第10話 『臭い』

 時間は少し遡る。

 積田の持ち出してきた拳銃を眺めていた少年はそれに触れる事無くスッと立ち上がる。


「いらない」

「・・・・・・俺の話、聞いていなかったのか?」

「聞いていたさ。それを聞いていた上で俺はいらないって判断したんだ」


 少年の言葉に積田は眉を顰める。


「こんなそのまんま凶器なんていらない。俺は俺のやり方で突き進む。・・・アンタの気遣いは嬉しいけど、俺の道を決められたくはない」

「死ぬぞ?」

「生きるさ」


 それだけを言って少年は『不将協会』の事務所を後にする。

 予想していなかった行動に思考に空白ができていた弧乃葉は少年が扉の向こう側に消える一瞬前に慌てて立ち上がってその後を追いかける。おっと、デジャブ。

 つい先日も見たような光景に積田はその表情に困惑の色を浮かべる。


「なあ、甲羅。・・・時間ループとかしていないよな」

「していませんね。ただ単に彼が同じような行動をして、彼女が同じような反応をしているだけです」

「・・・・・・あれが若さって事か」

「違うと思います」


 甲羅はそう答えると積田の取り出した拳銃を片付ける。

 それを横目に積田は深くため息を吐いた。


「嫌だなぁ。ガキが死ぬかもしれないってのは」

「貴方は非情な所と非情になり切れない所の基準があまりにも極端すぎる。・・・やはりこの界隈から足を洗ったらどうですか?」

「馬鹿野郎。俺は小さい頃からこの界隈にいるんだ。今更、足を洗った所でやっていけないし、母さんに悪いからな」

「・・・その言葉はボス本人に言ってくださいよ」

「しまった。本人が居ないとつい口に出しちまうな」


 そう呟くと照れ隠しか話題替えの為か、一度咳をしてから口を開く。


「『氷結』のヤツから連絡は来たか?」

「いいえ。・・・彼女が『ちょっと見てくる』と言ってから七時間少々が経過しましたが音信不通です」

「死んだ、と判断すべきかな・・・」

「そう簡単に倒れるような人じゃないと私は思っていますがね。・・・ただ、『』「」が「銃撃戦最強の男」を雇ったという情報もありますからね。もしもぶつかる事があれば恐らくは」柵詩

「後、二時間連絡がなければ死んだものとして扱うことにするか」

「そうですね。惜しい人を亡くしました」

「お~い、写真プリントアウトして速攻で遺影として飾ってんじゃないよ」

「確か線香は戸棚にありましたよね」

「いくら犬猿の仲だからって速攻で命を諦めるんじゃあないよ」


 そんな上司、積田真造の言葉を無視して甲羅は『氷結』の遺影の前に、箸を突き立てた茶碗をそっと置いた。







 いつものように朝早くから登校した弧乃葉はすぐにでも少年に文句を言うべく自身の出せる最高速の速足で教室へと向かう。

 もはや走っているとしか見えない動きでバッっと教室に飛び込み、そして目を丸くした。


「あ、風見さんおはよう。そんなに慌ててどうしたの?」

「お、おはよう。・・・前田さん、アイツは?」


 弧乃葉は難しい名前の本を読んでいた前田に挨拶を返しながらそう問いかける。

 普段なら前田はこの時間には少年と雑談をしているハズだ。なのに今日は前田一人で本を読んでいるのだ。

 前田は本にしおりを挟むとキョトンとした顔を弧乃葉に向けながら言う。


「怪我が酷くて今日は休む、って連絡来たけど・・・聞かなかったの?」

「・・・」

「あれ? 風見さ~ん? お~い!」


 硬直した弧乃葉を心配し、眼前でブンブンと手を振っているが反応はない。

 どうしたものかと頭を悩ませていると弧乃葉の手から順々に体全体に震えが広がっていく。そして、


「あの野郎ーーーーーーーーー!!!!!!」


 突然大きな声を上げて髪を逆立てる。


「ひっ! か、風見、さん・・・?」

「ごめん。用事思い出したから帰る!」

「え!? ちょ、まっ、風見さんっ!? 一体何が・・・」


 前田の言葉を聞くことなく弧乃葉は教室を後にして速攻で校門から出る。

 少年がどこにいるか見当があるわけではない、当ても何もない。それでも―――探す。

 出会ってそんなに長い月日がある訳じゃない。そもそも出会い方も最悪の一言だった。

 敗北して、その力の秘密を知るために接触をした。一緒にいて、少年の独特なその雰囲気に不思議な直感を受けながら、どこか心地よいと感じていた。

 それだというのに勝手に何処かに行って、消えてしまいそうな少年を一人で放置する事は出来ない。

 もしも少年が居なくなれば、弧乃葉が親に何度も頼み認めてもらった『あの少年を身近で調査する』という大義名分が消えてしまう。そうすれば弧乃葉が初めて過ごす『何気ない日々』は気泡のように弾けてしまうだろう。

