それでも真剣な表情で。


「・・・・・・言っておくけど、こういった死体を埋めるための山ってものがこの国には点在しているの。コレも後でそこへ持って行かれるだろうからそうやって部位を集めても意味はないわよ」

「そうかもしれないな。・・・でも、例え自己満足だったとしてもこれくらいはしてやらないとな」


 少年は静かに返答しながらうつ伏せになっている死体の顔を確認して息を飲んだ。

 突然固まった少年の姿に疑問を覚えた弧乃葉はその死体の顔を覗き見て、そして納得した。


「あらら・・・。ここで終わっちゃったか」

「そう、みたいだな」


 そう答えながら少年は少し悲しそうな表情を浮かべる。

 目の前の死体の人物―――『甲羅』の悔しそうな表情に少年は両手を合わせる事しかできない。

『甲羅』とは数日前に会ったばかりで深い関係と言う訳でもなければ数事話をしただけで別に仲良しでもない。結局はただの顔見知りであり、他人でしかないのだ。

 それ故に無表情で仏教面を浮かべている姿しか知らない。知らないからこそ、その表情は少年の心に刺さった。

 心残りがあるのだろう。まだしないといけない事があったのだろう。帰るべき所があったのだろう。

 本名も知らない、ただ少しだけ会話した事あるだけの他人の死。それは少年に一つの決断をさせるには充分であった。


「・・・・・・なあ、少し教えてくれ。いつまでこんな事が起こる?」

「少なくとも、二つの組織の一方が瓦解するまで―――っと言いたい所だけど『柵詩』も馬鹿じゃないわ。恐らくはある程度の所で痛み分けとしつつ自分たちの存在を強めてこの国の裏を仕切れる大組織になれるまで、だと思うけど?」

「じゃあよ、『柵詩』が壊滅したらどうなる?」

「・・・混乱が起こるわ。幾つもの組織が吸収されているからこそ、いきなり頭が消えたら何が起こるかなんて簡単に分からない?」

「なら、瓦解後の受け皿があればいいな」

「受け皿? ・・・その年齢で、短い期間で新しい組織でも作るの?」

「いいや。生憎と、そんな面倒なことをする趣味はないんだ。・・・今すべきは交渉。そして交渉するに足りる材料の確保だ」


 少年はそう言うと手に付いた血をハンカチで拭いながら今後の行動を考える。そして、「ごめんなさい」と呟いてから『甲羅』の死体のポケットからスマホを取り出して指紋認証でロックを解除する。

 中に入っているメールを開き中身を確認する。訳の分からない言葉や意味が理解できない話題などが幾つもあったが、少年は分からないものを分かろうとするのではなく分かる情報だけを選別して繋ぎ合わせていく。

 何分ほど情報に目を通しただろうか。少年は『甲羅』のスマホを自身のポケットにしまうと静かに立ち上がった。


「ほとんど当てずっぽうだけど、次の場所が分かった・・・と思う。ちょっと行って確かめてみる」

「分かったって? 少なくとも『不将協会』だけの情報じゃ『柵詩』の動きを把握することは難しいと思うのだけど?」

「意外とそこまで難しい話じゃないっての。言ってしまえばただの嫌がらせなんだ」

「?」

「『柵詩』が規模を伸ばしているってのは分かるけどよ、それって『不将協会』の規模と比べてどうなんだ?」

「・・・・・・あっ」

「そもそもの規模が違うんじゃ正面からやり合うってのはどう考えても得策じゃない。じゃあどうするのか。簡単な話だ。小競り合いで可能な限り最大限の損失を与えればいい。『甲羅』は俺が見ていた限りだと立場のある人間だった。・・・さてここで質問。なんで現場に立場のある人間が出張って来ているんだ?」

「下の立場の人間が居なくなっている・・・?」


 弧乃葉は自分の口から発せられた言葉に思考を巡らせる。

 考えれば簡単な事だ。現場で指示する人間だって結局は人でしかない。怪我や病気、死亡することだって確実にある。

 そうなれば同格の人間、または少し上の立場の人間が現場での指示をするしかなくなってしまう。

 弧乃葉の所属する『妖狐』は少数精鋭であるが故に場合によっては指示系統の頭がころころと変わり、その場その場で臨機応変に対応するのがデフォルトであるが故に逆にそんな簡単な事が頭から抜けていたのだ。これが所謂「うちの(又は前の)職場ではこうなんだ(こうだった)けど・・・」感である。同業他社に転職した際に発生する確率が高くなる。


「で、でも、そんな指示を出せる立場の人間ばかりが削られて行っているのなら流石に気付くでしょ!?」

「別に毎回削る必要はないだろう? 削って、自分たちも削られて、殺さなくても無力化しちまえば指揮者は変わる。『柵詩』は小さな組織を吸収しているんだろ? 手駒が削られる事なんて最初っから織り込み済みなんだよ。『不将協会』からしても被害が出ていると同時に相手にもある程度の損害を与えているんだ。俺らみたいに横から観察している人間と違って事件の中心の近くに居るからこそ見えづらくなっちまう。・・・クソ程性格が悪いぜ。マジで『痛み分け』を狙ってるぞ、こりゃ」