 今、弧乃葉の中に渦巻いている気持ちが何なのか、それはまだ分からない。でも、これを無視してはいけない、そんな気がするのだ。

 街を駆ける。あの気だるげな少年を探す。

 一体どれだけ走っただろうか。気が付けば太陽は頭上まで上がっていた。

 頬を汗が伝い、息が切れる。肩で息をしながら歩いていると視界の端に見知った姿を見た気がした。

 弧乃葉は袖で汗を拭いながらそちらに視線を向ける。


「お待たせしました。ご注文の、クリームたっぷりイチゴマシマシ生地若干厚めのウルトラクレープです」

「うぉぉおおお! これが最近めっちゃパないと噂のっ! くっ、こいつはぁとんでもない迫力だぜェ!」


 件の少年は、クレープを買っていた。

 さも当然のように学校をさぼって甘未を楽しんでいる姿に弧乃葉の頭に青筋が浮かぶ。


「いただきま~」

「何やってんのよアンタはぁぁあああああああ!!!!」

「ごぶふぇぁぁあああっっっ!!」


 クレープに集中していた少年は不意の飛び蹴りに反応できず大きく姿勢を崩し、その手からクレープが離れて地面に落ちた。


「ったく。学校さぼってすることが買い食い? いくら何でも馬鹿じゃないの?」

「うごごごご・・・一日一〇食限定のクリームたっぷりイチゴマシマシ生地若干厚めウルトラクレープ【期間限定イチゴ倍々マッシマシ☆バージョン】がぁぁあああああ・・・・・・」