 そう言ってのける少年の声色はまるで新しいおもちゃを出されて喜ぶ子供のように高調し始めている。

 つい先ほどまでの雰囲気とは一八〇度違うその様子に弧乃葉は不安を覚える。爛々と輝きを増しているその瞳には恐怖すら感じた。


「ね、ねえ・・・、今までで一番口数が多いけど・・・、その、気分でもいいの・・・?」

「いいや、気分は最悪だよ。だけど、それ以上に道が見えてきた事に手応えを感じているんだ。・・・・・・それに、裏にアイツがいるかもだしな」

「え?」


 少年はキッと視線を上げると目的地に向かって歩き出す。

 道は決まった。後は目的に向かってひたすらに突っ走るだけだ。

 普段はほとんど使っていない頭をフル回転させながら少年は今出せる最高速で目的地を目指す。







 今では放置され誰も管理しなくなったマンションの一室で体格より大きい服と色褪せたジーンズを穿いた男が某道化師がマスコットのハンバーガー店で買ったポテトをもしゃもしゃと食べていた。

 その手にはタブレットが握られており、画面には街の地図が表示されている。


「いや~、しっかしねぇ。まさか『甲羅』を殺せるとは思わなかったよ。彼はかなり中核に近い立場だったからここで退場してもらえたのはラッキーだったな」

「被害人数はこっちの方が多いですがね」


 手ぬぐい頭巾を被った少女がそう返すと男はケラケラと笑う。


「いいんだよ。所詮は俺たちと同じ社会のはみ出し者。幾ら命が散ろうが計画通りだよ」

「だといいんですがね」

「それで? あの少年の正体は?」

「前回とほとんど変わらずですよ。分かった事とすれば『妖狐』の構成員に付きまとわれているという事くらいでしょうかね」

「ほう! あの『妖狐』にか! 理由は分かったかい?」

「いいえ。残念ながらそこまでは」

「くぅ~! 一番気になる所じゃないか。『妖狐』を引き込めれば戦術の幅も大きく広がるんだ。何か小さい事でも分からなかったかい?」

「・・・付きまとっている構成員が『妖狐』のリーダーである『雷轟らいごう』の娘という事ですかね」

「う~ん、か~なり重要な情報だよ、それ。なんでもっと早く言ってくれないかなぁ」

「少年について調べろとのことだったので」

「わ~、この子ったら言い訳が微妙に反論し辛い所を付いてくるな~」


 男は楽しそうに大笑いする。

 計画通りに物事が進むとは思っていない。むしろ予想だにしていない事が起これば起こるほど気分が高調する。


「いや~ははは。いいね、いいねぇ。戦況が楽しくなってきたよ」


 男が楽しそうにそう言ったのとほぼ同タイミングでカチャリ、と扉の開く音がした。

 視線を向けると、そこには一人の人物がいた。なんかどこかの犯人みたく全身黒タイツシルエットなのは目の錯覚だろうそうだろう。


「おや? アナタでしたか。今日もまたそんな恰好、、、、、をしているんですか?」


 男はその人物に対して敬語で話す。

 年齢だけで言えば男の方が上だが、男ではその人物には敵わない。それ故に敬語で話して機嫌を損ねる事のないように警戒しているのだ。

 対するその人物は特に気にする事もなく部屋に上がり込むと空いているソファに腰掛けた。


「おや? 『刺棘しっこく』ちゃんは座らないのかな?」


 その人物に『刺棘』と呼ばれた少女は無言で男の隣に移動する。


「ははは、どうやら私は嫌われているようだね」

「すみませんね。こいつは他人が苦手なもので・・・」

「気にしてないから謝罪はしなくていいよ。それで、調子はどうかな?」

「順調も順調ですよ。勢力は伸びて行っていますし、つい数時間前には運よく『甲羅』を始末する事すらできましたから」

「『甲羅』をねぇ・・・。そいつはちょっとまずいなぁ」


 そう言って腕を組む人物に男は尋ねる。


「? どうしてですか? 計画では『甲羅』の生死は問わずでしたし、想定よりも早く現場に出てくれましたからむしろラッキーでは?」

「う~ん、ラッキー・・・か。やっぱりねぇ、何人も死んじゃってるから心苦しいところがあったりするんだよねコレが」

「そう、ですか・・・?」


 加担しといて今更何言っているんだ、と頭に疑問符を浮かべる男を気にする事なく、その人物はゆっくりと立ち上がった。


「まあ、こっちの事だから気にしなくていいよ。それじゃあ、♪ 私は『乱裂らんざき』さんを応援して私なりのする事しかできないから」


 その人物に『乱裂』と呼ばれた男はくっくっくと笑ってから言葉を返す。


「そのアドバイスが案外いい線行っているからアナタは凄いんですよ」


 その言葉を背にその人物は部屋を後にする。

『乱裂』はそれを見送ってからタブレットに目を落とすと部下に指示連絡をする。

 ここからが始まりであるという事を現す指示を。

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