「名前が長い!」


 残酷なまでに形が崩れてぐちゃぐちゃになってしまったクレープを前に悲嘆の声を上げる少年の首根っこを弧乃葉は掴んで怒気を込めた言葉をかける。


「昨日あんな事があって、緊張感がないんじゃないのかしら?」

「クレープ・・・限定クレープ・・・、あぁ・・・、俺のクレープがぁぁ・・・・・・」

「そんなのに意識を割いている余裕があるとでも・・・」

「あるさ! 甘未を食べる事でリラックスをして、さらに脳に糖分を届けるという目的の為に意識だって向けるだろ!」

「だったら期間限定品じゃなくて普通のクレープでもよくない?」

「ギクッ・・・」


 一切反論できないツッコミに少年は言葉を詰まらせる。

 その様子に弧乃葉はかなり深くため息を吐いた。つい先ほどまで心の中にあった表現の難しい不安や焦燥なんて完全に吹き飛んでしまった。


「ったく、今の自分の立場ってものをよく考えなさいって」

「俺はただの一般人だぞ」

「こ、こいつぅ・・・」


 弧乃葉は握り拳を作って少年を殴ろうと振り上げる。

 だが、振り下ろすよりも早く少年は弧乃葉の腕を掴んでそれを止めた。


「なぁんで当然のように殴ろうとしてんだお前っ・・・」

「うっさい、一発でいいから殴らせなさい。じゃないと気が済まないわ」

「だったらそこのゲーセンのパンチングマシーンでも殴ってろ。一〇〇円で一回はぶん殴れるぞ」

「ここにアンタという殴る対象が居るから問題ないわ」

「おまっ、おい! ここ道端だぞ! こんな所で取っ組み合いしてたら目立つだろうが!」

「少なくとも平日の昼間に学生が学生服のまま街をうろついている方が目立つわよ!」


 どっちもどっちである。

 いや、少しだけ少年を擁護するならば道端で男子学生を後ろから蹴っ飛ばしてその後に取っ組み合いを始めている方が若干目立ちやすいだろう。

 無論、そんなことが分からない少年ではない。少し周りに視線を移し、自分らに視線が移っている事に気が付くと素早く裏路地へと駆け込む。


「あー・・・面倒くさいことになったなぁ・・・」

「まーちーなーさーいーよー!」

「断る」


 少年はそれだけを言うと全力で駆ける。ついでに弧乃葉を振り切れればラッキーと言う考えを持ちながら。








 ゼーハーゼーハーと肩で息をする。長時間走る事が苦手な少年は最終的にスタミナの差で弧乃葉に追いつかれていた。

 いろいろな小道や場合によっては道なき道を駆け抜けたにも関わらずあっさりと付いてこられ、最終的には首根っこを掴まれてバランスを崩し転倒した。

 そもそも少女を一人抱いていたとはいえ、ビルからビルに飛び移っている際にも追い付かれているのだ。平坦な道で逃げ切れる訳はどこにも存在しない。

 息を整えた少年は袖で額の汗を拭いながら辺りを確認する。

 逃げるのに夢中で気づいていなかったが、街の中央部から少し外れた所にある廃墟群に居る事だけは分かった。

 何なら少し見覚えのある場所だ。


「くぅ~、疲れたぁ・・・」

「逃げるアンタが悪い」

「いきなり襲ってきたお前が悪い」

「はぁ・・・。それにしても嫌な場所に入り込んだわね・・・。えっと確か『廃北地はいぼくち』、だったっけ?」

「通称、だがな」


 少年はそう言いながら人気のほとんどないビルを眺める。

『廃北地』は少年の住む街がバブルの影響で一気に栄えた際に作られたビルやらマンションやらが密集する場所である。元々が首都圏に近い田舎町かつ平坦な土地が広く形成されており、そこに目を付けた者達が土地を買収しては建物を建設、バブル崩壊とともに廃墟と化したという何とも歴史ある地元で住みたくない場所ランキング堂々の一位をキープし続けている地域だ。

 首都圏に少しばかり近いという所と平坦で広大な土地があるという所を除けば山に囲まれている田舎でしかないこの街の発展はバブルの崩壊とともに拡大プランも崩壊。挙句に中央駅と市役所を中心としている場所以外は打ち捨てられ、人も寄り付かない廃墟と化した場所が点在している。

 そんな負の遺産を相称して『廃北地』。

 今では怪しい取引の場所やらチンピラが集まって騒ぐ場所として使われることが多く、治安が悪い以外に表す言葉が存在しない地域となっている。

 この街が裏社会の人間が取引をする際の中間地点にしていたり、何かしらの悪事を働く準備をする場所に選ぶ理由もここにある。

 廃墟が多すぎて警察では監視しきれないし、無駄に広いオフィスやら大勢の人が集まるのに適した建物が多い。さらには変に遮蔽物があるせいで身を隠しやすいという利点すらある。

 悪人からしたらここまで好条件の土地はそこまで多くないのではないだろうか。

 しかも首都圏から少し外れていることもあって都会のように防犯カメラが多いわけでもなくそのくせして交通の便だけは良い。

 街に入って隠れてこっそりと準備をしてから都心の方へ行って事件を起こすなんてあまりにも簡単に行えてしまう。


「隣の星座市はそこら辺考えて色々とやってるのにこの街ときたらよぉ。最近じゃホームレスも増えてきているって噂だし、爆破解体でもしちまえばいいのに・・・」

「私はまだ使った事ないけど、親が準備やら潜伏やらに適してるって教えてくれたから壊されちゃうと困るんだけど」

「犯罪に適した環境なんぞ俺みたいな一般人からしたらなんのメリットもないんだよ。なくなった方が平和になるってもんだ」


 そう言いながら少年はさらっと帰路に付こうとして違和感を覚える。

 生臭い、嫌な臭い。つい先日嗅いだばかりの血の臭い。

 それを嗅ぎ取ると同時に少年はバッと腰を落として辺りを警戒する。もちろん、弧乃葉も血の臭いにはすぐに気づき、背を壁に付けて息を顰める。


「どこからだと思う?」

「風向きが変わった事で嗅ぎ取れたことを考えると少し離れてはいるけど、」


 弧乃葉は風上にある一つの建物を見据える。


「きっとあの廃ビル」

「だよな。俺もそこだと思う」


 少年はそう言いながら物陰に隠れながら息を殺し足音を立てないように慎重に廃ビルの方へと歩いていく。

 その後を弧乃葉も同じように近くに居るかもしれない誰かに気配を悟られないようにしながらゆっくりと付いて行く。

 それが、始まりであると知らずに。

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